第4話 愛と妄執の引っ越し蕎麦 05

 さらに一週間後の夕方、5件目の襲撃事件の後始末を終えたトシヤとミィは、ふらふらになりながらアパートへと帰宅した。やけに重く感じるドアを引き開け、抱きかかえていた寝ぼけ眼のミィを下ろす。後ろ手でドアを閉め、ハァと息を吐いた時、背中のドアが控えめにノックされた。


「おかえりなさい、トシヤさん、ミィちゃん」

「……またですかモモコさん」

「はい、またです」


 ドアを開くとそこにいたのは、案の定、隣の部屋に住むモモコだった。モモコの顔を見て、何が待っているのかを察したミィは目を輝かせる。


「そんな、毎回毎回ご馳走になるなんて申し訳ないです」

「あらそう? 困ったわぁ、このままじゃ折角作ったものが腐っちゃうわ」


 そうやって嘯くものだからトシヤは何も言い返せなくなって、モモコに従って隣の部屋に行くしかなかった。足元では食べ物の気配を察知して嬉しそうにミィが跳ねている。


「あれ、今日もお蕎麦ですか」

「ええ。カントウ風にチャレンジしてみたくて。お口に合うといいのだけれど」


 ちゃぶ台の前に座ると、そこに置いてあったのは、どんぶりになみなみと注がれたかけ蕎麦だった。蕎麦の上には薬味のねぎまで乗っている。


「ねぎまでわざわざ……」

「ついでですよ。ねぎが食べたい気分だったんです」


 飄々と言い返されてしまい、トシヤはそれ以上追及することもできず、箸を持った。


「いただきます」

「いただきます!」


 木の箸をどんぶりにそっと差し入れて、灰色の蕎麦をそっと持ち上げる。蕎麦にからむつゆは濃い醤油の色をしていて、持ち上げただけで濃厚な香りが鼻をくすぐった。口へと運び、音を立てて一気に吸い込む。一緒に持ち上げたねぎが口の中で噛み砕かれしゃきしゃきと音を立てる。美味い。滑らかな麺にねぎの辛みがアクセントになっている。


「美味しいです。つゆの濃さもちゃんとカントウ風になってる」

「おいしー!」


 見るからに美味そうに食べる二人を見て、モモコは満足そうに微笑んだ。


 あっという間にどんぶりを空にして、二人は出された濃い麦茶を啜っていた。


「モモコさん、ミィに昼ドラがどうとかって吹き込んだでしょう」 

「あら、もうバレちゃったのね。おしゃべりさんねえ、ミィちゃんは」


 仕方なさそうにモモコはそう言い、ミィの頭を撫でる。ミィは気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らした。


「大変だったんですよ。誤解を解くの」

「あら、誤解なの? 私はてっきり……」

「か、からかわないでください!」

「ふふ、冗談よ」


 年上のモモコにいいようにからかわれ、トシヤは軽く怒りながらも、怒り切れずに眉を下げた。


 そうしているうちに夜も更け、トシヤは居心地悪そうに座りなおした。


「その……ご主人はまだ帰ってこられないんです? こんな時間なのに……」

「ああ、そのことですか……」


 モモコは寂しそうに目を伏せた。


「主人は泊まり込みの仕事が多くて……あまり家には帰ってこないんです」

「……そうだったんですね」


 いや、それにしたってこれ以上ここにいるのもまずいだろう。お暇しようとトシヤが腰を上げた時、モモコはトシヤを見上げて微笑んだ。


「でも主人は私の料理が好きで……、よくお弁当を届けに行くんですよ」



 薄暗い資料室で、トシヤは一人、端末に接続してある名前を検索していた。やけに長く感じるローディング画面を経て、その結果は表示される。

 検索結果は――0件。サクラダという職員は、特務部には存在していなかった。

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