九 同じことでしょ。
足下にあるカーペットはタイル調で、薄桃色の濃淡によって分けられている。さして彩度を持たず、淡い色調であれば、穏やかな風味を館内にもたらす。照明は絞られておらず、
巡り始めてすぐに、勇奈が、「なぜここへ?」と、訊ねてきた。近かったというのはあるが、他は無考えというのでもなかった。「穴場だからね。」いざ入ってみれば、思惑通り、見事なまでに閑古鳥で、入口が券売機と入場ゲートだったこともあり、まだ他の誰の姿も見ていない。だからと、誰でも連れて来ようとは思わない。「勇奈ならこういうのも有りかと思ったけど。」「ええ、知識欲は満たされますけど、」それ自体は嘘ではないようで、勇奈は
面食らった、というのが正直な所で、「驚いた。」と、僕は
それぞれに熱の籠もった目線をやりながら、勇奈はひとつずつ、
地質博物館を巡り終えて外に出ると、すっかり日も落ちていた。最寄りの駅で電車に乗る前に、僕たちは駅前すぐにある本屋に寄った。今さら下手な小細工をするよりはと、僕は当初のプランを変えなかった。「ちょっと、通いたいですね。ここ。」勇奈は興味深いとばかりに言うので、人生初めてのデートで来るべきかは否としても、悪くない案内ではあるようだった。
さして広くもなく、見た目に特別な所もない店だが、置いてある本の並びは、なかなか他の店では見られない。平たく言えば、
僕の方はすでに、かねてよりの常連であるので、店にいた初老の店長にからかわれることにもなった。「女連れだなんて、珍しい。」と、声をかけられて振り向けば、店長のエプロンの上、整えられたグレーの
流すようになっていた視線を、勇奈は一点で止めた。注視の焦点を、
わずか触れるだけ、遠慮がちに本の背を撫でてから、勇奈は「先輩は、何かそういう本、あります?」と言うので、問いかけに答えるのが先となった。「違いなく、書き物をしている叔父に倣ったんだと思うけど、そう、叔父の部屋には
僕はまたも、『冬灯に聞く』について話す機を逸した。「ファンの間では公然の秘密になってるんですが、」勇奈の目線は再び流れて巡り、そのおまけで、僕は教わる側になった。「烏海奈尋と藤ノ木篤芽、夫婦なんだそうですよ。知ってました?」「いや、全く。」返しながら、合点がいく。朔良さんと車中で話した際、まるで二者が一組であるかのような物言いがあった。実際にふたり一緒でいたのだろう。口を揃えて叔父を指名したというのも、言葉通りの意味か。烏海奈尋が名を連ねることになった経緯を省いたのも、夫婦であると言うのを
自己の状況を否応無く思い出させる引き金にもなり、勇奈に言うべきことは他にあった。「早めに、謝っておくよ。」勇奈の背に、斜め後ろから投げかける。現実、間違っていたのは僕だったのだ。「勇奈の言うことが正しかった。詳細は伏せるけど、目指すまでもない、僕は今、自分の意志ひとつで作家になれる。」言い終える頃には勇奈はすっかり振り向き、言わんとすることはすぐに察した様子で、呆けたのも少々のこと、果ては口角が微細に揺らいだ。それは、笑みに近似を見る。「ちょうど良かったです。すっかり腹を立てていたので。」違うのだと分かりながらも、僕は訊ねた。「初めてのデートで本屋に連れて来られてしまって?」
さすがに、僕が本気で問うているとは思わなかったのだろう。「まさか。」と、大げさに言ってみせる勇奈の口振りに、不快の気配はない。「この本屋のどこにも、先輩の書いた小説が置かれていないことに、ですよ。」僕の方が、意味を呑むのに時間を食い、長く呆けた。
先に家に着いていた花凛は、手早くシャワーを済ませ、部屋着に着替えたようだった。場の空気に誰より耐えかねたのは僕で、花凛と勇奈がちゃぶ台越しに座って向かい合うのを横目で見ながら、距離を取り、火を点けないままの煙草を
花凛にとって、明らかだった結論を認めるだけのものか、結局は落ち着いた口調で、「泊めるのはいいとして、でも、ひとつ条件というか、譲れないの、あるんだけど。」そう言った。「何でしょうか。」勇奈が問うと、花凛はすぐに「結真くんの隣で寝させて。」と、返す。僕が隣にいないとうまく眠れないのだと、花凛は言っていた。「
僕がバスルームを使ってすぐ後、まだ早くに、花凛と並んでベッドで眠ろうとしていた。昨夜はふたりとも短く眠るのみで、疲労感は強い。余っていた布団を引っ張り出し、勇奈は隣の洋間で眠ることになったが、エアコンは僕らの側にひとつきり。結論としては、やはり僕の心情を推し量る形で、間の戸は閉めないと決まった。勇奈はちょうど今シャワーを浴びているが、起きていれば洋間から僕と花凛の眠る方へ明かりが行くとして、付き合う形ですぐ床に就くという。
心身共に疲れた感覚はあれど、薄手の掛け布団の
せめて横になっていれば体の疲労は和らぐと、そのように思って目を瞑って仰向けでいると、頬に刺激が走る。花凛につねられているのだと、目を開く前に気付いた。僕の耳元で花凛が囁く。「結真くん、最低。」頬に伸びた花凛の指はすぐには離れず、僕はあえて目を開かないままで言った。「よく知ってる。」頬はもう少々
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