第5話 25年目のオムライス 05

 数時間後、ナナガ町にある大規模ショッピングモール「ナナガトキ」の一階に私は立っていた。ここは灰の影響を受けずに屋内で買い物を楽しめるこの街有数のレジャースポットで――5番殿に勝手に決められたマスターとの待ち合わせの場所だ。


 今日はちょうど休日のようで、周囲はコートを脱いでおしゃれをした人間であふれている。そんな中で一人、私は居心地の悪さを感じながら視線を泳がせていた。


 任務として数度張り込んだことはあるが、利用者として来るのは初めてだ。私なんかがこの場所にいていいのだろうか。こんな真っ当なが来るべき場所に。


「ああ、いたいた。待たせて悪かったな、17番」

「マスター」


 顔を上げると、そこにはこちらに歩み寄ってくるマスターの姿があった。マスターもいつもの味気ないコート姿ではなく、ラフだが小洒落た格好をしている。


「可愛い服だな、どうしたんだ?」


 マスターに見下ろされ、私は極力平静な顔を作って答えた。


「5番殿にデートだと言われまして」


 きょとんとした顔をするマスターの顔を直視できず、私は目を逸らして俯いた。


「……何をすればいいのか全く分かりません」


 そんな私に、マスターは「そうか」とだけ言うと、突然私の手を握って歩き出した。


「マ、マスター?」


 突然のマスターの行動についていけず、つんのめりながら私は尋ねる。マスターは立ち止まって、私のことを優しく見下ろしてきた。


「デートだっていうなら手を繋ぐべきだろう」

「繋ぐべき、ですか」


 そうだ。私は5番殿の命令でデートをしに来たんだ。だったらデートらしいことをするのは当然だし仕方のないことだ。


「そういうことなら……」


 渋々と頷き、そっとマスターの手を握り返す。マスターは妙に子供っぽい表情でにっと笑うと、私の手を引いて再び歩き出した。


「しかしデートか、何十年ぶりだろうな」

「以前されたことがあるのですか?」

「ああ、まだ十代だったころに……いや、デート中に前のデートの話をするなんて無粋だったな、忘れてくれ」

「はあ……」


 上機嫌に歩みを進めるマスターに困惑しながら私はついていく。マスターは一体何を考えているのだろうか。突然デートをしろだなんて言われて困惑しているはずなのに。


「17番、どこか行きたいところはあるか?」

「いえ、別に……」

「そうか……」


 そう言ったっきり、マスターは黙って考え込んでしまった。

 ――失敗した。マスターを困らせてしまった。

 焦った私が何か言葉を繋げようとしたその時、マスターは私に振り向いて笑った。


「そうだ、思い出した! 俺はちょうど映画に行きたいと思っていたんだ!」

「え?」

「よし、行こう! 今すぐ行こう!」


 マスターの勢いにおされて、私は手を引かれるまま映画館へとついていく。

 映画館で上映されていたのは、最終戦争前の豊かな時代に撮影された古いラブストーリーだった。今とは違う時代、今とは違う価値観、今とは違う空。


「つまらなかったか……?」

「いえ、その……」


 映画館を出た後、おそるおそるそうやって問われ、私は必死に言葉を探した。


「え、映画を見るのは初めてだったので……興味深かったです」

「……そうか! それはよかった!」


 私の言葉にマスターは満足したらしく、ほっと胸を撫で下ろしたようだった。


「次はどこに行こうな」


 そう問いかけられても私には適切な答えを返すことはできなかった。こんなことをするだなんて生まれて初めてで、本当に行きたいところなど分からなかったのだ。困って俯く私に、マスターは再び問いかけてきた。


「そうだな、服は……今日新しいの買ってもらったばかりだろうから、アクセサリーなんてどうだ?」

「アクセサリー、ですか」

「ああ、似合うと思うぞ。17番はかわいいからな」

「か、かわっ……!」


 真っ赤になった私に気付いているのかいないのか、マスターはマイペースに私の手を引いてアクセサリーショップへと向かっていった。


「いらっしゃいませ。今日は――娘さんとお出かけですか?」

「いや、デートなんです。……な?」

「はい……」


 依然赤いままの顔を伏せて、私は答える。マスターと店員は二言三言会話をすると、私をショーケースの前へとつれていった。ショーケースの中には銀色の指輪がずらりと並んでいる。


「欲しいものはあるか? 何でもいいぞ?」

「……わ、分かりません。こういうものの価値は教わっていないので」


 困り果ててマスターを見上げると、マスターは顎に手を当ててふむと考え込んだ。


「俺はこれがいいと思うな。ちょっとつけてみてくれないか?」


 マスターが指さしたのはシンプルながら小さく花のモチーフがついた銀の指輪だった。指示されるままに店員がそれを取り出し、私の指にはめる。一番小さいサイズだというその指輪は、それでも子供の指には大きくぶかぶかだった。


 だけど私は手を持ち上げて、指輪をじっと見つめた。指輪は照明を反射してきらきらと輝いていた。


「うん、やっぱりそれがいいな。買おう。決まりだ!」


 覗きこんできたマスターがうんうんと頷く。私は慌ててそれを制した。


「でも、私ばっかりこんな……」


 自分ばかり貰ってしまって居心地が悪い、と主張すると、マスターは少しだけ考え込んだ後に言った。


「じゃあ俺も買おう」

「え?」

「おそろいだ」


 おそろい。その言葉はとても魅力的な響きで私の鼓膜を揺らした。咄嗟に言い返せないでいるうちに、マスターは店員と話を終わらせて、私の目の前には小さな指輪とネックレス用のチェーンだけが残された。


「失くさないように首からかけておこうな」


 反論する暇も与えられず、私の首にネックレスはかけられる。マスターもまた、似た形をした男性ものの指輪を選ぶと、指にはめた。


 と、その時、店の外から妙な匂いがした気がして私は振り返った。店の前を通っていったのはカートを押す清掃員姿の男女だ。

 妙だ。今の匂いは確か――


「どうした、17番」


 急に目の前にマスターの顔が現れ、心臓が跳ね上がる音が聞こえた気がした。硬直する私の額にマスターは触れてくる。


「顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないか?」

「な、なんでもありません」


 緊張で頬が熱くなるのを感じながらそう答え、再び振り返った時には――店の前には既に誰の姿もなかった。

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