#7 わかんなくていいんだよ
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。辛いときも楽しいときも、同じ一分一秒なのに、どうしてこうも差があるのだろうか。
時計の針は、僕らが庭を回り始めてから三周を優に超えている。四周目にさしかかろうというところだ。
それでも、一観祢は何も言わず、僕の隣で金魚を眺めている。
「時間、いいのか?」
と、一言声をかけてやるのも優しさなのかもしれないが、それ以上に、この時間が失われることを拒んでいた。
一観祢は時計をしていない。携帯電話は持っているであろうが、一度も見ていない。時間的に電話がかかってきていてもおかしくない。
時間を忘れるほど楽しんでくれているのか、それとも――。
やるつもりのない金魚すくいから離れたところで、僕の電話が鳴った。
マナーモードなら無視したかもしれないが、一観祢にも聞こえてしまったようなので、仕方なく電話を取り出す。
相手は浜見だった。
「どうした」
『どうした、じゃないでしょ!』
電話口で大声を発したのは如月だった。
いつまで経っても戻ってこない一観祢の行方を他の巫女たちは必死に探していたらしい。回りまわって、舞には参加しない如月にまで連絡が来て、本人は僕の番号を知らなかったので、浜見の電話から僕に電話してきたということだ。
当然、すぐに一観祢を連れて来いということだった。
「わかったよ。じゃあな」
終了ボタンを押し、電話をポケットにしまう。
「誰から?」
一観祢が白々しく聞いてきた。
「……友達だよ」
僕は嘘をついた。百パーセントばれる嘘を。それでも一観祢は、「そう」とだけ答えて、それ以上何も聞かなかった。
夏場の長い陽も落ち、出店の明かりが辺りを照らすようになってきた。
今頃、広場では巫女たちが舞いを披露しているころだろう。
代わりのいないはずの一観祢は、まだ僕の隣にいる。
あれから数度となくかかってきた電話を全て無視して、ついには電源も切った。
祭りの賑やかさが届かない庭の木を背に、僕らは腰を降ろしていた。
「いいのか?」
「今更聞くの?」
今から言っても間に合わない。だから聞いた。
「――なんで言わなかったの? その時計は飾り?」
僕の腕時計を指さした。
「それを言うなら、自分の携帯だって飾りだろ?」
「携帯電話に時計の機能があるなんて知らなかったのよ」
苦しすぎる言い訳だ。もしかしたら携帯電話を開いたことがないんじゃないだろうか。いや、それはないか。如月は一観祢の連絡先知っているし。
「如月が言っていたぞ。お前の代わりはいないって」
「いないでしょうね」
「尚更、いいのか?」
「いいも何も、もうどうしようもないことでしょ」
「なんで行かなかったんだ?」
「先に私の質問に答えてよ。なんで言わなかったの?」
「……」
「……」
時間だけが過ぎていった。
神職はどう思っているのだろうか。僕を信頼してくれたのに、一大事を起こしてしまった。今頃、本気で怒っているんだろうな。家庭に更に溝を開けてしまった気がする。
無利益な神様なんて言われたが、結局、私利のために祭りを台無しにしてしまった。そう考えると、流石に罪悪感に襲われる。
「ねえ」
重たい口を先に開いたのは一観祢だった。
「ん?」
「私のこと、好きなの?」
淡々とした口調で聞いてきた。
胸を打つ鼓動とは裏腹に「かもね」と、僕も一観祢のトーンに合わせた。
月明かりの下、こんなにも静かな場所で同じ木に持たれる二人だけの空間。これだけのシチュエーションで、意地を張って否定するのはこの機を与えてくれた神様に失礼だ。
「私は人を好きにならない」
これまた淡々と言った。まるでそう答えると決めていたかのように。
「――私はあなたを好きになれない」
好きになると、いなくなってしまうから。と、呟いた。
【僕はいなくならない】
【僕は違う】
何を言っても、薄っぺらな言葉にしかならないような気がした。ここでそんな言葉を並べようと、一観祢の気持ちは変わらないような気がした。
「なら、好きじゃなくていい」
「え?」
好きなんて感情があるからいけないんだ。好きなんて思うからいけないんだ。
「好きだから付き合うとか、好きだから一緒にいるとか、好きって気持ちに惑わされすぎなんだよ。お前と付き合いたい! お前と一緒にいたい! でも好きじゃない」
「意味わかんない」
僕にもわからない。
「わかんなくていいんだよ。何処の誰が考えたか知らない『好き』なんていう思いが、言葉があるからいけないんだ。そばにいたいとか、付き合いたいっていう感情の言葉を新しく作ればいい。例えそれが世間に広まらなくても、僕とお前だけがその感情の言葉を知っていればいい!」
誰がこんな感情を作ったのだろうか。なんでその感情を好きという言葉にしたのだろうか。その思い、その言葉でこんなにも苦しんでいる人がいるというのに。
誰にも向けようのない怒りは誰に向ければいい? 誰に訴えればいい?
そもそも、この思いは誰が作ったのか。誰が生んだのか。そもそも、人なのか。生物なのか。
その思いを作れるのが神様だと言うのなら……
「意味……わかんないよ」
一観祢の瞳から涙が零れた。
この涙が、この思いが、そのどうしようもない神様に届かないというのなら、僕が神になる。そう思うくらい、僕は一観祢のことが『――』なんだ。
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