第6話 任侠・義理親子丼物語 08(終)

 立入禁止の黄色のテープが張られた現場の程近く、警察車両の陰に隠れるようにして、トシヤは縁石に腰を下ろしていた。その顔は伏せられ表情を窺うことはできず、もう随分とそのまま動こうとしないトシヤのコートには、すっかり灰が積もってしまっている。そんなトシヤの目の前に、傘をさして現れた人物がいた。


「ナメキ・トシヤ捜査官。潜入任務ご苦労様でした」


 視線を上げると、ばさりと灰が落ちる。そこにいたのはトシヤの上官にあたる女性、トガクだった。


「任務は成功です。おめでとうございます」


 何の感慨もなくトガクは淡々とトシヤに伝える。トシヤはその目を見ていられず、トガクから顔を逸らした。


「……犠牲者が出たと聞きました」

「はい。突入時に特務捜査官一名、捜査官補佐一名が『ヒミコ』を散布され、『発症者』となりました」


 『発症者』となった。つまりそれは、殺処分の対象になったことを意味する。たとえそれが特務捜査官であってもそれは変わりはない。きっとその場に居合わせた特務捜査官の相棒のネコが引導を渡したのだろう。トシヤは再び目を伏せた。トガクは少しだけ首を傾げると、淡々とトシヤに言い放った。


「誰よりも前線に立ち、いくらでも替えの利くこの街の駒。それが特務捜査官です。無駄な感傷は捨てるように」

「……分かっています」


 そう、特務捜査官の生存率は低い。自分だって5年も続いているのは長い方なのだ。こんなことでいちいち立ち止まってはいられない。でも――


 トシヤは組んでいた両手にぎゅっと力を込めた後、立ち去ろうとしていたトガクを呼び止めた。


「トガクさん」

「なんでしょう」

「……ヤクザの連中はどうなりましたか」


 トガクは冷静な顔のまま即答した。


「全員が『発症』していたため、残らず射殺されました」

「……そうですか」


 そう答えるのが精一杯だった。顔を伏せてそれ以上何も言おうとしないトシヤを放置して、トガクはさっさとその場を立ち去ってしまう。残されたのは、しんしんと降り積もる灰と、足元を睨みつけたまま動こうとしないトシヤだけだ。


 警察車両の赤いランプがトシヤの横顔をちらちらと照らす。目の前を捜査員が行き来している。そんな中から軽やかな足音が近づいてきた。


「トシヤ!」


 足音の主――ミィはトシヤの膝に嬉しそうに抱きつき、それから彼の顔を覗きこんで不思議そうな顔をする。


「どうしたのトシヤ? おなかいたい?」


 数秒の間があった後、トシヤは顔を上げて無理矢理に笑った。


「いや、なんでもない。久しぶりだな、ミィ」

「うん、久しぶり! ミィ、張り込み頑張ったよ! えらい?」

「ああ、偉いぞ」


 トシヤはフードをかぶっていないミィの頭を優しく撫でた。ふわふわの髪の感触が手に伝わってくる。潜入捜査の間、ミィはいつでもバックアップに回れるようにトシヤの周囲にずっと張り込んでいたのだ。慣れない環境だっただろうに、問題一つ起こさず任務を全うしたのは素直に褒めるべきだろう。


 嬉しそうに撫でられるままになっているミィであったが、突然響いた腹の音に俯いておなかを撫でた。


「……おなかすいた」


 その様子にトシヤは少しだけ声を出して笑ってしまった。


 日常だ。俺は戻ってきたんだ。あちらは偽物で、こちらが本物だったんだ。トシヤは立ち上がるとコートを振って、灰を落とした。


「何か食って帰ろうか」

「うん!」


 目を輝かせてミィは答える。トシヤとミィは自然と手を繋いでいた。


「ごはん何にしようねー」

「そうだな――」


 トシヤは立ち止まり、灰の降る空を軽く見上げながら、白い息を吐きだした。


「親子丼以外なら、何でもいいぞ」

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