最終話 ごちそうさま。お代は全てあちらの方に。 04
二歩ほど歩み寄ってから、トシヤはアマトの違和感に気付く。アマトは立ち止まったまま近づいて来ようとしない。それどころか顔色は真っ青で、全身はがたがたと震えている。
「――てください」
「アマト?」
「逃げてください、先輩!!」
ほとんど泣きそうな声でアマトは叫ぶ。そして何が起きたのかトシヤが把握する前に、彼女はアマトの後ろから姿を現した。
「動かないで」
「ひぃっ」
情けない悲鳴を上げてアマトは両手を上げる。アマトの後ろには――彼の後頭部に銃をつきつけた女性、トガクが立っていた。
――追手だ。アマトが後をつけられたのか。
咄嗟に身構えるも、アマトが人質に取られているのでは銃を構えることもできない。こう着状態の三人の間に沈黙が落ちる。トシヤは一度ごくりとつばを飲み込んだ後、トガクに対して交渉を試みた。
「ま、待ってください、トガクさん。あなたは俺たちを追ってきたんでしょう? アマトは関係ないんです。そいつも俺たちを追ってきただけで……だから、」
「だから、解放しろと? どうしようもなく甘い考えですね、ナメキ『元』捜査官」
元、という言葉を強調して言いながら、トガクは銃口をアマトの後頭部にごつんとぶつける。アマトは全身を硬直させながら、がたがたと震え続けた。
再びの長い沈黙の後、アマトは一人で百面相をした後、背後のトガクに向かって叫んだ。
「ち、違うんです、トガクさん! そもそも先輩たちは悪くないんです! 誰かに嵌められたんですって!」
「――嵌められた?」
「だって考えてもみてくださいよ! 普段あんなにネコのこと溺愛してる先輩がネコを売りとばすわけがないでしょう!?」
溺愛してない。
思わずそう指摘しそうになるのを飲みこんで、トシヤは事の成り行きを見つめることしかできなかった。トガクはじっとアマトの後頭部を見つめた後、トシヤの顔を見て、それから不意に銃口を下ろした。
「――分かりました、信じましょう」
「へっ!?」
「あなた方が自分のネコを売り渡すような人間ではないのは、私が一番よく知っていますから」
大きなため息を吐きながらトガクは言う。トシヤたちは何が起きたのか分からずに固まったままその言葉を聞いた。そんな二人に、トガクは鋭い視線を向けた。
「ただし怪しいと判断した時点であなた方の居場所を通報します。その場合、あなた方は全員射殺となりますのでお覚悟を」
*
「トガク管理官!?」
奥の部屋に二人を連れて戻ると、ロウは素っ頓狂な声を上げて驚いた。それもそうだ。トシヤもまさかトガクが協力してくれるだなんて思ってもみなかったのだから。もしかして何か裏があるんじゃないだろうな。ロウも同様のことを思ったらしく、トガクに向かって何かを言いかけた。
「あなたがここに来たってことはやっぱり……」
「げぇっ、増えてやがる!」
奥から薬やら何やらを抱えながら出てきた情報屋が苦々しい顔で叫ぶ。アマトはにへらと笑って情報屋に手を上げた。
「へへ、増えちゃいました。あ、メシ食います? 買ってきましたよ」
アマトは持っていた買い物袋から次々に食料を出していく。カップ麺、カップ麺、全部カップ麺だ。
「……アマト」
「はい!」
「俺はお前の食生活が心配なんだが」
「ええー! こういう時はやっぱりカップ麺でしょ!?」
トシヤはアマトの能天気な発言に頭が痛くなってよろめいた。
「ごっこ遊びじゃないんだぞ……」
「こういうのは空気からですって! 要らないなら食べなくてもいいんですよ!」
「要らないとは言っていないだろう。食べる」
引っ込めようとしたアマトの手からカップ麺を奪い取る。パッケージには「新発売!」の文字が躍っている。少しだけその表記に惹かれながら、情報屋が甲斐甲斐しく用意してくれたお湯を入れて、トシヤたち全員はカップ麺を食べ出した。
割り箸を割り、円筒型の容器に詰まった細いちぢれ麺を一気に吸い込む。時々カップ麺を店のラーメンに近づけようとする商品も見かけるが、自分はカップ麺とラーメンは別のジャンルだと思っている。
麺に絡んだとろみのないスープが口の中に広がり、ほとんど麺を噛まなくてもスムーズに麺を飲みこむことができる。スープを口に含んだ時に鼻をつくチープでジャンクな香りは癖になってしまいそうだ。
しかし新商品だというならもう少し冒険しても罰は当たらないのではないだろうか。そこを少しだけ不満に思いながら二口目を口に運ぶと、猛烈な勢いで麺もスープも完食したアマトが身を乗り出して尋ねてきた。
「ところでこうなった成り行きについて聞いてもいいっすかね」
「ああ、それは私も聞きたいところでした。ロウ捜査官、ナメキ捜査官。あなた方に何があったのです?」
たどたどしくカップ麺を啜っていたトガクもまた、ごくりと麺を飲み下して尋ねてくる。トシヤとロウは顔を見合わせ、これまであったことを簡潔に説明した。
チームの招集、管理システムの連行官との共同捜査、ミィたちからの通信、シンゴの裏切り、突然告げられた自分たちへの射殺命令。
「なるほど、大体わかりました」
「そんなの完全に言いがかりじゃないですか! 先輩たち何もしてないのに!」
