第5話 25年目のオムライス
第5話 25年目のオムライス 01
最初の記憶は、息苦しく、生温かい感触だった。
目を閉じていても自分の状態はなんとなく理解できた。まず自分にはほとんど体毛が生えていないようだ。その代わりに細いコードの先端が全身にへばりついている。口の中には太い管が固定され、どこか遠くでピッピッと規則正しい音が聞こえた。
遠くで聞こえるざわめき、枷が外れる音、私を包んでいた生温い何かが急激に下に落ち、それにしたがって私の体もずるずると落ちていった。
べちゃりと音を立てて、私の体は外界へと引きずり出される。口の中に固定されていた管が外され、私は自発呼吸を始める。震える手足を駆使して、私は起き上がり、目を開いた。
そこには白衣を着た人間たちが大勢いた。人間たちは私を興味深そうに覗きこんでいた。私は自分の体を見下ろした。べたべたとした透明な液体が全身にへばりついていた。
自分はパッケージングされた羊水の中にいたのだと、私はすぐに理解した。そうやってあらかじめ知識を与えられていた。
私は17番。発症者を狩るために作られた「ネコ」という化け物。私は人間に服従し、人間のために生きなければならない。
「おはよう。そしておめでとう、17-P。君が正式な17番だ」
目の前の人間が私に声をかけた。私は彼の言葉に従って、後ろを振り向いた。
その時の光景を、私はずっと忘れることができない。
十数人もの「私」がそこにはぶらさがっていた。パッケージングされた羊水の中で、目を閉じて、指先一つ動かさず、それでも確かに息をしていた。彼女たちは「私」だった。まごうことなき「私」だった。
私は理解した。理解してしまった。
私は偶然、最も優秀な個体であっただけだ。偶然、最も最後に作られ、偶然、他の個体よりも性能が良かっただけだ。そうでなければ私は、今からごみのように処分される失敗作と同じだったのだ。
目の前で用済みになり、生命維持装置を切られていく姉妹たちを見て――、私は何もすることができなかった。
*
「17番、訓練を開始します」
訓練場に硬質な音声が響き渡り、私は目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。どんな些細な音でもいい。聞き逃すわけにはいかない。
息を止めて、耳を澄ませて数十秒。空調の音。雨どいから水滴が垂れる音。開きかけた金属の戸が軋む音。――アスファルトを何者かが蹴る音。
――いた!
私は目を開くと、地面を蹴って駆けだした。逃がすわけにはいかない。一瞬でも早く捕まえなければ。焦る気持ちを押し隠し、足音の主が通るであろうルートを予想する。私の足では追いつけない。ならば、待ち伏せして捕まえるしかない。
息を殺して数十秒。標的は警戒しながらも建物の中から出てきた。私は素早く物陰から飛び出すと、逃げ出しそうになった標的をギリギリで手の中に収めた。
訓練終了を告げるブザーが鳴った。
「1分57秒04。17番にしては速いタイムですね」
「……そうですか」
研究員に告げられたタイムを私は表情を変えないまま受け止める。
「よくやったな」
後ろから歩み寄ってきたマスターはそう言って私の頭に手を置いた。私は複雑な思いが胸に去来しながらも、それを飲みこんでマスターを見上げた。
「マスター、このまま帰宅するのですか?」
「いや、5番殿がお前を呼んでるらしいから、帰るのはその後だな」
「……5番殿が?」
「なんでも女子会をやるそうだぞ。よかったな、楽しんでこい」
「女子会……」
嫌そうな表情が顔に出ていたらしく、マスターは私を見て苦笑した。ちょうどその時、訓練終了のブザーが鳴った。私の次のネコが訓練を終えた音だ。
数十秒後、部屋に転がり込んできたのはチーズを振り上げた31番だった。
「13秒58。素晴らしいタイムです」
「ミィが一番?」
「はい、そうですよ、31番」
「やったー!!」
タイムを告げられ、31番は嬉しそうにあの若造――トシヤの名前を呼びながら、どこかへ駆けていってしまった。きっとトシヤは31番を素直に褒めるのだろう。素晴らしい結果を出した31番を。
胸の奥で何かが刺さるような痛みを感じて、私は拳を軽く握りしめた。
羨ましいわけじゃない。あえて言うのであれば、私の持っていないものを当たり前のように持つあいつが妬ましいのだ。
31番はスピードタイプだ。速さだけを追求し、他の能力は比較的低く設定されている。そのため、力の強い発症者に押し負けることもあるが、持ち前のスピードで攪乱し、急所を食いちぎる力を持っている。
パワータイプならば、特務部の幹部でもある「5番殿」にかなうものはいない。これは噂にすぎないが、「5番殿」が暴れたことにより、ビルが倒壊した例もあるらしい。
対して私はどうだ。スピードタイプでもなく、パワータイプでもない。あえて言うならばバランス型。特筆すべき能力もなければ、どの訓練の成績も下から数えた方が早い。
言い訳のしようがない。私は――ネコとしては劣等生だ。
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