第6話 任侠・義理親子丼物語

第6話 任侠・義理親子丼物語 01

 ごとりと目の前にどんぶりが置かれる。真っ黒なソファの上で縮こまっていた少年、ヤスゴはその音にびくりと肩を震わせた。


 そもそもヤスゴがこの事務所に連れてこられた理由は、彼自身にも分かっていなかった。ただ分かっているのは、自分が学校から帰ったら両親がどこにもいなかったこと。そして、残されていた手紙によれば、両親には多額の借金があったということだけ。


 その後やってきた人相の悪い男たちに、10歳のヤスゴは真っ黒な車へと押し込められ、とあるビルにある事務所へと連れてこられた。


 その事務所はまるで普通の会社のようになっている下階と、居住スペースのようになっている上階に分かれているようであった。


 手を引かれて会社の階を通り過ぎたヤスゴは大きなソファと机のある応接スペースへと通され、ソファに座らされた。


 これから何をされるんだろう。父母はいなくなってしまったし、きっと借金の相手はこの大人たちで、するとここはきっとヤクザの事務所だ。


 自分は違法な場所で働かされるんだろうか。工場だとか、漁だとか、風俗だとか。それとも、親の責任を取って殺されるんだろうか。


 そんな想像が頭を駆け巡り、ヤスゴはソファの上でぶるぶると震え続けた。


 しばらくそうしていると事務所の奥の方からなんだかいい匂いが漂ってきた。多分これは醤油を熱した香ばしい匂いだ。それは育ち盛りの、そして両親がいなくなって腹を空かせていたヤスゴの胃には、魅力的すぎる匂いだった。


 生唾を飲み込んでそちらを注視していると、やがて一人の男性が奥の部屋から姿を現した。ヤスゴはひっと声を上げて俯き――そうしているうちに目の前の机に無言でどんぶりが置かれたという次第だった。


 ちらっと視線を上げると、顔に傷のある厳つい男が向かいのソファに座ったところだった。男はヤスゴの視線に気づくと、不思議そうにこちらに尋ねてきた。


「なんだ、食わないのか?」

「えっ」

「……食わないと冷めちまうだろうが」

「た、食べます! 食べさせていただきます!」


 ヤスゴは慌てて箸を取ると、どんぶりに向かって手を合わせた。


「いただきます」


 どんぶりの蓋をあけるとそこにあったのは鮮やかな黄色だった。つゆをよく吸ってつやつやになった卵、それに絡められた大きく切られた肉、ゴロゴロと入っている玉ねぎ。それは――明らかにレトルトではない本格的な親子丼だった。


 それを見た瞬間、抱いていたはずの怯えや警戒心をヤスゴはすっかり忘れてしまい、どんぶりを持ち上げて夢中でそれを掻きこみはじめた。


 口に入れた瞬間、半熟の卵と醤油と出汁の香りが口いっぱいに広がる。噛み締めると、鶏肉からじゅわっと肉の旨味が溢れ出て、ヤスゴはハフハフと口の中でそれを冷ましながら食べ進めていった。しゃきしゃきの玉ねぎ、ほろりととろける脂身。どれも涙が出そうになる程美味しくて、ヤスゴは一度も箸を止めることのないまま、親子丼を食べ終わった。


「ごちそうさまでした」

「おう、美味かったか?」


 目の前のいかにもヤクザですといった顔の男にそう問われ、ヤスゴは一気に現実に引き戻される。ヤスゴは震えながらそれに答えた。


「は、はい! 美味しかったです……」

「……そうか」


 男はほんの僅かだけ口角を上げて微笑んだ――ように見えた。そして、背の低いヤスゴに視線を合わせるためなのか前かがみになり、ヤスゴに話しかけてきた。


「とりあえず今お前が置かれてる状況について説明すべきだろうな」


 ヤスゴはびくりと肩を震わせた。


「お前の父ちゃんと母ちゃんは俺たちモトウオ組に借金があった。奴ら借金を繰り返しててな、ついに首が回らなくなってお前を借金のカタに売り飛ばしたいと言い出した」


 机をじっと見ていたヤスゴは目を見開いた。


「それってつまり――僕は売られたってことですか」


 震える声で尋ねる。涙がこみ上げてくる。売られた。僕はついに捨てられてしまったんだ。暴力ばかり振るう親だったが、自分にとってはかけがえのない両親だったのに。男は大きくため息をついた。


