第5話 25年目のオムライス 02

 いくら人によって造られたネコとはいえ精神的な負荷がかかれば成績が悪くなることもある。


 無実の人を殺したことへの罪悪感、血を見ることが好きではない個体、捜査官との軋轢、虐待。それらの問題やストレスを軽減するために不定期に行われている聞き取り調査を俗に「女子会」と呼んでいる。


 手をかざして生体認証によってドアを開ける。ここから先はネコしか入ることのできない秘密の部屋だ。開いたドアの先には柔らかな明るい色で構成された――端的に言ってしまえば、人間の女児が好みそうな部屋が広がっていた。


 壁紙の色は水色、足元のフローリングに敷かれたピンクのマットにはデフォルメされたキャラクターが印刷され、部屋の中央には可愛らしい装飾の椅子と机が置いてあった。その椅子に座っていた人物に、私は露骨に顔を歪めた。


 よりにもよって、こいつと同室か。


「あっ、イナちゃんだ! おーい、イナちゃーん!」

「イナちゃんじゃありません。17番です」


 手を振ってくる31番に冷静な顔を作りながら歩み寄る。すると、いつのまに部屋に入ってきたのか、私の後ろから抱きついてきた人物がいた。


「ええ? いいじゃないか、イナちゃん。可愛い名前だと思うけどなあ」

「……5番殿」

「ごーちゃんって呼んでっていつも言ってるでしょ、イナちゃん頭がかたいんだからー」


 彼女はネコでありながら特務部の幹部でもある人物、5番殿だ。見た目は通常のネコよりも背が高く、10歳ほどの少女に見えた。


「ほら、座って座って」


 5番殿に急かされて、可愛らしい椅子に腰かける。目の前の机には、ネコ用の固形食料と紅茶、それから人間用のお菓子が積み上げてあった。


「2人とも直接会うのは2か月ぶりぐらいかな? 元気にしてた?」

「ミィ、元気ー!」


 手を振り上げて31番は答える。5番殿は椅子に腰かけながら相好を崩した。


「うんうん、ミィミィはいつも元気だね。イナちゃんはどう? 体調が悪いとか悩み事があるとか――」

「自己管理は万全です。ネコとしての機能低下はありません」


 5番殿は苦笑いをした。


「機能低下って……また味気ない言い方するなあ」

「ネコにとって大事なのはそこでしょう? 訓練も実践も滞りなく行えています」


 そうやって私が言うと、5番殿はじっと私の方を見つめてきた。その目に何もかも見透かされている気がして、私はそっと目を逸らす。


「……まあ、いいけどね。じゃあ女子会を始めようか」


 5番殿は私から視線を逸らし、31番の方へと目をやった。私は密かに胸を撫で下ろした。


「ミィミィ、最近楽しかったことあるー?」


 31番はちょっとだけ考えると、手を上げて元気よく答えた。


「トシヤとハロウィンしたー!」

「いいねえ、ハロウィン。どんなことをしたんだい?」

「仮装してね、お菓子配ってね、あと、一緒にお菓子作った! クッキー!」

「おお、クッキーか。すごいなあの子、何でも作れちゃうんだ。今度マフィンとか作らせてみようかな、上官命令で」


 さらりと職権乱用発言をする5番殿の言葉を聞かなかったふりをして、私は机に置かれた固形食料に手を伸ばす。31番と5番殿は紅茶のカップを手に取っていた。


「そういえばハロウィンの作戦にはイナちゃんも参加していたね? 変わったことはなかったかな?」

「……変わったことですか」


 私は固形食料を口に運びかけていた手を止めて、考え込んだ。あの任務は特に妙なことはなかったはずだ。でも、特筆すべきことといえば一つだけ。


「トシヤから貰った煮物を、マスターのもとに運びました。押し付けられた形でしたので収賄にはあたらないと考えます」

「ほう、煮物か。それをロウは食べたんだね?」

「はい」

「それを見て、イナちゃんはどう思った?」

「どうって……」


 咄嗟に答えられず言葉に詰まる。そうだ、あの時感じた感情は――


「……嬉しかった、です」

「何故?」

「……マスターが喜んでいたから」


 ぼそぼそと小声で答える。何故か頭に血が上り、顔が真っ赤になるのを感じる。それがどうにも恥ずかしくて俯いてると、ふと31番がじっとこちらを見つめているのに気がついた。


「……なんですか、31番」


 冷たい声で尋ねると、31番は何も考えていなさそうな顔で首を傾げた。


「イナちゃんってロウのこと、好きなの?」

「…………は!?」


 突然の問いかけに、私の思考はフリーズして素っ頓狂な声を上げてしまっていた。そんな私を置いて、2人は和気藹々と話しはじめる。


「あのね、好きな人のことを考えると顔が真っ赤になるんだよ!」

「おやおや。ミィミィったら、どこでそんな情報を仕入れてきたんだい?」

「昔の漫画!」

「あっはっは! 漫画か! トシヤったら君にそんなものまで与えているんだね」

「読んじゃだめだった?」

「いいや、存分に読むといい。ミィミィが読みたくて読んでるんだろ?」

「うん! ミィ、漫画好きー!」


 2人の会話が耳に入らないほど、私は動揺していた。思考がぐるぐると回り、はっきりとした答えが出ない。私はマスターのことが好き? それってどういう意味で?


「それで、イナちゃんはロウのことどう思ってるんだい?」


 5番殿が私に問いかける。私は目を泳がせて、必死に考えた挙句、絞り出すように答えた。


「……嫌いではないです」

「ふふふ、煮え切らない回答だね。実際のところ、恋しちゃってるんじゃないのー?」

「こ、恋……!?」


 にんまりと笑った5番殿のその問いかけに、私はいよいよ思考がぐちゃぐちゃになって何も返事ができなくなってしまった。おかしい。私は精神を安定させるためにこの部屋に来たはずなのに、どうしてこんな目に。


 5番殿は紅茶のカップを机に置くと、びしっと私を指さしてきた。


「よし上官命令だ。イナちゃん、君はロウ捜査官とデートしなさい!」

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