第1話 おしるこ・スイート・ビター 02
鍋に入れた小豆を水に浸す。二人で掃除をした居間と台所は、辛うじて使える程度にまでなっていた。
半日ほど使って小豆に水を吸わせていく間に、トシヤとミィはそこ以外の場所の掃除も始めた。
と言っても家の中はほとんど物が置かれておらず、二人ができることといえば拭き掃除ぐらいのものだった。こういう時のために水道と電気とガスはまだ通してある。この家に帰ってくる人間はもう自分だけだと分かっていたが、トシヤはどうしてもそれらを解約することができずにいた。
「トシヤー!」
物思いにふけりながら床を拭いていたトシヤのもとに、一階を任せていたミィが駆けあがってくる。
「どうしたミィ」
顔を上げてそちらを見ると、ミィは一つの端末を差し出してきた。端末の上には手のひらほどの小さなホログラムが浮かび上がっている。
「なんか動いた!」
差し出されたそれを受け取り、トシヤとミィは二人ともそのホログラムを覗きこむ。ホログラムに映し出されていたのは、どこかの部屋の中で仲良さそうに並ぶ、三人の家族の姿だった。
「これ、トシヤ?」
ミィが指さしたのは中央に映る子供だった。その左右には父母らしき大人が、子供の手を握っている。
「……ああ、そうだな」
トシヤは小さく呟くと、そっとボタンを押してホログラムを閉じた。
「ぐつぐつー、ぐつぐつー」
鍋を火にかけ、小豆を煮ていく。ミィが中身を覗きたがったので、椅子を持ってきて鍋の前に立たせてやった。
ふつふつと音を立ててお湯の中を小豆が揺れている。
水分がほとんど無くなるまで弱火で熱しながら、その間に廊下や寝室の掃除を進めていく。念のために火のそばにはミィを見張りに置いておいた。
小豆が煮えた頃合いで砂糖を混ぜ合わせ、さらに弱火で熱する。
「あんこできた?」
「もう少しだな」
椅子から下ろしたミィが、足元から尋ねてくる。木べらを使って小豆の粒を潰していき、全体的に混ぜた後に火を止める。あとは冷ますのみというところまできたところでトシヤはふと声を上げた。
「しまった」
それまで涎を垂らしそうな勢いで鍋を凝視していたミィは、不思議そうにこちらを見上げてくる。トシヤは口を手で覆いながらぼそりと言った。
「もちを買い忘れた」
有り得ない失態に、トシヤは自己嫌悪で膝から崩れ落ちそうになる。そう、今夜のメニューはおしるこなのだ。なのに肝心のもちがないだなんてそんな失態があっていいのか。
「トシヤ、トシヤ、落ち込まないで?」
ミィに袖を引かれて励まされる。トシヤは少しの間衝撃に打ちひしがれた後、心配した様子のミィに苦笑いを向けた。
「いや、大丈夫だ、ちょっと自分に驚いただけだ」
そうしてから大きくため息を吐いて、トシヤは鍋に蓋をする。
「買いに行く?」
「そうだな、この時期なら流石にこの辺りでも売ってるだろう」
ミィに引き摺られるような形で、肩を落としたトシヤは近くの商店街へと向かっていった。
商店街には大型スーパーなどといったものはなかった。ただささやかな小売店がぽつんぽつんと並ぶばかりだ。その中の一つ、普段は和菓子屋である餅屋にトシヤとミィは向かっていった。
「角もちを八つください」
「おや、親子連れさんかい? かわいい子だね」
「ミィだよ!」
「うんうん、ミィちゃんにおまけしてもちは十個入れておくからね」
店主の厚意で、予定よりも多くのもちを貰ってしまったが、この年末年始で食べられなければ自宅に持ち帰ればいいだろう。そう思いながら二人は手を繋いで商店街を歩いていった。
ミィと繋いだ側ではない手にもちの入ったビニール袋が揺れている。灰と粉雪が降る中を跳ねるようにして歩くミィに、ほんの少しだけ頬を緩めて歩いていくと、商店街の片隅で男の怒声が聞こえてきた。
「だから言っただろ! あそこの金貸しはヤバいって!」
「うるせぇな! もうあそこしか貸してくれるとこがなかったんだから仕方ねぇだろ! それよりいい話があるんだよ、聞けって!」
「チッ、てめぇにゃもう付き合いきれねえ。いい話とやらは自分一人でなんとかするんだな!」
「ま、待ってくれ! あんたらが出してくれる元金がなきゃあ駄目なんだよ!」
「うるせぇ! ついてくんな!」
怒声の後に殴打音。チンピラ同士の喧嘩だろうか。しかしそれにしては内容が切羽詰まったもののようだ。きっと浮浪者の喧嘩なのだろう。
トシヤは一度足を止めた後、意を決して男の声が聞こえてきた路地を覗きこんだ。そこには予想通り殴られて倒れている浮浪者の姿があった。服はみずぼらしく、髪もごわごわで爪も伸びている。
しかし見てしまった以上はこのまま立ち去るというのも気が引ける。トシヤは浮浪者に歩み寄ると、彼に手を差し伸べた。
「大丈夫ですか」
「え? ああ、あんちゃんありがとよ」
男はトシヤの手を取って立ち上がる。伏せていた顔を持ち上げ、男とトシヤの目が合う。トシヤは一瞬息をするのを忘れた。
「――父さん?」
十数年前、自分と母を捨てた男の顔がそこにはあった。
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