第7話 人魚肉の焼肉ぱーちー

第7話 人魚肉の焼肉ぱーちー 01

 ――その場所は、暗くて寒くてとにかく恐ろしかった。


 子供たちが入れられた部屋の中に、時折、大人たちがやってきては、誰かを連れていったり連れてきたりする。出ていった子供は大抵帰ってこない。外で何をされているのかも分からない。窓も時計もない小さな部屋に押し込められた僕たちは、いつその時が来るのかも分からないまま、震えて待つしかなかった。


 そんな日々が終わるのも突然のことだった。遠くで騒がしい音が響いたかと思えば、大勢の武装した大人たちが部屋になだれ込んできたのだ。僕たちはやっとこの恐ろしい時間が終わったのだと悟った。


 だけど僕はまだ動けずにいた。周りの子供たちが我先にと外に出ていくのを、部屋の隅で縮こまったまま震えて見ていることしかできなかった。


 怖い、怖い、怖い。


 僕は一度外に出て帰ってきた子供だった。だから外に何があるか知っていたのだ。

 白衣の大人たち、鎖のついた首輪、とても痛い注射、化物へと姿を変えていく仲間たち。


 外に出ればもう一度あれが待っている。そう思うと僕はどうしても立ち上がることができず、震える膝を改めてぎゅっと抱きしめて俯いた。


 かつかつと硬質な足音が僕に近づいてきたのはその時だった。足音の主は僕の目の前で立ち止まると、どうやら僕の前に膝をついてしゃがみこんだようだった。僕は俯いているのも恐ろしくなって、そっと顔を上げて足音の主を確かめた。そして、息をのんだ。


「もう大丈夫ですよ。私はあなたたちを助けに来たのです」


 そこにいたのは、見たこともないほど美しい女性だった。真っ黒な髪は短く、目は暗くてよく見えなかったがどうやら紫がかっているようだった。鼻はすっと通り、口は小さい。顔の造作だけを見ると冷たい印象を受ける女性だったが、そんな彼女は今、僕に向かって優しく微笑みかけているのだった。僕は何かを答えなければと思って、必死に言葉を探した。


「おっ……」

「お?」


 彼女は軽く首を傾げる。早く答えなければ、そうしなければこの人はどこかに行ってしまう。その前に伝えなければいけないことは、えっと。僕は必死に考えて――衝動のままに叫んだ。


「――お姉ちゃん、どこ住み? 彼氏いる!?」

「は?」


 彼女は間抜けな顔をして固まったようだった。僕はその隙を逃さず、パンツスーツ姿の彼女に飛びついた。


「僕、テンジョウ・アマト! ねえ、お姉ちゃんフリーなら僕と付き合おうよ!」

「は、離れなさい! 離しなさい!」

「やだ! お姉ちゃんが僕と付き合ってくれるまで離さない!」


 僕はもう恐ろしかったことなんて忘れてしまって、必死に彼女にしがみつき続けた。彼女はそんな僕をぶら下げて中腰になりながら、ちょうど近くを通りかかった男性に呼びかけた。


「ロウ捜査官! こいつをなんとかしてください!」


 呼び止められたがっしりとした体格の男性は立ち止まり、数秒動きを止めてから彼女に尋ねてきた。


「……何やってるんですか、トガク管理官」

「何でもいいからこれをなんとかしなさい!」


 ほとんど悲鳴に近い声で彼女は男性に言う。男性は胡乱な目をしながらもそれに頷き、僕に近寄ってくると僕の脇の下に手を入れて彼女から引き離してしまった。


「ほら、坊主。あんまりお姉さんに迷惑かけるなよー」


 そのままぶら下げられ、僕は運ばれていく。僕は渾身の力を込めて暴れながら叫んだ。


「やだーーーお姉ちゃんーーー!」





 『灰の街』中心部に程近い焼肉店。その店内では一組の客が真剣な面持ちで肉を焼いていた。


「は? 警備任務?」


 よく熱された網の上に肉を置いていたトシヤは、目の前の人物からの思わぬ言葉に素で聞き返してしまっていた。トシヤの目の前に座っているのはパンツスーツの女性、トガクだ。彼女はトシヤたち特務捜査官の上司に当たる存在である。


