第6話 任侠・義理親子丼物語 06
突然のトシヤの言葉にヤスゴはきょとんとした顔をして問い返した。
「何言ってんだ、トシヤ。もう会合始まっちまうぞ」
しかしトシヤは何も答えない。ただ目を伏せて、それから踵を返してどこかへと立ち去ろうとした。
「おい、トシヤ!」
ヤスゴはその背中を呼び止める。トシヤは小さな声で再び謝った。
「すまない」
早足で去っていくトシヤの背中を――ヤスゴは何故か追いかけることができなかった。
*
ホウライ商事の連中を呼び出したホテルの一室で、ゼンキチはソファに座って考え込んでいた。奴らの提案に対するモトウオ組の答えは是だ。それほど奴らの提案は魅力的だった。
だが、この交渉の場でうまく立ち回らなければ、奴らに嘗められて条件を覆されてしまうかもしれない。この一件がうまくまとまるかは、ゼンキチの力量にかかっていた。
部屋のドアがノックされ、見張りに立っていた若い衆がドアを開ける。入ってきたのはヤスゴ一人だった。
「兄貴、今戻りました」
「おうヤスゴか。……トシヤはどうした」
「あー、トイレみたいっす。腹でも下したのかな、はは」
どこかぎこちない様子でそう笑うヤスゴに、ゼンキチは違和感を覚える。
「なんだ緊張してんのか、ヤスゴ」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですが……」
言葉では否定していても、やはりヤスゴの様子はおかしかった。しきりにドアの方を見ては、小さくため息をついている。ゼンキチにはその横顔は泣きそうな子供のようにすら見えた。
ゼンキチはううむと考え込むと、そわそわと視線を泳がせ、それからヤスゴの方を見ないで彼に話しかけた。
「ヤスゴ」
「は、はいっ!」
「なんだ、その……今夜は親子丼にするか」
「えっ、誰か組に入るんですか?」
素っ頓狂な声を上げるヤスゴに、ゼンキチは苦虫を噛み潰したような顔で続ける。
「ちげーよ、まあ、なんだ。お前がしけた顔してるからだよ!」
言ってしまってから照れくさくなり、だけど言ってしまったことをなかったことにするわけにもいかず、ゼンキチはぼそぼそと言った。
「お前好きだろ、親子丼」
その言葉の意味をヤスゴはゆっくりと咀嚼し、それから深くゼンキチに頭を下げた。
「ありがとうございます、兄貴。大丈夫です。もう大丈夫」
「……そうか」
ゼンキチはヤスゴの方を見ようともせずにそう答える。すると少し離れた場所に立たされていたナカタは心底可笑しそうに笑い出した。
「ほほほ、仲がよろしいのですね」
「黙ってろ、ホウライの!」
ゼンキチが声を荒げると、ナカタは「これは失礼」と芝居がかった仕草で謝罪してきた。その様子に苛立ちながらゼンキチは約束の相手を待ち――時間きっかりに部屋のドアは叩かれた。
「どうも、ホウライ商事から来た者です」
現れた痩せぎすの男性はそう名乗ると深く頭を下げた。手には銀色のアタッシュケースを持っている。しかしゼンキチが挨拶に応じる前に男は頭を上げると、早口でまくしたててきた。
「早速ですが、取引の話を――」
その言葉を遮るようにして、扉の外から騒がしい音が聞こえてきたのはその時だ。
「なんだ?」
ゼンキチはソファから立ち上がり、組員たちがゼンキチの周りを固める。その十数秒後、部屋のドアは音を立てて開かれた。
「動くな! 警察だ!」
なだれ込んできたのは、数名の警察官らしき男たちと一人の少女だった。
――何故子供がこんなところに?
その疑問を口にするよりも早く、目の前のホウライ商事の男は行動を起こした。アタッシュケースの上部についていたボタンを、素早く押し込んだのだ。
「兄貴!」
咄嗟にヤスゴはゼンキチに覆いかぶさる。その直後、何かが爆発する音が響き、辺り一面が白色に染められた。
「なんだ、粉か!?」
まさか件のヤクをばらまいたのか。視界が晴れてくると、アタッシュケースの近くにいた人間は全て床に倒れているのが見えてきた。だがそれだけではない。倒れていた人間の体が見る見るうちに肥大化し、全身に鱗が生えた化物へと姿を変えていったのだ。
「何だこれは、何がどうなって……」
「げほっ、兄貴、ご無事ですか」
自分に覆いかぶさっていたヤスゴが咳き込みながら尋ねてくる。化物たちはこちらを見つけると、ゆっくりとゼンキチたちとの距離を詰めてきた。
その時、化物に飛びかかっていった一つの小さな影があった。見間違いでなければ、突入してきたあの少女が姿を変えて化物へと襲い掛かったのだ。
「ガアアアア!」
すさまじい声を上げて化物たちはもみ合い始めた。その隙にゼンキチはヤスゴを助け起こした。
「逃げるぞヤスゴ!」
「は、はい、兄貴……!」
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