第1話 おしるこ・スイート・ビター 04

「……興味ありません」


 顔をしかめてトシヤは答える。しかし父親の話は止まらなかった。


「そう言うなよ。簡単な作業さ。ちょーっと取引のお手伝いをするだけで、ウン百万が手に入るんだ」


 父親は机にもたれかかってアルコールくさい息を吐いた。隣に座っていたミィがふんふんと鼻を鳴らし、それからあからさまに嫌な顔をして一歩逃げる。


「なんでもよ、この街の管理システムだか警察だかが絡んでるスクープらしいぜ。俺は依頼人が直接は渡しに行けないその証拠を、代わりに運んでやるってわけだ」


 管理システム。


 その単語にトシヤは体をこわばらせた。


 管理システムはこの街に降る『灰』に関係するシステムだ。『灰』とはこの街に住むすべての人間が罹患している『カミガカリ病』を抑制するための薬であり、システムはそれを絶えず散布することによって人間が発症者ばけものになってしまうのを防いでいる。しかし――自然発症を完全に防ぐことはできない。


 自宅で発症する者、職場で発症する者、路上で発症する者。


 彼らはそういった罪のない自然発症者や『灰』の真実を知ってしまった市民を確保し、秘密裏に処理している。


 つまり――これは、発症者を狩る特務課にも関係する案件ということになる。


「その……取引はいつ行われるんですか」


 震えてしまいそうになるのを必死でこらえながら、トシヤは父親に問いかける。父親はそんなトシヤの様子にまったく気づかずに上機嫌そうににやりと笑った。


「明日だ」





 翌日、父親の運転するトラックに乗せられて、トシヤは取引場所へと向かっていた。


 今回の一件は特務課にも管理システムにも通報済み。取引の決定的な証拠をつかむためには、この男父親を利用するのが最も正しい。少なくとも、特務捜査官としては。


 特務課の人間やミィは念のため後方に待機している。だからといって発症者が安全に処理されるとも限らない。もしこの人が発症者に襲われたとしたら、俺は。


 街の北に広がる『灰』が降り積もる荒野をトラックは進んでいき――十数分ほど行ったところで唐突に止まる。トシヤと父親はそこでトラックから降り、取引相手を待った。


 風は少し吹いている。郊外だけあって『灰』は濃いが、雪もちらほらと降ってきているようだ。トシヤはうつむきながら隣で腕をさする父親に声をかけた。


「……父さん」


 吐き出された声は白い息になって宙へと消えていく。父親は機嫌がよさそうな表情をして、トシヤを振り返った。トシヤは両手をぐっと握りこんだ。


「どうしてあの日、俺たちを置いていったんですか」


 去っていく父親の背中。泣き叫ぶ自分。何も言わずに自分を押しとどめる母。


 どうしても、あの光景が頭から離れない。


 父親は何も答えなかった。どんな顔をしているのか確認するのさえ怖くて、トシヤは父親の顔を見ることができなかった。


 一分、二分沈黙は続き、トシヤが再び口を開こうとしたその時、荒野を横切るようにして一台のトラックがやってきているのが目に入った。


「よっ、あんたが取引相手か! 品物はどこだ?」


 トラックから降りてきた相手に、父親は軽い調子で声をかける。取引相手はおどおどとあたりを見回し、俺たちのほかに誰もいないことを確認すると、慌ててトラックの荷台の扉を開けた。


 そこに入っていたのは、一つの箱だった。大きさはおおよそ一メートル四方ほどあり、男はそれを台車に乗せてこちらのトラックに移し替えようとした。


「ずいぶんと重そうだな。手伝おうか?」


「あ、ああ、頼む」


 追手におびえているのか、挙動不審になりながらも取引相手はそれに答える。トシヤは手伝うこともせずにそれをじっと見つめていた。


「せーのっ」


 二人がかりで箱を父親のトラックの荷台に乗せる。取引相手は自分のトラックのほうに戻っていくと、大きな包みを持って戻ってきた。


「うん? 何だそれ?」


「こ、こっちの銃も荷物なんだ。なんでもこれも重要な証拠品みたいでな」


 言葉通り、包みの中からは大きな銃器の一部が覗いていた。取引相手はそれを父親に渡そうとし――その寸前でそれを取り落とした。


「いでっ」


 取引相手は指先を口に運びながらぶつぶつとつぶやく。


「なんか針が刺さったみたいだ。いってぇ……」


 父親は怪訝な顔でそれを見ながら銃に手を伸ばす。取引相手の体が――膨れ上がったように見えた。


「それに触るな!」


 父親の肩をつかんで思い切り突き飛ばす。銃に触れそうになっていた手は、間一髪それに触らないまま倒れ込んだ父親の体重を支えた。


「いってぇ! 何すんだトシヤ!」


 トシヤにはその声は聞こえていなかった。トシヤはコートの下に隠していた『灰』の弾丸を込めた銃を取り出し、取引相手に向けている。彼の体はさらに膨れ上がり、衣服を引きちぎり、鱗に覆われた異形の姿へと変わっていった。


「お、おい、なんだよこれ……」


 腰を抜かした父親がトシヤの後ろで問う。


 ほんの数十秒前まで取引相手だった『発症者』は、トシヤと父親をぎろりとにらみつけた。

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