「はい、警備任務です。今回あなた方に守ってもらいたいのはこれです」


 トガクが差し出した大判の封筒をトシヤは若干嫌そうな顔をしながら受け取る。トシヤの隣ではミィが満面の笑みで肉と白米を頬張っている。


「一週間後、とある高級ホテルでオークションが行われます。そこに出品されるのがその品です」


 トシヤは封筒の中身を見ようとして――、一旦封筒を脇に置いて、トングを手に取った。話は大事だが、目の前で肉が焼けているのだ。無視はできない。


「ですが、その品を狙う不逞の輩がいるらしく、あなた方にはその方々からその品を守っていただきたいのです」


 トングで肉を挟み、ひっくり返す。表面にたまっていた赤い肉汁がこぼれ、網の隙間へと落ちていく。ひっくり返した裏側は絶妙な焼き加減になっていた。トシヤは神経質に肉を全て裏返した後、トングを置いてトガクに問いかけた。


「なんで俺たちがそんなことを……」


 トシヤたち特務捜査官の任務は「ヒミコ」関連の事件の処理だ。そんな「ヒミコ」とは何の関係もなさそうな事件を担当するのは不可解だった。


「上の決定です。文句は言わせません」

「ですが……」

「断らせませんよ。対価はもう受け取ったじゃないですか」


 ――対価? 一体何のことだ?

 トシヤは怪訝な眼差しをトガクに向けながらも、手は無意識に肉をトングで掴んで、ミィの皿の中へと入れていた。


「食べたじゃないですか」

「え?」

「だから、その対価です。この焼肉は」


 その言葉に、トシヤは一瞬固まり、それから傍らのミィを見た。ミィはトシヤの焼いた肉を美味しそうに頬張り、もぐもぐと噛み締めているところだった。


 おかしいとは思ったのだ。普段は特務捜査官とは最低限にしか関わろうとしない彼女がよりにもよってご飯に誘ってくるだなんて。トシヤはトングを置いて口元に手をやり――それから恐る恐る尋ねた。


「ところでこれって収賄じゃ……」

「上の指示です。上が悪いのです」


 飄々とトガクは答える。そしてそのまま立ち上がると、無表情のままトシヤに圧をかけてきた。


「それでは私はこれで失礼します。確かに、お願いしましたよ」


 すたすたと立ち去ろうとするトガクをトシヤは慌てて呼び止めた。


「ま、待ってください」

「何か?」


 トガクは立ち止まり振りかえってくる。ぱちぱちと炭が爆ぜる音を聞きながら、トシヤは顔をしかめながら尋ねた。


「特務部の人間を何人か借りてもいいですか」

「構いませんよ、どうぞご自由に」


 そう答えると、今度こそトガクは振り返ろうともせずに立ち去っていった。トシヤはしばらく立ち尽くし、何かを考えているようだったが、やがて何かを思いついたのかトガクの去っていった方を睨みつけたままでミィに言った。


「ミィ」

「んー?」

「好きなだけ食べていいぞ。今日は上のおごりだそうだ」

「ほんと!?」


 足をぶらつかせて次の肉を待っていたミィは、その言葉に目を輝かせると、大声で店員を呼んだ。


「店員さーん!」

「……あっ、はい! ご注文ですか?」


 厨房の方から駆け寄ってきた店員に、ミィはメニューを開いて注文を始める。


「えっとねえ、特上カルビ3つとねえ、ハラミとねえ……」


 対するトシヤは携帯端末を取り出して、とある番号をコールしていた。こういう面倒事に対処できて、ある程度気心の知れた相手となれば相手は限られてくる。コール音が響くこと五回。寝ぼけ眼で電話に出た相手に、トシヤは呼びかけた。


「もしもし、アマトか?」

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