第6話 任侠・義理親子丼物語 02
「……トシヤです。よろしくお願いします」
そう言うとトシヤは、年下のヤスゴに対して丁寧に頭を下げた。どうやらこいつは礼儀ってもんがしっかりしているようだ。
「トシヤはここに来るのも初めてだからな、ヤスゴ、お前ちょっとこいつにここを案内してやってくれ」
「はい、兄貴!」
ヤスゴは上機嫌でそれに答え、丁寧だが仏頂面のトシヤを促して部屋から出ていった。
「一階と二階は普通の会社なんだ。まあ裏で扱ってる内容はやばいんだがな。で、今俺たちがいる三階から上が詰所兼居住スペース。ここで一番偉い若頭のゼンキチ兄貴が住んでて、護衛の奴らが交代で詰めてるんだ」
踊り場でそう話しながら、ヤスゴは階段へと足をかける。
「ま、俺みたいな特例はいるがな」
トシヤは一度きょとんとした顔をした後、ヤスゴに尋ね返してきた。
「ヤスゴさんはここに住んでるんですか?」
「まあな。ちょいと訳ありでね」
喋りながらも二人は階段を下り、一階のエントランスへと降りてきた。エントランスで控えていた見張りの男たちに手を軽く上げて挨拶をし、ヤスゴはトシヤを外へと連れていった。
「ついでだ。事務所の周りも案内してやるよ」
入口にかかっていた共用のコートを羽織って二人は外に出ていく。ビルの外にはいつも通り灰がちらつき、二人に向かってびゅうと風が吹き付けてきた。
「おー、さむっ! 最近冷えてきたなあ」
「そうですね」
コートの前を閉めて背中を丸めながら二人は歩き出す。歓楽街の片隅にある組の事務所は、一歩外に出るだけで騒がしい呼び込みの音声が響いてくる。二人は連れ立って2ブロックほど歩き、不意にヤスゴは切り出した。
「どうして一旦あそこから追い出されたのか不思議に思ってんだろ」
その問いにトシヤは戸惑いの表情で返した。どうやらどんな顔をすればいいか迷っているようだ。そんなトシヤにヤスゴはにっと笑いかけた。
「いつもチンピラから構成員に格上げする時にゃ、決まって親子丼を作ることになってんのさ。それを作ってる最中だから追い出されたって訳だ」
「親子丼、ですか」
「そうさ。義理の家族になるんだから、って意味を込めてな!」
まるで子供へのサプライズだ、とでも思っているのだろう。トシヤは相変わらず困惑した表情のままだった。だが、それを声に出さないのは彼の優しさだろうか。なかなか話の分かる奴だと、ヤスゴはいい気分になって空を見上げた。
「懐かしいなあ。俺の時も親子丼作ってもらってさ」
今でも鮮明に思い出せる。両親のいなくなった家、やってきた厳つい男たち、頭を撫でてくれた兄貴の大きな手。
「親に捨てられた俺を拾ってくれたのがゼンキチ兄貴なんだ。だから俺はゼンキチ兄貴のためならなんだってするんだぜ」
吐き出す息が白い。もう冬も半ばぐらいだろうか。無邪気に語るヤスゴをよそに、傍らのトシヤは無言のままだった。
「トシヤ、お前は家族はいるのか?」
ふとヤスゴに尋ねられ、トシヤは足を止める。その仏頂面には初めて動揺らしきものが浮かんでいた。
「いえ。父は幼い頃蒸発して、母も数年前に……」
「そうか。悪いこと聞いたな」
ヤスゴは自分より高い位置のトシヤの肩にぽんと手を置く。トシヤは少しの間ヤスゴから目を逸らしていたが、気を取り直したのかヤスゴに何かを言おうとした。
しかしその時飛んできた明るい声がそれを遮った。
「あっ、トシヤだー! おーい!」
5,6メートルほど先から手を振ってきたのは6歳ぐらいの一人の少女だった。
「ミィ」
トシヤは少女の名前を呼んで軽く手を振りかえし、ヤスゴはそんなトシヤを怪訝な目で見た。
「知り合いか?」
「あ、ああ、まあ」
手を振って気が済んだのか、ミィと呼ばれた少女はそのままどこかへと去っていった。
「近所の子供です。たまに遊んでやったりしてるんです」
そう言うトシヤの顔はとても優しく、ヤスゴは咄嗟に何も言い返すことができなかった。そのまま二人は事務所へと戻り――三階への階段を上りながらヤスゴは切り出した。
「トシヤ。……お前、ヤクザ向いてねえよ」
「そうですか?」
「そうだって。今からでも遅くねえ。兄貴にかけあってやるからヤクザなんてやめちまえ」
あんな優しい顔ができる奴が生きていける世界じゃない。確かにこの世界に人情は不可欠だが、それ以上の優しさは命取りだ。ヤスゴは100%の善意でそうやって忠告した。しかしトシヤは目を伏せてそれを否定するのだった。
「……それでも、俺にはここでやらなきゃならないことがあるんです」
「そうか」
そこまで言うのなら、引き下がれない何かがこいつにもあるのだろう。そうやって納得したヤスゴはふっと笑い、それから三階のドアを勢いよく開けた。
「じゃあこれからよろしくな、トシヤ!」
開けたドアの先からは、美味しそうな親子丼の匂いが漂ってきていた。
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