第4話 愛と妄執の引っ越し蕎麦 02

 突然の美女の登場に、トシヤは内心動揺した。いや、相手が美女だから動揺したわけではない。問題なのは彼女の恰好だった。


 風呂上りだったのだろう。彼女の着る浴衣はかなり着崩れてしまっており、鎖骨や胸元が露わになってしまっている。高身長のトシヤから見下ろすと、はっきりと胸の谷間が確認できてしまい、トシヤは思わずそのままドアを閉めようとした。


「す、すまない!」

「えっ?」


 ぴしゃりとドアを閉められ、浴衣の女性はドアの向こうでしばしの間きょとんとしているようだったが、やがて何故トシヤがそんな反応をしたのかに気付いたらしく、ドアの向こうから消え入りそうな声で返事が返ってきた。


「こちらこそすみません……お恥ずかしい姿を……」


 数分後、再びドアが開いた時には、彼女の浴衣はしっかりと着こまれ、肩にも上着をかけた状態だった。


「本当にすみません……」

「いえ……こちらこそ」


 互いに気まずい思いをしながら二人は対面し、改めて自己紹介をしあった。


「今日、隣に引っ越してきたナメキ・トシヤといいます。これ、お近づきのしるしに」

「あら、丁寧にどうも。サクラダ・モモコです。……そちらの子はお子さんですか?」


 足元を指さされて見下ろすと、そこにはじっとモモコを見つめるミィの姿があった。


「……ミィ、留守番してろって言っただろう」

「ミィちゃんっていうのね。こんにちは」


 腰をかがめて視線を合わせてくるモモコを、ミィは潤んだ目で見つめ返した。


「おそば……」

「え?」

「おそば……食べちゃうの……?」


 トシヤはそんなミィを抱え上げると、片手で口を塞いだ。


「すみません。気にしないでください」


 モモコは目をぱちくりとさせた後、状況を理解して小さく笑った。そしてもう一度、抱え上げられているミィと目を合わせた。


「ミィちゃん、お蕎麦食べたい?」

「うん……」

「じゃあ、おばちゃんのところで食べていかない?」

「えっ、いいの……!?」


 その言葉にミィは目を輝かせ、トシヤは慌てて断ろうとした。


「そんな、悪いですよ!」

「いいんですよ。余らせてしまうのもいやですし、食べたい子が食べるのが一番ですから」


 そうやって微笑まれてしまえば断ることも出来ず、トシヤとミィはすすめられるままにモモコの家へと足を踏み入れた。


 家の中はがらんとした殺風景な印象を受けた。家具や荷物が少ないというわけではない。しかし何故かトシヤはこの家から寒々しいものを感じていた。


 モモコは二人を畳の敷かれたスペースに案内すると、台所に立って、めんつゆを作り始めたようだった。めんつゆを自宅で作るとは珍しい。もしかして自分と同じように料理好きな人なのだろうか。そんなことを考えているうちに、しょうゆとみりんが煮えるいい匂いが漂ってきた。


「おっそばー、おっそばー!」

「もうちょっとだけ待っててね、あとはお蕎麦をゆでるだけですからね」


 上機嫌のミィに仕方なさそうな視線を向けていると、トシヤの携帯端末が突然震えだした。慌ててトシヤはその内容を確認する。


『A7拠点が襲撃されている。至急応援を頼む』


 トシヤは立ち上がると、台所に立つモモコに取り急ぎ一言だけ断りを入れて、ミィのもとに歩み寄った。


「ミィ」

「んー?」

「仕事だ。行くぞ」


 答えを聞かないまま、トシヤはミィを俵抱きに持ち上げる。そしてそのまま玄関に向かうと、ミィの足に靴を履かせ始めた。


「仕事……?」

「そうだ」

「おそばは……?」

「なしだ。仕事が先だ」


 すぽんと両足の靴を履かせて、自分もブーツを履いた辺りで、ミィはようやく状況を察したらしく、トシヤの腕の中で暴れはじめた。


「いやだー! おそば食べるーー!!」

「聞き分けなさい! 行くぞ!」

「うわあああああん!!」



 ハンダタ町付近、A7拠点。

 拠点は2体の発症者に襲撃されていた。職員たちが「灰」の弾丸を撃ち込むも効果は薄く、理性のない発症者たちは職員たちを守るバリケードに一歩一歩近づいていった。その時――


「走れ、ミィ!!」


 鋭い号令とともに、小さな影が拠点の中に飛び込んできた。影は見る見るうちに巨大化し、発症者たちに食らいかかった。


「ネコだ! 助かった……!」


 銃を構えていた職員が歓喜の声を上げる。ミィと呼ばれたネコが作った隙を縫って、一人の特務捜査官――トシヤがバリケードの中へと駆け込んできたのはその時だ。


「状況は」

「恐らく教団の連中です。『ヒミコ』を服用して、こちらの拠点を襲いに来たようです」

「一体どこから拠点の情報が漏れたんだ……」


 職員たちは悔しそうに歯噛みする。そうしている間にも、ミィと発症者の戦闘は続いており、すさまじい悲鳴や破壊音が響き渡っていた。職員の内の一人はおそるおそるといった様子でトシヤに尋ねかけた。


「ところで――」

「なんだ」

「……何かあったんです? そちらのネコ、相当荒れてるみたいですが……」


 トシヤは一気に渋い顔になると、ミィの方を見やって遠い目をした。


「出がけに飯を食べ損ねて……」

「ああ、それであんなに……」


 職員たちもつられてミィの方を見やる。そこではちょうどミィが、最後に残った発症者を叩き潰したところだった。


「おそばたべたかったー!!」

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