「どうしてこんなことになったんでしょう。俺たち、恨まれるような真似した覚えはないんですが……」
「単純に目障りになったから、といったところでしょうね」
トシヤはきょとんと目を見開いた。その隣でベッドから体を起こすロウは、心当たりがあるようで軽く俯いている。
「自覚がないんですか?」
ぽかんとしたまま首を縦に振るトシヤに、トガクは大きくため息を吐いた。
「あなた方はネコを大切にしすぎたんです。ネコにあらゆるものを与え、まるで人間のように扱った。それはネコを物のように扱いたい連中には本当に目障りだったでしょうね」
「まさか……俺たちを嵌めた主犯は内部の人間だっていうんですか」
「射殺命令後の捜索網の広がりの早さから言ってほぼ間違いないかと」
全身に震えが走る。恐怖からのものではない。怒りによるものだ。確かにネコを物のように扱いたい人間の気持ちはよく分かる。かつての自分もそうだったように、ネコは人間を超える存在なのだから恐怖するのは当然だ。
だが、自分もミィと主従である一線は守っているつもりだ。それを他にとやかく言われる筋合いはない。ましてやそれを理由に仲間を嵌めようだななんて。そいつには捜査官としての任務の重要性が分かっていないのか。
拳を握りしめるトシヤに、トガクは再び大きなため息を吐いた。
「憤っている場合ではありませんよ。あなた方が逃げ回るだけなら話は簡単ですが、我々は既にネコたちを奪われているのですから」
その言葉にハッと正気づいたトシヤは、トガクに対して小さく「すいません」と謝った。だがトガクはそれを気にもせず、全員を見回した。
「まずはどうやってそいつらがネコたちを無効化したか考えましょう。通信の前、31番は発症者の姿になっていたのですね?」
「はい。対象を押さえ付けるために、なっていたはずです」
「ならば話は早い。使われたのはただの痺れ薬などではないでしょう。恐らくはヒミコの抑制剤。つまり――」
「――灰、ですか!」
「その通り」
トガクは頷く。トシヤは顎を触りながら考え始めた。
「ですが灰は地面に接した後、十数分で分解されて消えてしまうはずです。そんな、ネコたちを昏倒させるだけの量を集めるなんて……」
「そう、問題はそこですね。奴らはどうやって灰を集めたのか」
考え込むトシヤとトガクに対し、それまで黙り込んでいたロウは奥に座っていた情報屋を振りかえった。
「情報屋。17番たちが最後にいたはずの場所の辺りで何か情報はないか?」
「いいや、怪しい車が目撃されてる以外はなんにも」
情報屋は壁と一体化した端末をいじりながら答える。
「流石にナンバーまでは分からねえ。画像でも残ってれば話は別なんだが」
他の情報屋との連絡が終わったのか、情報屋は端末を叩くのを止め、うーんと伸びをする。全員の顔をきょろきょろと見比べていたアマトが、おそるおそる手を上げたのはその時だった。
「あー、すんません。ちょっといいっすか?」
全員の注目がアマトに集まる。アマトは照れくさそうににへらと笑った。
「情報屋さん、ちょっと俺にその端末貸してもらっていいですか」
「ああいいが……何に使うんだ坊主」
その問いには答えないまま、アマトは端末の前に座り、顔をしかめた。
「うわ、ふっる。骨董品じゃないですかこれ」
「うるせえな、中身は最新式なんだよ」
投影型のキーボードが主流の昨今において、確かに情報屋の使う鍵盤式のキーボードは希少だろう。アマトは最初、おそるおそるキーボードを叩いていたが、やがて音楽でも奏でるような軽やかさで指を動かしていった。
画面には次々と別のウィンドウが開いていく。その内容を見て、情報屋は顔を青くした。
「おいおいおい、お前なんだそれ」
「何って警察庁交通課の交通違反摘発用の監視カメラっすよー。街中に張り巡らされてるんす」
最後に開いたウィンドウではIDとパスワードの入力が求められていた。しかしアマトは何のためらいもなくそれを入力し――見事、ログインは完了してしまった。トシヤは顔を引きつらせながらアマトに尋ねる。
「アマト……お前そのIDとパスどうしたんだ」
「あーなんか交通課の女の子が前にくれたんです。親切な子もいたもんすよねえ」
――そういえばこいつ異様に女にモテるんだった。
渋い顔をしてトシヤは黙り込む。アマトは明るい顔でトシヤたちに振り向いた。
「それでネコたちが連れ去られた現場はどこなんでしたっけ、先輩?」
場所を伝えるとアマトは慣れた手つきで指定された場所と時間の映像を映し出した。流石にあちらも馬鹿ではないようで犯行現場は映っていなかったが、付近から走り去った車は少数だ。
目撃証言と照らし合わせてそのうちの一つのナンバーを突き止めたアマトは、これもまた「交通課の友達」に貰ったというIDで車のナンバーから所有者を検索した。長いような短いような検索の末、一件だけヒットした結果にアマトは飛び上がってガッツポーズをした。
「ビンゴっすよ、先輩!」
アマトは立ち上がって画面を指さす。
「灰の製造工場です!」
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