第2話 四足自走型チーズケーキもどき 07
幸い現場は自宅の近くだった。しかしそれはつまり人口密集地であることを示している。こんな場所で大っぴらに発症者が暴れでもしたら大惨事が起きてしまう。トシヤはキープアウトのテープをくぐり、近くにいた捜査官に声をかけた。
「状況は」
「ああ、ネコつきの捜査官殿ですか! 助かった!」
捜査官は見るからに安堵の表情を浮かべると現状を話し出した。
「特務課のネコのいない部隊が強襲を受けたのです。現在、「灰」の銃弾で応戦し、マンションの1階に押し込めています。しかし発症者――正確には半分しか変異していないそうなので半発症者ですが、そいつが女性の人質を取っているようで、下手に手出しができない状況なのです」
状況は緊迫したもののようだ。どうするか。俺にできるのは31番を使うことだけだが、31番が素直に俺の言うことを聞くとは思えない。ついさっきも命令違反をして飛び出していったばかりなのだ。そんな奴をつれていくぐらいならいっそ自分一人で――
「トシヤ!」
思案に暮れていたトシヤの袖を引いて、31番は声を上げる。
「ミィは戦えるよ。ミィに命令して」
それはこれまで聞いたことのないほど必死な声だった。31番はトシヤの袖に縋り付いて、泣きそうな声で繰り返した。
「……もう命令無視しないから。だから一人で行かないで」
まるで心を読んだかのような言葉に、トシヤはぎくりと身を強張らせる。いや、そんなはずはない。俺の仕草を見て推測しただけだろう。
それよりもどうして急にこんなしおらしいことを言い出したんだ。もしかして――さっきはしゃぎまわったことを反省しているのか?
トシヤは31番の顔をじっと見下ろした。31番も真剣な眼差しでトシヤの方をじっと見ていた。――先に折れたのはトシヤだった。
「……分かった」
背に腹は代えられない。こうしている間にも人質が食われているかもしれないんだ。トシヤは31番から目を現場の方に向けながら言った。
「次に命令無視したら廃棄処分の申請を出すからな」
「それでもいい。命令して」
31番もまた現場の方を睨みつける。
「発症者を処分し、人質を救出する。……行くぞ」
「うん!」
キープアウトのテープから離れ、マンション入口を包囲している部隊へと走り寄る。二言三言会話を交わした後、2人はマンションの中へと入っていった。
角で一度立ち止まり、誰もいないことを確認してから廊下に出る。住民たちは慌てて避難したのだろう。廊下には日用品がところどころに散乱し、いくつかのドアは開け放たれていた。
さてここからどうするか。一部屋一部屋確認していたのでは、人質の安否が危うくなる上に背後から襲われる可能性も高くなる。壁に身を預けながら息を吐いていると、31番はトシヤの袖をちょいちょいと引いた。
「トシヤ、こっち」
振り返ると、31番は廊下の右奥を指さしていた。
「薬のにおいがする」
「ヒミコ」のことだろう。そういえばネコには「ヒミコ」の匂いをかぎ分ける能力があったのだったか。
31番に従って廊下の右奥へと進んでいく。その間、31番は無駄口は一切叩かず、ただ真剣な面持ちで足音を殺しながら前に進んでいた。
なんだ。やればできるんじゃないか。感心しながらその後ろを歩いていくと、31番は突然立ち止まり、トシヤに手の平を向けた。――止まれの合図だ。
31番の目の前には開け放たれた部屋のドアがあった。その中からはかすかに物音が聞こえてくる。ここで間違いないだろう。トシヤは31番に「ヒミコ」を手渡した。31番はそれを口の中に放り込む。
「31番、先に行って陽動できるか」
無言でこくりと頷くと、31番は音もなく部屋の中に走り込んでいった。直後、何かを蹴り飛ばす音が響き、焦った様子の男の声が聞こえてきた。
「な、なんだてめえ! 放せ!」
陽動は成功のようだ。トシヤは部屋の中に走り込むと、怪物と化した31番が食らいついている、半発症者の頭めがけて発砲した。
「ぎゃああ!」
発症者は頑丈だ。一発頭を撃たれたぐらいでは死なない。しかし、怯ませることならばできる。仰け反った半発症者の頭部に、31番は食らいついて噛み砕いた。ゴリ、と何かが折れる音がして、直後、半発症者の体はだらりと脱力する。
任務は成功だ。俺たちでもできたんだ。トシヤはほっと息を吐き、辺りを見回した。すると、部屋の隅で震えている人質の女性が目に入った。よかった。こちらも無事だったか。トシヤは彼女に歩み寄り声をかけようとし――しかしその直前に、化物の姿の31番が彼女に向き直った。
一歩、一歩、確かめるように31番は彼女へと近づいていく。その様子に人の姿に戻ろうとする兆しは無く、ただ彼女を襲って食らおうとしているようにトシヤには見えた。
「な、何してる、止めろ、31番!」
トシヤは大声で31番を止めた。31番はぴたりと足を止め、不思議そうに振り返った。よかった。言うことを聞いた。取り返しのつかないことになるところだった。
しかしその直後――それまで震えていたはずの女性の体は一気に膨れ上がり、31番の肩口に噛みついて、向かいの壁まで31番を吹き飛ばした。
「なっ……!」
女性の体は今や2メートル以上にも膨れ上がり、その体にはびっしりと鱗がへばりつき、その口には鋭い牙が生えていた。発症者だ。
発症者は咄嗟に動けないでいる31番に食らいつき、ぶちぶちと肉を食いちぎった。血が噴き出て、化物越しに見える31番の手足がびくびくと震えた。
同じだ。あの時と、ハラキ先輩の時と同じだ……!
