第4話 愛と妄執の引っ越し蕎麦 06
5日後、アパートの程近くにあるA3拠点で、トシヤとミィは襲撃の後処理に追われていた。襲撃はこれで6件目。警戒を強めていたため今回は被害を最小限にとどめることができたが、情報源を潰さなければ、まだまだ襲撃は続くことは予想できた。
化物と化した襲撃者を殺処分し、『ヒミコ』を服用していないと思われる教団の人間を尋問する。ただし、いざという時に備えて、ネコであるミィはそれに立ち会っていた。
「素直に話せば殺しはしない。教団の拠点はどこだ。内通者は誰なんだ」
「……誰が話すかよ、我等の神を愚弄する公僕どもめ!」
「そうだ。我々は公僕だ。だが公には存在しない組織だ。それゆえに法外な手段を取ることも許されている。……おい」
尋問担当の職員が顎で指示を出すと、控えていた職員がペンチを取り出した。数十秒後、襲撃者の悲鳴が響き渡る。それを心底嫌そうな顔で見ながら、トシヤは自分の携帯端末が震えたのに気がついた。
「アパートで襲われています。助けに来て」
そこに表示されていた文字に、トシヤは顔を歪める。何が起こっているのか、そして何が起こるのか、既にトシヤには見当がついてしまっていた。
「ミィ」
尋問を受ける教団の人間をしゃがみこんでじっと見つめていたミィに、トシヤは声をかける。
「俺がいなくてもみんなを守れるか?」
「うん、守る!」
「……いい子だ」
元気に返事をしたミィの頭を一撫ですると、トシヤは誰にも告げずに、その場を後にした。
*
絶え間なく空から灰が降り注いでいる。カンカンと音を立てて、安アパートの階段を上っていく。辺りは予想通り、アパートの一室が襲撃を受けているにしては静かすぎた。
階段を上りきると、トシヤは廊下に積もった灰を踏みしめながら、一歩一歩モモコの部屋へと向かっていった。ドアノブを掴み、ひねる。鍵はかかっておらず、ドアはあっさりと開いた。
土足のまま部屋の中へと入り、トシヤはその人影を見つける。そして――
「モモコさん」
トシヤは懐から大型拳銃を取り出すと、こちらに背を向けて立っているモモコへとまっすぐに銃口を向けた。モモコはゆっくりと振り返り、トシヤの持つ拳銃を見て、微笑んだ。
「あら、どうして私に銃を向けるの?」
「ご同行を願います。教団への密通者は――あなたですね?」
トシヤは鋭い目をモモコに向ける。モモコは何も答えなかった。
「動機はおそらく……ご主人を殺した特務部への復讐」
絞り出すようにトシヤは言う。
「特務部の生きている職員のリストにはサクラダだなんて名前はなかったんです。……ですが、死亡者のリストにはあった」
拳銃のグリップをきつく握りしめる。モモコは変わらず微笑んでいた。
「あなたのご主人は特務部の研究者だった。しかし一年前、『ヒミコ』服用の疑惑がかけられて殺処分された。……あなたはよくご主人にお弁当を届けに行っていた。複数の拠点を転々としていた研究者の妻なら、拠点の位置を把握していてもおかしくは――」
「そこまで分かってるのね。トシヤさんは優秀な捜査官だわ」
モモコは目を細めた。その様子には緊張感などまるでなく、普段通りの、料理を振る舞ってくれるあの優しい笑顔のままだった。トシヤはぐっと唇を引き締めた。
「お願いします投降してください。今ならまだ間に合う」
「いいえ、もう駄目なの。何もかも遅かったのよ」
モモコはゆるゆると首を振る。
「私はもう飲んでしまったのよ、――『ヒミコ』を」
その言葉にトシヤは目を見開いた。モモコは穏やかな顔で続けた。
「あなたも捜査官なら知っているでしょう? 『ヒミコ』を飲んだ人間は、どんな事情があれ殺処分だと。……でなければ怪物が野に放たれてしまうものね」
「嘘だ」
震える声でトシヤは否定する。
「あれは飲んでから二分以内に効果が出るはずだ。あなたは『ヒミコ』を飲んでいない」
「そうかしら? 私の夫は『ヒミコ』の研究者よ。新型を持っている可能性がないと言い切れるの?」
動揺で銃口が揺れる。モモコは変わらず微笑んでいる。トシヤは浅く息をした。
「トシヤさん。ネコを連れていない今のあなたに残された選択肢は一つだけ」
そうだ、ネコを連れていない以上、ここで襲われたら自分はおしまいだ。それだけじゃない。近隣住民にも間違いなく被害は出るだろう。残された選択肢は一つ。発症者になる前に、この人を殺すこと。でも――
「嘘だ、」
トシヤの指先は今やがたがたと震えていた。自分がこの人を殺す。どうして。ほんの数日前まで親しくしていた相手なのに。トシヤは震える手を押さえ付けるように、両手で拳銃を握りこんだ。それでも銃口はまだ細かく揺れている。
モモコはトシヤに向かって一歩踏み出した。
「来るな」
「トシヤさん」
「来ないでくれ……!」
制止もむなしく、モモコは一歩一歩こちらに近付いてくる。トシヤは足が縫い付けられたかのように動けなくなり、ただ彼女が近づいてくるのを待つことしかできなかった。
モモコは立ち止まり、トシヤに手を伸ばす。その手が一瞬化け物のものに重なって見える。モモコは優しい目でトシヤを見る。恐怖で呼吸が荒くなる。駄目だ、このままじゃ殺される。殺されるんだ。どうすれば、決まってる、俺は――
「ああああああ!」
トシヤは悲鳴に近い声を上げながら、拳銃を握り直し、指先に力を込めた。
――銃声が一発だけ、狭い室内に響く。
咄嗟に目をつぶってしまっていたトシヤは、おそるおそる目を開けた。そこには胸を撃ち抜かれて倒れるモモコの姿があった。
ぎりぎり急所は外れたらしく、モモコにはまだ息があった。しかし、その出血量から見て、もう助からないということは明白だった。『ヒミコ』を飲んでいたならば、化け物の姿になって生き延びるはずだ。だが、モモコは数度だけ浅く息をすると、口からごぼりと血の塊を吐き出して、そのまま動かなくなった。
「やっぱり――」
トシヤは拳銃を取り落とす。頭を搔き毟り、ぼんやりと天井を見つめるモモコの亡骸に向かって叫ぶ。
「やっぱり飲んでないじゃないか!!」
どこかでやかんが沸く音がする。モモコの胸からあふれ出した血だまりは、ささくれた畳にゆっくりと浸み込んでいった。
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