第6話 任侠・義理親子丼物語 07
ホテルの非常階段を駆け下り、ヤスゴとゼンキチはコートも羽織らずに灰の街へと転がり出る。ホテルの周辺は警察によって固められていた。制服警官の隙をついて、二人は夜の街を駆けていく。
どうするか。このまま組の事務所に戻りたいがきっとあちらにも捜査の手は及んでいるだろう。ならば適当なところに身を隠して、本部に連絡して拾ってもらうのを待つべきだろう。
ゼンキチはヤスゴを促して、たまたま近くにあった工事現場へと駆け込んだ。工事現場にはプレハブ小屋があり、その鍵をこじ開けて二人は中に身を隠す。
「しばらくはここでやり過ごし――げほっ、ごほっ」
「大丈夫か、ヤスゴ」
「へ、平気です。少しむせただけで」
口ではそう言っていたが、ヤスゴの顔は青ざめていた。まさかさっきのヤクを吸ったのか。だったらなおさら、ヤクが抜けるまでここにいるべきだろうな。
本部に連絡をし、十分、二十分。二人の間には沈黙が落ちる。外では遠くにサイレンの音が聞こえ、窓からは音もなく降りしきる灰と、かすかなネオンの光が見えた。俯いていたゼンキチは、顔を上げないままヤスゴに問いかけた。
「おい、ヤスゴ。本当はトシヤはどこに行ったんだ」
その問いにヤスゴは答えられなかった。ゼンキチは爪先を睨みつけながら言った。
「……トシヤが裏切り者だったんだな」
その言葉にヤスゴは一気に青ざめ、ゼンキチに食ってかかった。
「ち、違います!あいつはそういうことをする人間じゃあありません!」
「だがな、ヤスゴ。実際に……」
諭そうと顔を上げたゼンキチは、ヤスゴが今にも泣きそうな顔をしていることに気がついた。ゼンキチは再び顔を伏せた。
「いや、なんでもない。お前がそう言うんならそうなんだろうな」
信じられない気持ちは分かる。だがゼンキチはトシヤの裏切りに納得してもいた。
――ヤクザ者にしては甘すぎると思ったんだ。腕は立つが喧嘩慣れしていないし、暴力的なことを目の前にすると顔をしかめる。あれで裏社会を生き抜いてきたっていうんなら逆に驚きだ。
ゼンキチは片手で顔を覆うと、大きくため息を吐いた。俺も焼きが回ったな。こうなる前にとっとと処断しておけばよかったんだ。たとえ――ヤスゴが懐いている相手だったとしても。
ゼンキチは奥歯をぎりっと噛み締める。正面に座っていたヤスゴが息を荒げ、胸を搔き毟りながら倒れたのはその時だった。
「ヤスゴ? おい、ヤスゴ!」
慌てて駆け寄り、ゼンキチはヤスゴを助け起こす。ヤスゴは息も絶え絶えになりながら、ゼンキチを見上げた。
「兄貴、何か、俺おかしいんです、体が」
パキパキと何かが固まる音がする。見下ろすとヤスゴの手は見る見るうちに硬い鱗に覆われていった。こちらを見上げてくる顔も、徐々に鱗が浮かび上がり、口からは牙が覗き始める。
「うう、ううう」
ヤスゴは低く唸り、うずくまった。ヤスゴの体は盛り上がり、服が破けていく。
「兄貴、アニキ……」
何かを耐えるような表情でぎりぎりと歯を食いしばりながら、ヤスゴはゼンキチを見る。
「お願いします、俺を殺してください……」
何を言われたのか分からず、ゼンキチは頭が真っ白になる。殺す? 俺が、こいつを? ヤスゴは四本足で地面にへばりつきながら、必死に乞うた。
「腹が減って、仕方がないんです。このままじゃ、兄貴を殺しちまう」
ヤスゴはゼンキチから後ずさると、部屋の隅で体を縮こまらせた。そうしているうちにもヤスゴの体の変化は止まらず、もはやヤスゴの顔面に人間だったころの面影はどこにもなかった。
「殺してください、お願いです、俺を、殺してください」
――殺してくれ、殺してくれ。
部屋の隅でそう言ってすすり泣くヤスゴに、ゼンキチは一気に頭に血がのぼる思いがした。
「ば、馬鹿野郎!」
ゼンキチの怒声が、狭いプレハブ小屋に響き渡る。ヤスゴは伏せていた顔を上げた。
「できるわきゃねえだろ! 俺が、お前を殺すなんて!」
そうだ、できるわけがない。こいつは俺の家族なんだ。俺の可愛い弟分で、息子なんだ。
「一緒に逃げるぞ! 今はそんな姿になっちまったが、きっと元に戻る方法もあるはずだ! ほら立て!」
ゼンキチはヤスゴの腕を掴むと、無理矢理に立たせようとした。ヤスゴは怪物になってしまった目から涙をぼろぼろと流しながらそれに従おうとし――その時、激しい音を立てて、勢いよくプレハブ小屋のドアは開かれた。
ドアの向こうにいたのは、武装した警官たち。警官たちはヤスゴとゼンキチに銃口を向けると、迷わず引き金を――
「アニキ!」
ヤスゴは咄嗟にゼンキチを押し倒し、覆いかぶさる。直後、十数発の銃声がプレハブ小屋に鳴り響いた。
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