ハピネス・タナトス・アンダーグラウンド

緑茶

ハピネス・タナトス・アンダーグラウンド

 昔々戦争があって、街中の至る所が破壊された。

 それは墓地でさえ例外ではなかった。既に死んだものたちが眠る場所もそこらじゅうが穴だらけになって、これから眠りにつく者たちの居場所も蹂躙されていた。


 ある時一人の女の子が戦争の犠牲になって、その墓地で眠ることとなった。しかし、きれいな墓石など手に入るはずもなく、小さく冷たい亡骸は砕けきった石の下に横たえられた。


「かわいそうに。こんなことで、短い人生を終えるなんて。寝床すらまともな場所を用意してやれないなんて」


 両親は嘆いた後、懺悔するようにして少女に別れを告げた。


 何日も少女はその下で眠っていた。やがて雨が降って、地面に染み込んだ。降り続いて、地面はどんどん柔らかくなり、液体のようになった。そこで変化が起きた。


 少女はなおも地面の中で眠っていたが、まるで液体に沈み込むように、とっぷりと地面の下へ下へと落ち始めたのである。

 すると少女は、身体を震わせて息を吹き返した。海のようになった土の中で、目を開けたのである。それから、自分がいつの間にか生き返っていること――どこか別の世界に行こうとしていることに気づいたのである。


 元の世界はどんどん上に行って、少女は自分の眠っていた場所に戻れないことを悟った。それと同時に、その世界に到着したのである。


 そこには、沢山の人達が、地面の上と同じように暮らしていた。男の人、女の人、子供や老人。そこに全てが居た。

 しかし少女はそこに降り立ってすぐ、自分の知っている世界とそこが違うことに気付いた。――みんな、幸せそうに暮らしているということであった。


 少女の知っていたかつての世界でのみんなは、毎日のようにやってくる砲弾に怯えて、恐怖に身を震わせながら生きていた。そこには楽しみも喜びも何もなく、灰色の世界が広がっていたのだ。だから少女は、地面の遥か下に広がっていたその世界が色彩に満ち、誰もが笑いながら暮らしていることに驚いたのだ。

 少女は戸惑いながらも、通行人の一人に聞いた。その男は軍服を着ていた。彼はニッコリと笑って、少女に目線を合わせながらこう言った。


「ここは死後の世界だよ。元の世界で幸せじゃなかった人は、ここで『本当の幸せ』を掴むんだ。そうすると、ここから元の世界を飛び越えて、天国に行けるようになるのさ」


 少女はそれを聞いて、ある疑問を浮かべた。

 自分には、ここで暮らしているみんなが幸せそうに見えるけれど、それなら一体『本当の幸せ』というのは一体何のことだろう、と。

 それを尋ねると、男は、それを掴んだ人は本当に突然ここから居なくなるから、果たしてどうやって本当の幸せというものを掴むことが出来るのか、誰にもわからないのだ、と言った。

 少女は少し、途方に暮れたような気持ちになった。


 少女はそれから、その世界で暮らし始めた。

 そこには爆撃や砲弾もやってこないし、誰かが急に動かなくなる恐怖にも駆られることはない。美味しいご飯もあるし、夜だってぐっすり眠れる。文句など何一つ出てこなかった。しかし……それが本当の幸せでないのなら、一体なにがそれなのだろう。

 きっと、他の皆もわからないから、ずっとここに居るのだろう。

 そう思いながらも少女は地面の下の世界で暮らし続けていた。


 しかし、やはり少女には本当の幸せというものがなんであるかが気がかりだった。

 そこで、手がかりを得るために図書館に行くことにした。そこでは自分が死んだ後のあの世界では何が起きているのかを知ることが出来た。

 少女は迷わず自分の家族、つまり両親について調べることにした。


 まず見えてきたのはくらいリビングである。そこには自分の写真が飾られていて、その周囲は花が添えられていた。自分を祀ってあることは明白だった。少女はそこから、暗い両親の顔を想像した。沢山の愛情をもって自分を育ててくれた両親。二人が悲しんでいるとしたら自分のせいだ。

 少女はそんなことを思いながら両親の来訪を待った。するとドアが開いて、電気がついた。それから両親がやってきた。少女は――彼らの様子を見て、驚いた。


 両親は、とても明るく振る舞っていた。

 朝食の時間らしい。母は父に愛情のこもった目線を投げかけて、父は母に優しい眼差しを向けていた。言葉はかわさずとも、そこには日常の小さなしあわせというものがあった。二人はそうやって、静かに朝食を取っていた。何かに気を取られて、ままならないという様子はなかった。

 それからも二人は日々の暮らしを進めていった。途中二人は、一切少女の話をしなかった。ただ、元から二人だけであったかのように振る舞っていた――。


 少女は、大いに困惑した。両親が笑顔で暮らしているというのは良いことだったが、まるで自分が居ないかのような振る舞いをしているのは奇妙だった。

 やがて、その困惑は悲しみに変わり始めた。幼い少女には、そのふるまいはこたえた。両親は自分のことを忘れてしまったのか。忘れることで、幸せに暮らすことを選んだのか。そう思うと、なんだかやりきれなくなった。

 

 そして少女は両親の様子を覗き見ることをやめて、図書館を後にしてしまった。自分の今いる場所も、凄くつまらないものに感じられるようになって、少女は身が張り裂けそうになってしまった。

