#8 僕は娘さんを好きではありません
「僕は娘さんを好きではありません」
祭りは片付けに差し掛かっていた。
主役を無くした舞いは、大成功とは言えなかっただろうが、なんとか形にはなったらしい。
会場に行くと、僕らの姿をいち早く見つけた神職は一観祢の頬に乾いた音を響かせた。何かを言おうとした神職だが、頬紅をつけたようにほんのり赤くなった頬と、それ以上に充血した目を見て、自分の唇をかみ締めて怒りを殺した。
「何があったか、話してくれるね?」
神職は僕のほうを向いて、そう言った。
これは話さないわけにはいかないのだが、いったい何を話せばいいのだろうか。
目を泳がせる僕に向けてもう一言、
「――私と別れてからあったこと全てだよ」
一観祢には席を外してもらった。僕にとっても神職にとってもそちらのほうが最善だろう。
僕らは昼間の一観祢家客間で向かい合っていた。
何から話そうか迷うところであったが、とりあえず、祭りを一緒に回り、その後の自分の気持ちと行ったことを謝罪しながらも、思いを告げたことを告げた。それから、一観祢に圧し掛かる辛さを共に解消していく努力をする熱意、感情を否定した決意。それらを話した。
僕みたいな常識はずれの人間が的外れな思考を告げているのにも関わらず、倫理、道徳の道を歩んでいる神職は、僕の言葉を黙って聞いていた。それが僕にとって唯一の救いであり、全てを話そうというきっかけになった。
「僕は娘さんを好きではありません」
最後にそう締めた。そう言うことで、僕の思考を理解してもらいたかった。
神職は初めて表情を緩めた。
「君は自分が何を言っているのかわかっているのかい?」
表情を緩めた理由は、呆れたからだろう。
「正直、よくわかりません。それでも、この考えで、娘さんの苦しみが緩和されて、幸せに触れられて、笑ってくれるなら、僕はこの考えを貫きたいんです」
僕にはそれしかなかった。この考えを貫くことでしか、一観祢を救ってやる術が。
救ってやるなんてたいそうなことを言える考えではないことはわかっているが、僕が作ったこの考えを信じるしかなかった。
「自分の思いを貫くことは簡単ではない。ましてやそれが理想――いや、その域だとすでに妄想だ。そんな確証の出来ないことを君は信じていけるのか」
「確証が出来ないのは『好き』っていう感情も一緒だったんじゃないですか。その思いを絶対なんてことは思うことしか出来ない。思うことしか出来ないんです。だったらその感情を別の言葉に置き換えて、それを絶対だと思ってもいいんじゃないですか? 例え世界に通じない言葉でも、その言葉を知っている一人がいればいい。『好き』っていう既存(きそん)の感情を捨てることは出来ない。過去にそう思ったことがあるなら尚更です。だったら、同じ意味の感情を作るしかない。僕はこれだけでいいんですよ」
そばにいたい。付き合いたい。そう思ったときに人は誰でも『好き』という言葉を、想いを思い浮かべる。
ただ、この固定概念を外したいだけだ。
想ったときに『好き』より早くその言葉を思い浮かべるようにしたい。その言葉を作りたい。
「君の思いはよくわかった。娘もそれで良いというのなら私にとやかく言う筋合いはない。そのことに関しては君に任せよう。ただ、今日のために準備してきた舞いに関してはどう弁解(べんかい)するんだい?」
話途中の謝罪だけでは納得していなかったらしい。それもそうだ。これに関しては個人の問題ではない。今まで準備に携わってきた人、楽しみにしていた人、それら全ての人の努力と期待を裏切ってしまったことになる。
僕に出来ることは一つしかなかった。僕に言える言葉は一つしかなかった。
「すみませんでした!」
土下座した。罪の深さに比例させるように、額を畳に押し付け、許しを請うことを願った。
「まあ、過ぎたことか」
その言葉に胸を撫で下ろし、頭をあげると、穏やかな神職の顔がまるで神様のように見えた。
そのとき、僕はこう思った。
言葉に想いを乗せることは、人を動かす。言葉と想いを一つにすれば、それは証明されるのかもしれない。
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