第1話 おしるこ・スイート・ビター 05(終)

「発症者確認。救援を」


 銃口は発症者に向けたまま、襟に隠した通信機に向かってトシヤは囁く。


 下手に刺激するわけにはいかない。救援が到着するまでおおよそ一分。この銃にこめられた特殊弾を全弾使えば、かろうじて動きを封じることは可能だろう。


 だけどそれでは――この人を守り切れない。


 一歩一歩確かめるようにして近づいてくる発症者の頭に狙いを定める。意識は目の前の発症者に集中しているはずなのに、頭の奥底では不要なことを考えてしまっていた。


 この人を守る。守る必要があるのか? こんな奴を。俺たちを捨てた、こんな奴のことを。


 その隙をついて、発症者は咆哮を上げながらトシヤめがけて突進してきた。トシヤはハッと正気に戻り、発症者の顔面目掛けて三回引き金を引いた。


 銃弾が三度、発症者の顔を貫き、そのたびに発症者は軽くのけぞった。しかしその足を止めるまでにはいたらず、トシヤは再び発症者の顔面へと狙いを定めた。


 しかしその時――発症者は急に方向を変えて、右に向かって走り出した。その先にいるのは――逃げ出そうと足をもつれさせながら走る父親だった。


「父さん!」


 とっさにそう叫んでしまっていた。叫びながら手を伸ばしてしまった。発症者はあっという間に父親へと距離を縮め、その体に食いかかろうと顎を大きく開け――



『起動』



 単調な電子音がトシヤの後ろから響いた。積み荷の箱が開き、小さな影がトシヤの前に躍り出る。その手に持たれていたのは、荷物の銃器だった。


 ダンッ! と。


 腹の奥を揺らすような重い銃声が一発響き、ほぼ同時に発症者の頭は吹き飛んで砕け散った。


 発症者は音を立てて崩れ落ちる。父親のひきつったような息遣いがやけに大きく聞こえる。発症者を仕留めた人物は、ゆっくりとトシヤに振り返った。


「……子供?」


 そこにいたのは、冷たい印象を受ける黒髪の少年だった。年齢は12歳ぐらいだろうか。大きな詰め襟のコートを着ており、口元は見えない。手にしているその巨大な銃器は確か――対物ライフルというやつだ。


 少年に声をかけようとトシヤが一歩踏み出したその時、聞きなれた少女の声が彼方から飛んできた。


「トシヤ!」


 全速力で走ってきたのだろう。ミィはほとんど異形と化した状態で、トシヤの前に滑り込んできた。遅れて十数秒、街の方角から全速力で増援がやってくるのが見えた。


「あれ? わるい人は?」


 ミィは化け物の姿のまま首をかしげる。


 首をかしげたいのはこちらのほうだ。そう思いながらトシヤは目の前に立つ少年を見る。少年の金色の目と目が合った。


 そうしているうちに警察車両が次々に集まってくる。そのうちの一つから降りてきたのは管理局の男、シジマだった。


 シジマはぐるりと現場を見回す。二台のトラック。頭部を破壊された発症者。謎の少年。地面にはいつくばって怯える男。


「なるほど、状況把握には時間がかかりそうですが――そこの男性は明らかに関係者ですね。管理局が処理しましょう」


 言うが早いか、父親は管理局の人間に左右から拘束され、手錠をかけられてしまう。


 処理。その言葉が何を意味するかぐらい、トシヤにもすぐに理解ができた。


 そのまま管理局の車両に引きずられていきそうになるのを見て、トシヤは思わず叫んでしまっていた。


「待ってくれ!」


 ほとんど悲鳴のようなその声は、粛々と現場を処理しようとしていた辺りに大きく響き渡ってしまう。


 拘束された父親が振り返る。父親と目が合う。


 どうしてだ。なんで俺は、こんなことを。


 トシヤはしゃくりあげるように大きく息を吸うと、つとめて冷静な顔でシジマに告げた。


「その人は発症してない。だまされただけの無害な一般人だ。だから……!」


 シジマが冷たい目でこちらを見つめてくる。


 それに耐えられなくなってトシヤは目を伏せ、代わりにこぶしをぎゅっと握りこんだ。


「だから……」


 消え入りそうな声でつぶやく。シジマは最初それに沈黙に答えていたが――十秒経った頃、冷たい声で答えた。


「分かりました。殺しはしません。――処置はしますが」


 その言葉にトシヤは一度顔を上げ、シジマに向かって頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 父親が管理局に連れられていく。管理局の潔癖な白い車のドアが開かれる。


「助けてくれ、行かないでくれ、トシヤ!」


 拘束された父親が手を伸ばしてくる。必死にこちらにすがるように。まるであの日の逆のようだ。俺たちを捨てたこの男が。どうしようもないこの男が。だけど俺は、そんなこいつを――


「トシヤ!」


 父親の姿が管理局の車の中へと消えていく。二人を分かつように、分厚いドアはがしゃんと閉じられた。




 *




 年が明けて数日。今日は雪はちらついておらず、ただ灰だけが静かに降り積もっている。


 玄関のカギを閉めて、トシヤは実家から去ろうとしていた。名残を惜しむように玄関のドアノブを握りしめていたトシヤだったが、ふと背後からかけられた声に振り返った。


「なあ、あんた」


 そこに立っていたのはみずぼらしい服装をした一人の男性だった。


「……何か?」


「ああいや、ちょっと道を尋ねたいだけなんだけどさ」


 男が広げる地図をトシヤは覗き込む。男は照れくさそうに頭を掻いた。


「おかしいんだよなあ。前からここに住んでるはずなのに、最近記憶が抜けちまって……」


 笑いながらそう言う男をトシヤは視線だけを上げて見る。ほんの少しだけ昔の面影が残る男を見る。男はそんなトシヤの顔を覗き込んで不思議そうに尋ねた。


「……なあ、あんた。もしかしてどこかで会ったことなかったか?」


 まるで毒気が抜かれたように笑う男に、トシヤは微笑んだ。


「人違いですよ」

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