#9 簡単に言うと、すぐ落ち込む
「身長は百六十二、体重とスリーサイズはトップシークレット、年齢は二十歳、あら、同じなの? じゃあため口でいいわね。そりゃそうよ。私はずっと私立だったからね。高校卒業してからしばらくは大学に行ったけど、家がああいう風になったから、今はもう辞めたわ」
あの出来事があってから一観祢は少し変わった気がする。明るくなったというか、よく笑うようになった。過去の重みが少しずつ軽くなっているのかもしれない。
相変わらず、あの言葉に変わる答えは見つからない。そもそも見つけるものではないのだが、こうやって二人で話しているだけで、その言葉は徐々に形成されて、自然とその言葉が生まれるのではないかと思ってしまう。
ただ、不安もある。
今の僕らには想いを伝える言葉がないのだ。『あの』言葉一つでどれだけの恋愛が成り立ってきたか。そう考えてもらえれば、この付き合いがどれほど難しいものか理解していただけるだろう。
難しいといっても、これは僕が決めたことなので、ハンデを背負っているという同情を引くことはしない。
言葉一つで現せる想いがどれほど力を持っているか、というのは日に日に強く痛感している。
それでも、一緒にいてくれる一観祢に安心していたのかもしれない。
「ほら、サボらない」
木陰でボーっとしていると、神職に軽く頭を叩かれた。
「すっ、すみません」
「まったく、お給金も出しているんだから、しっかりやりなさいよ」
「……はい」
僕は今、一観祢神社でバイトをしている。あのときの責任ということで、時給とはとても割に合わない量の雑用を押し付けられていた。そもそも、時給制ではなく、日給制になるのだが、金額はまちまちで神職のさじ加減とその日の雑務内容で決まってしまう。これ以上お金のことに関して話してしまうと、僕が可哀相な人間になってしまうので、あえて過言しないことにしよう。
「草むしり終わったら着替えて警備回って。まったく夏休みは柄の悪い連中が多くて困るよ」
ぶつぶつぼやきながら自宅のあるほうに歩いていく神職。
「あの人普段何しているんだろうな? 今度聞いてみるか。意外とやること無いんじゃないか」
なんてことを一人で呟きながら、大量の雑草を刈る作業に戻る。
「なんで背広?」
草むしりを終えて、一観祢家の一室に行く。そこが僕の休憩場所となっている。
「君はこっちを着る資格無いからね。一応一般人と区別するために。ああ、資格が無いっていうのは文字通りだから、君に非があるわけじゃない」
家でお茶を飲んでいた神職は、僕のために背広まで用意していた。サイズは微妙だけど。
「なんか雰囲気壊れません?」
神社で男が一人、背広って最初に来た時以上に注目されること間違いない。
「大丈夫。そんなこともあろうと、これも作っておいたから」
はい。と首掛けの長いストラップのついたカードを渡された。そのカードには【一観祢神社 久波新】と書かれていた。
「公開処刑ですか」
これは恥ずかしすぎる。名前まで入っていては、柄の悪いお兄さん方に覚えられてしまうかもしれない。
「人聞き悪いね。君を守るためだよ」
頑張って。とストラップを首にかけられる。まだ背広着ていないんですが……。
「あの、ここらでやめておきませんか。相手の方も迷惑しているみたいなので」
警備というのは思ったより大変だった。
「誰だよてめーは! 俺らが何しようと勝手だろ」
いかにも不良といった高校生くらいの男三人に睨まれる。
恥ずかしくて着用していなかったネックストラップをポケットから取り出し、「仕事だからすみませんね」と少し声色を変えながら、それを見せるだけで、舌打ち一つに三人はかかとを翻した。
「ありがとうございます」
お礼を言ってきたのはこちらも高校生くらいの女の子三人組。高校生同士、何をしようが僕の知ったことではないが、本気で嫌がっている彼女たちを強引に連れて行こうとしたので、声をかけた。
「いえいえ、仕事ですから」
と、ちょっとクールに格好つけて、僕もその場を離れる。
「何、格好つけているのよ」
背後から背中をバシンと叩かれた。
「うわっ、なんだ、如月か」