 

 少女は図書館から街に戻ると、再びあの時の軍人と巡り合った。それから、自分のやったことについてぽつぽつと語った。彼はとても優しかった。間に相槌をはさみながら、少しずつ少女に話させてくれた。それで――すべてを聞いてもらえたのである。

 話を終えると彼はうんうんと頷いて、それから少女に語った。


 ……その内容は、少女のすべてを変えることとなった。


「僕は、戦争が何を奪ったのかをよく知っている。それは命を奪うだけじゃない。生き残った人達から、命より大切なものを奪うんだ。それは笑顔だよ。僕は皆の笑顔のために戦っていたのに、僕が戦う度にみんなから笑顔が消えていった。それで、戦争のかなしさに気付いたんだ。……ねえ君、君がここにやってくるまえ、君の両親はどんな顔をしていたのかな????」


 そこで少女は、男の問いに答えようとした。

 ――それからはっとして、あることに気付いたのである。


 それは、あの両親が笑顔だったということだ。ここに居るわけでもないのに、あの、毎日砲弾が飛んでくる穴ぼこだらけの町に住んでいるのに、笑っていた。笑いながら朝食を食べていた――……一体なぜ、そんなことが可能なのだろう。とてもつらいはずなのに。一体なぜ、両親はそんな大変な世界で笑顔でいられるのだろう。


 それを知りたいと思うと、居ても立ってもいられなくなった。少女は身を翻すと、図書館に再び向かった。それからもう一度、両親の様子を見に行った。


 ……そこでは、父親が仕事に向かおうとして、母親が玄関でキスを与えているところだった。お互いに小さく愛の言葉を囁いて、それから父親は玄関から出た。玄関を開けた先には破壊された世界が見えた。

 母は玄関から居間に戻った。今度は、電気をつけなかった。少女は気付いた――母の表情に笑顔がなかった。どうしてだろう? 

 その疑問を浮かべる前に、母は次の行動に移っていた。少女の写真がおいてある場所に行って、じっと目を瞑ったのである。

 それは、少女が寝る前に母に教えられた、神様へのお祈りの姿勢だった。母は何かを祈っていた。それから、閉じた目から静かに涙を流した。あの朝と一転して、今度の母は悲しんでいた。そして母は、こう言った。


「どうして死んでしまったの――どうして、どうして……」


 少女は悲しい気持ちになって、自分を責めようとした。しかしそこで母親は続けた。


「それでも私、生きなきゃいけないのよね。あなたを失ったことはいつまでも哀しいけど……その分、あなたが私たちに与えてくれたものを毎日強く感じてるわ……だから、今日も笑って生きることにする……ありがとう。生まれてきてありがとう……」


 少女は、全てを知った。その瞬間、これまでの全てが肯定されたような気持ちになった。そして、自分が何のためにここにやってきたのかが分かったのである。


 それから母は、目を開けて少女の写真に背を向けた。それから電気をつけて、花咲く笑顔で家事に向かった。その足取りにはもう悲しみは滲んでいなかった――いや、悲しみはそこにあったが、それを噛み締めて進もうという強い意志があった。

 少女はそこで理解した――本当の幸せというものが、一体何であるのかを。


 本当の幸せとは――かつての自分の存在が、他の誰かに伝わって、それが何かを生み出すことだったのだ。

 少女の死は確かに両親を悲しませたが、その分両親は戦争の生み出す現実に対して立ち向かうための歩みを得た。これからも両親は悲しみ続けるが、その裏には少女の喪失と同時に蘇った、少女のこれまでのすべてがあったのだ。

 だから母は喪失を悲しむと同時に、少女の生を祝福したのだ。全てに合点がいって、少女は何もかもがふっと楽になる感覚をおぼえた。

 

 あぁ、これこそが本当の幸せなのだ――どうりで、気づかないわけだ。それは自分たちのすぐそばにあるけれど、いつだって巧妙に隠されているのだから。


 少女が図書館を後にすると、ふっと足元が軽くなった。そして天上を見上げると、土によって茶色に染まった地面の一部分から、まっすぐに虹色の光が降りてきた。それは少女を包み込んで、その周辺を小さな天使が取り囲んだ。

 

 それから、少女の体が浮かび上がり、光に導かれて上へ上へと進んでいった。少女は抵抗をしなかった。今、全てを受け入れていた。

 これでもう、この世界とも永遠におわかれになる。あの軍人ともあえなくなる。だが少女はちっとも寂しくなかった。世界のすべての人達への優しさで一杯になって、彼らもまた自分だけの幸せを見つけられることだろうと確信していた。いつしか少女は笑顔になって、光の粒子になっていく自分の身体を見つめていた。


 ……それから少女は完全に消えていくまで、ずっと両親とのこれまでを思い返していた。どんなことがあっても、それは美しい万華鏡のように思われた。

 少女は再び思った。

 ――あぁ、自分はこんなにも幸せなのだ、と。


 間もなく少女はその世界から消え去って、天国へと辿り着いた。



 少女が死んで一年が経過した日のこと。

 両親は墓地へとやってきた。自分たちの娘を弔うため。


 ……そこで両親の足は止まり、大きな驚きに包まれた。


 ――ぼろぼろだった娘の眠る墓石が、今や綺麗な長方形を得て、その上にしっかりと娘の名前と、生没年が刻まれているのが見えたからである。

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