「まあそうなるな。だが俺たちはそれを許さなかった。……自分の子供を売り飛ばすような外道にかける情けはないからな。この先一生かけて借金を返し続けられる場所に行ってもらったよ。で、お前の処遇だが……」


 思いもよらない方向に話が進み、ヤスゴは恐る恐る顔を上げた。男は真剣な眼差しでヤスゴを見ていた。


「お前、俺たちと一緒に住まないか?」

「……え?」

「困ってるガキを放っておけるほどモトウオ組は落ちてねえ。だがお前をそういう施設に預けようものなら足がつくかもしれねえ。だからそのなんだ」


 男は頰の傷を照れくさそうにかいた後、こう切り出した。


「坊主、俺たちと家族にならないか」


 ヤスゴはきょとんと目を丸くして、繰り返した。


「家族?」

「そうだ。家族だ。弱い奴には優しく、困った時は互いに助け合う、そんな家族になろう」


 それを聞いた途端、何故だか涙が溢れてきた。僕はここにいていいんだ。こんな優しい人たちの家族になれるんだ。


 しゃくり上げるヤスゴの頭を、男は無骨な手のひらでぽんぽんと撫でた。


「俺はゼンキチ。今日からお前は、俺たちの家族だ」





 十年後、二十歳になったヤスゴは近所のスーパーで買い出しをしていた。鶏肉に卵に玉ねぎ。なんとなく今日の晩飯は想像がついた。そしてこのメニューが来るということは――つまり俺たちに家族が増えるということだ。


 上機嫌のままレジを通り、コートを着て店の外に出る。近道をしようと細い道に入っていくと、ヤスゴはそこにたむろしていたチンピラに目をつけられた。


「おいそこの兄ちゃん、俺たちに飯奢ってくれよ」


 コートの上からではやせっぽちにみえるヤスゴになら勝てると思ったのだろう。こちらを取り囲み、胸ぐらを掴んできた三人の男に、ヤスゴは鼻を鳴らした。


「やめとけよゴロツキ。今なら見逃してやるぞ」

「ああ? なんだとテメェ!」


 かなり短気な性格だったのだろう。軽い挑発に乗ってこちらに殴りかかってきた男の拳を軽く受け止めると、ヤスゴはそれを片手で投げ飛ばした。地面に背中を打ち付けた男は声も出せずに悶絶する。


 そんな男に蹴りを1発くれてやってから、ヤスゴは残りの男たちを一瞥した。


「俺たちモトウオ組に喧嘩を売るたぁいい度胸してるじゃねえか」

「モ、モトウオ組!?」

「やべぇよ、本物のヤクザだ!」


 二人の男は悶絶する足元の男を置いて逃げ去っていった。ヤスゴは再びふんと鼻を鳴らすと、軽い足取りで事務所へと戻っていった。


 事務所には予想通り、幹部が数人集まっていた。誰も彼も見るからに脛に傷を持つ風貌をしていたが、ヤスゴは臆することなくその輪の中へと入っていった。


「ただいま戻りました、ゼンキチ兄貴!」

「おおヤスゴか! お前にも紹介しなきゃな、ほらこいつだ」


 ゼンキチが指差してきたのは、彼の後ろに立っていた三十手前ほどに見える強面の男性だった。かなり身長は高く、目つきも鋭い。カタギの人間ではない雰囲気を醸し出す男だった。


「こいつは今日からこの事務所に出入りすることになったトシヤだ。まあ、よろしくしてやってくれ」

「……トシヤです。よろしくお願いします」

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