「なんだとは何よ。一観祢さんかと思った?」
声でわかる。そもそも一観祢が僕に声をかけてくるときは、こんな直線的な暴力より、言葉の暴力を使用することのほうが多い。例えば『今の何? 格好良いとでも思っているの?』とこんな感じで。
「思ってねえよ。それより、仕事しろよ。僕より給料良いくせにサボってんじゃねえよ」
如月のお給金額を知っているわけではないのだが、僕より低いなんてことはないだろう。
「失礼ね。今は休憩中なの。それに、私だってそんなにもらってないわよ。お金より大切なものをたくさんもらっているからね」
「なんだよそれ」
「えっ、うーん……」
どうやら口からでまかせが出たようだ。本当にそう思っているのならば、ここで口ごもったりはしないはずだ。
「――ほら、みんなの笑顔とかさ」
やっと出た答えがそれらしいのも若干腹立たしい。
「僕でよかったら死ぬほど笑ってやるよ。そして僕のスマイルにそれ相応の額を支払え。お金より価値のあることなんだろう? そのお金を払って笑顔を見られるなら、僕にも如月にも好都合だ」
如月はお金より大事な笑顔を見られて、僕はその笑顔で大事なお金が手に入る。こんな都合の良い商売はない。
「久波の笑顔なんて一円の価値もないわ。二万回笑ったら一円払ってあげるわよ」
なぜ二万なのかよくわからないが、流石に草むしりより割りの合わない商売なのでやめておく。
「それより、浜見とはどうだ? うまくいっているのか?」
どうでもいいことだが、親友としてやはり気になるところだ。
「知らないわよ、あんなやつ」
わかりやすくプイッと顔を背けた。
「なんだよ。また喧嘩(けんか)しているのか?」
「またって何よ。あいつから謝って来ないと許さないんだから」
思わず苦笑した。自分から謝る気はないと主張しているのだろうが、これは「謝ってきたら許してやる」と言っているようなものだ。
後で浜見にメールしてやるか。
「まあ、あいつは良いやつだからさ」
軽くフォローしたつもりだったが、すぐに「知っているわよ」と呟いた。
「浜見は良いやつだって、付き合ってすぐわかった。でも、あいつは優しすぎるっていうか、私に気を使いすぎているのよ。私に非があっても、謝るのは絶対あいつ。よくよく考えると、私が面倒な女みたいになっているのがちょっと嫌」
「だったら、今回は謝ればいいじゃん」
「だめよ。今回はまた別。私は悪くないもん」
何が理由で喧嘩しているのか知らないが、知る必要もないだろう。知ったら知ったで、またやっかいなことに巻き込まれそうだ。
「あいつはああ見えても思いつめる節があるから、あんまり負担かけないでやってくれ。簡単に言うと、すぐ落ち込む」
「そういうとこあるよね。こないだも約束の時間に三分遅れただけで平謝りしてきて、ちょっといたずらで無視していただけなのに、すごくへこんじゃってさ」
「それはお前が怒っていたと思ったからだろ?」
「ちょっとした冗談だったのにさ。それで遅れた理由っていうのはさ、歩道橋で重そうな荷物持ったおばあちゃんに手を貸していたんだって。そんなのを聞かされたら私のほうが罪悪感だよ」
それは多分嘘だ。と突発的に口に出しそうになったが、そこは抑(おさ)えた。もしかしたら本当かも知れないとは微塵(みじん)も思っていないが、その嘘を如月が納得しているなら、僕がとやかく言う筋合いは無い。
「あいつ、そういうとこあるからな。人が出来ないことを平然と出来る。そういうとこには素直に感心するよ」
人が出来ないこととはすなわち、その場面で嘘を平然と言えるということ。僕だったら百パーセント信じないが、それは僕と浜見の付き合いの長さゆえだ。恐らく寝坊かなんかだろうが、それを正直に言えないほど浜見は如月に気を使っているというか、機嫌を損ねたくないというか。どうであれ、完全に心を開いているわけではないらしい。
嫌われたくないゆえの嘘、より惹くための嘘。
嘘も通せば、真実になる。嘘も気がつかなければ、真実になる。
嘘ほどリスクリターンが大きいものはないのかもしれない。
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