「やめろおおお!」
がむしゃらになったトシヤは震える手で銃を構え、発症者に向かって5回引き金を引いた。重い銃声が響き、「灰」の銃弾が発症者にめり込んでいく。発症者はおもむろに立ち上がると、ぶるぶると体を震わせ、銃弾を振り落とし、トシヤの方を振り向いた。
発症者の真っ赤な目と目が合う。トシヤは全身に震えが走るのを感じた。殺される。このままじゃ殺される。
慌てて腰に吊った弾倉を取り出し、リロードする。しかし銃口を再び向けたその瞬間、発症者は猛烈な勢いでトシヤに突進してきた。
「トシヤ!」
発症者を後ろから引き留めたのは31番だった。31番は発症者の首に噛みつき、必死でその場に留めようとしていた。
「ううーっ!」
しかし、31番の顎ではその発症者の首を一度に噛み切ることはできず、発症者は体をぶんぶんと振るわせて31番を振り払った。トシヤはその隙を逃さず、発症者に発砲した。しかし、効いている様子はない。肌が硬すぎるのだ。
発症者は素早く手を動かすと、ちょうど弾切れになってリロードをしようとしていたトシヤを掴み上げた。
「うごくな」
立ち上がってきた31番に対して、発症者はトシヤを見せつける。
「こいつがどうなってもいいのか」
31番は戸惑っているようだった。動きを止め、こちらを窺っている。発症者はトシヤの体を握りこんだ。ぎしぎしと体中が軋み、何本か骨が折れた音がした。トシヤは息も絶え絶えになりながら、31番に指示を飛ばした。
「俺は、いい、さっさとこいつを、殺せ」
31番は動かなかった。動こうとしなかった。トシヤは苛立って、叫んだ。
「どうして躊躇う! お前たちは、化け物を殺す化け物として、作られたんだ! それ以外の、ことなんて、必要ないはずだ! それがお前たちの在り方だろう! 31番!」
それでも31番は動かなかった。発症者はにやりと笑うと、トシヤの体を壁めがけて勢いよく投げつけた。
「トシヤ!」
31番はほとんど悲鳴のように叫ぶと、素早く駆け寄ってトシヤを受け止めた。その隙に発症者は窓を破ってマンションの外へと逃げていった。拘束から解放されたトシヤは、げほげほと咳をして新鮮な空気を吸い込んだ後、自分よりも背丈の高い31番を怒鳴りつけた。
「馬鹿! どうして追わなかった! お前の仕事はあっちだ、31番!」
「……なかった」
31番は俯いて、絞り出すように呟いた。腕の中のトシヤに、ぼたぼたと雫が落ちてくる。
「死んでほしくなかった……」
震える声でそう告げられ、咄嗟にトシヤは何も答えられなかった。その代わりに息を吸い込み――肺の方からせり上がってきてしまったものを一気に吐き出した。
ごぼりと血が口からあふれる。肺にあばら骨でも刺さったのだろう。それを見た31番はさらに大声で泣き出した。
「トシヤ死なないでえ……!!」
まるでただの子供のようにわんわんと泣く巨体の31番に、トシヤは途方にくれる。なんなんだ。どうしろっていうんだ。
「トシヤーー! うわあああん!」
ああ、そうか。薄れゆく意識の中、トシヤは不意に納得する。
主従云々じゃない。こいつはただ俺のことを想っているんだ。
まいったなあ。頭上で泣き続ける31番にトシヤは困り果て――そのまま意識を手放した。
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