第5話 25年目のオムライス 07

 すさまじい爆風で吹き飛ばされていた私は、数秒間、何が起こったのか分からずに硬直していた。やがて自分の上に乗っているのが、テーブルだということに気づき、どうやら至近距離で爆発が起きたらしいということを理解した私は、テーブルを跳ね除けて起き上がった。


「マスター……?」


 店内は惨憺たるありさまだった。爆発があったと思われる廊下には割れたガラスが飛び散り、爆風で吹き飛んだ椅子や机、そして人間が転がっている。その中の一人を見つけ、私は悲鳴を上げた。


「マスター!!」


 慌てて駆け寄り、肩を揺する。返事はない。息はある。だけど細かいガラスの破片がたくさん突き刺さって大けがをしている。どうしよう、どうすれば。

 冷静に状況を判断しようとしているのに、混乱で頭がぐちゃぐちゃになってしまう。


 私のせいだ。私が甘ったれた考えを持ったから、警戒を怠ったからこんなことに。

 唇を噛み締める。震える手を握りこむ。――その時、店の入口から破壊音が聞こえてきて、私は振り向いた。


「発症者……!?」


 そこにいたのは、鱗に覆われた巨大な化物――発症者だった。誰が、何のために発症者を放ったのか。立て続けに襲い来る出来事の嵐に、私の思考は混乱を極める。


 だけど、発症者が首をめぐらせ、倒れていた人間の内の一人にゆっくりと歩み寄り始めた時、私はなすべきことをはっきりと自覚した。


 戦わなければ、私はネコなのだから。


 気を失っているマスターのポケットを探り、「ヒミコ」の錠剤が入ったケースを取り出す。ケースの中の錠剤を全て口に放り込み、噛み砕く。継続時間はありったけ。戦えるだけ戦わなければ。


 内側から盛り上がってくる肉に、ワンピースが引きちぎられていく。5番殿に結ってもらった髪がほどけ、マスターに貰ったネックレスがはじけ飛んで指輪はどこかに飛んでいく。


 私はネコだ。私は化物だ。こんなもの必要なかったんだ。浮かれている場合じゃなかったんだ。私がそんなことにかまけているから、マスターは、マスターは……!


 後悔と自責心が咆哮となって吐き出され、それに気づいた発症者がこちらに顔を向ける。私は四つ足で踏ん張ると、一気に発症者へと飛びかかった。


 先手を取って押し倒す。しかし、喉を噛み砕こうとした牙は咄嗟に持ち上げられた腕に阻まれてしまう。私は発症者の腕に牙を食いこませ、横へと払った。がら空きになった顔面に拳を叩きこむ。ひるんだのか、発症者は一瞬反応が遅れた。その隙をついて私は発症者の首に食らいつき、思いきり顎に力を込めた。


 ゴキ、と重い音がして、発症者の首がへし折れる。いかに頑丈な発症者であっても、元は人間だ。首が折れてしまえばそう簡単に再生はしない。動きが鈍った発症者の首にさらに食らいつき、念入りに絶命させる。しかしその時、飛びかかってきた何者かによって私の体は吹き飛ばされた。


「グウウウウ!」


 唸り声を上げてそちらを見ると、そこにはもう一体無傷の発症者の姿があった。発症者は私を見ると、天を仰いで雄たけびを上げた。きっと増援を呼ばれたのだろう。だけど退くわけにはいかない。ここには守るべき人間と――マスターがいるのだから。


 飛びかかり、押し倒す。急所は首だ。私の力ではそれ以外は狙えない。一人仕留めた。また飛びかかる。よけられる。視界の端に増援が映る。突進される。体を掴まれ、投げ飛ばされる。壁に叩きつけられる。骨が折れた音がする。だけど平気だ。すぐに繋がる。雄たけびを上げる。突進する。もう一人仕留めた。敵はまだいる――


 十分だったのか、それとも数十分だったのか。私はそれを続けていたが、不意に体の違和感に気付いて動きを止めた。

 力が弱まっている。違う、体が縮んでいる。


 ――時間切れだ。


「あぐっ……!」


 敵に殴り飛ばされ、ガラスだらけの地面を転がっていく。大きく咳き込んで、息を整え終わる頃には、私の体は元の少女の姿へと戻ってしまっていた。


 発症者たちが一歩一歩こちらに近付いてくる。

 薬はもうない。

 床には指輪が転がっている。背後にはぴくりとも動かないマスターが倒れている。

 私はよだれを垂らす化物たちに見下ろされ、不意に――怖くなった。


 全身に震えが走る。奥歯ががちがちと鳴る。化物がこちらに手を伸ばしてくる。足元には指輪が落ちている。怖い。足が動かない。化物から目が逸らせない。怖い、嫌だ。


 嫌だ、死にたくない。死ぬのが怖い!


 ――その時、店に飛び込んできた何者かによって、発症者たちはまとめて吹き飛ばされた。


「うらああああ!」


 どこか気の抜ける咆哮とともに、飛び込んできた彼女は発症者たちを屠っていく。ほんの数十秒かけて奴らを文字通り「叩き潰した」少女は、全てを終わらせた後、へたりこんでいる私に駆け寄ってきた。


「イナちゃん無事!?」

「5番殿……」


 私は呆けた顔でそれを迎えた後、5番殿に縋り付いて情けなく泣いてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る