第2話 四足自走型チーズケーキもどき 06

 灰降る街の片隅。工場の事故によって汚染区域に指定され人の立ち入らない――逆に言えばそこにしか居場所のない貧困層の住む区域に緊急車両が滑り込んでくる。


 現場はすでに封鎖され、ガス事故だという虚偽の説明によって住民の避難もほとんど済んでいた。


「先に3組の捜査官が入ってる」


 車両から降りながらロウは言う。ロウに続いてトシヤと31番、それからロウのネコが油断なく車から降りてきた。


「俺たちは対象を逃がさないための後備えだ。まあそう緊張せず気楽にいこう」


 そうは言われても、これは捜査官としてのトシヤの初陣だ。しかもこんなに御せていない状況でネコを連れてきてしまったのだ。トシヤが緊張しない道理はどこにもなかった。


 ロウの持つ通信機が震え、現場の状況を吐き出す。


「対象は複数。サラシナ通り沿いのビルに潜伏している。現在出入口を封鎖し、対象を屋上に追い立てている。上からの援護を頼む」

「了解。17番、援護に回る」


 通信を切り、ロウは自分のネコを見下ろす。


「聞こえたな、17番。隣のビルから挟み討ちだ」

「はい、マスター」


 ネコ――17番は表情一つ変えずに答えると、目にも留まらぬ速さで立入禁止区域の中へと駆け込んでいった。


「あっ、ミィも行くー!」


 とんでもない言葉が聞こえてきて、トシヤはぎょっと31番を見下ろす。言うが早いか31番は楽しそうに走り出しており、トシヤは慌ててその後を追おうとした。


「ま、待て、31番!」


 31番はバリケードを乗り越え、あっという間に消えていってしまう。トシヤもまた、バリケードを乗り越えて追おうとしたが、後ろから襟を掴まれ引き戻された。


「やめておけ。未熟なネコの戦闘に捜査官はついていくべきじゃない。……前の3人はそれで死んだんだ」

「しかし、このままじゃ31番が逃亡する可能性が……!」

「何、うちの17番が一緒だからな。いざとなればどんな状態にしてでも連れ帰ってくるだろうよ」


 気楽にそんなことを言うロウに胡乱な眼差しを向けながらも、トシヤはそれに従った。

 遠くで聞こえる悲鳴や怒声、破壊音を生きた心地がしないまま聞き続けて十数分。31番は17番に手を引かれて、トシヤたちのもとに戻ってきた。


「トシヤ!」


 トシヤを視界に入れると、31番はパッと顔を明るくしてトシヤに駆け寄ってきた。


「聞いて聞いて! ミィ、たくさん倒したよ! すごい? すごい?」


 足元にじゃれついてくる血まみれの31番に、トシヤは恐ろしく嫌そうな顔をすると、大声で怒鳴りつけた。


「どうして命令を無視した!」


 31番はびくりと肩を震わせると数歩トシヤから後ずさった。


「トシヤ怒ってる……?」


 窺うような目で見られ、トシヤの苛立ちはさらに高まる。31番はしゅんと項垂れた。


「ごめんなさい……」


 気まずい沈黙が辺りに流れる。トシヤはさらに31番に対して声を張り上げようとしたが、ロウがやってきてそれを止めた。


「まあまあ無事だったんだからいいじゃないか。それより2人とも疲れただろう。ここはいいから、もう帰りなさい」


 家に。つまりこの化け物を自宅に連れ帰るということだ。まだ意思の疎通もろくにできていないこの化け物を。トシヤはロウに異を唱えようとした。


「しかし……!」

「これ以上ここにいても後処理の邪魔なんだ。分かるな?」

「……はい」


 そう言われてしまえばトシヤには返す言葉もない。ロウは明るく笑ってトシヤと31番を交互に見た。


「まあなんだ。後のことは俺が責任取るから、2人とも、仲良くするんだぞ?」



 白い灰の降る街を、フードを目深に被ったトシヤと31番は歩いていく。大通りを歩いているため、道行く人々の表情も心なしか明るく見える。


 そんな街をトシヤは31番のことを気にせず早足で歩いていき、後ろをついてくる31番はほとんど走るような形になってしまっていた。


 ネオンがちかちかと壁面で輝いている。レインコートを着た人々が、ショーウィンドウを覗き込んでいる。そんな店のうちの一つにトシヤはふと目をやって立ち止まった。


 そこはケーキ専門店「アリス」。ハラキと最後に行ったあの店だった。「アリス」はあの事件があった前と全く同じ様子で営業していた。ガラス越しに見える店内では、多くの女性客が美味しそうにケーキを食べている。一番近くに座っている客の目の前にあるのはチーズケーキのようだ。


「……チーズケーキ、か」


 思わずぽつりとトシヤは呟いてしまっていた。すると、31番はトシヤを見上げて目を輝かせた。


「チーズっ!?」


 それは訓練に使われるあのネズミを指しての言葉だったのだろう。トシヤは眉間にしわを刻むと無感情に言い放った。


「チーズじゃない。行くぞ」



 住宅密集地の只中にあるサクラド駅からほど近く、7階建てのマンションの5階がトシヤの住む家だ。


 トシヤが鍵を開けてドアを引くと、傍らに立っていた31番が待ちきれないといった様子で中に飛び込んだ。


「31番!」


 怒声を飛ばされ、31番はぴたりと足を止めて恐る恐るトシヤを振り返った。トシヤは足元を指差した。


「靴を、脱げ」


 31番は玄関に戻ってきて靴を脱ぐ。トシヤはそれを見届けてから自分も靴を脱いで、整えた。31番はしゃがみこんでそれをじっと見ていたかと思うと、トシヤの真似をして両手で自分の靴を揃えた。


 トシヤはそれを見てどこか複雑な気分にはなったが、それを言葉に表すことはせずに、さっさと部屋の奥のキッチンへと向かった。


 一応、31番の背丈に合わせた服も預かってはきているが、それは後でもいいだろう。とにかく今は疲れた。早く飯を済ませて寝てしまいたい。


 トシヤは1人用の炊飯器に3分で炊ける戻し米をセットしてスイッチを入れた。おかずはもうレトルトでいいだろう。パウチに入ったスカスカに乾燥した肉を皿に出し、上から湯をかけるだけで見る見るうちに四角く成形された合成肉のハンバーグが出来上がっていく。既製品特有のくどすぎる肉の香りが充満し、トシヤは腹の虫が鳴るのを感じた。


 本格的にネコと同居することになれば、このレトルトの世話になることも増えてくるだろう。本当は外食や自炊をするのが好きなのだが、そんな余裕も無くなるに違いない。せめてもう少しおとなしいネコならそれも叶ったかもしれないのだが。


 成形された野菜ペーストを湯で戻しながらそんなことを考えていると、前方から強い視線を感じてトシヤは顔を上げた。そこにはカウンターにぶら下がってこちらを覗き込む31番の姿があった。31番の目はキラキラと輝いており、期待に満ちている。トシヤはため息をついた。


「お前のじゃないぞ」


 そう言いながら炊き上がったごはんを茶碗に盛り、野菜ペーストとハンバーグの乗った皿と一緒に持って、トシヤはテーブルへと移動した。


 さてどうしたものか。食器をテーブルに置き、トシヤはカバンからネコ用の餌皿と梱包された銀色の袋を取り出す。袋を破ってみるとそこにあったのは、2cmほどの直方体のブロックだった。これがネコに与えるべき食事なのだ。


 現状、俺はこのネコになめられている。どうすれば主従関係を示せるのか。トシヤは餌皿にブロックを入れながら考え――とりあえず31番を動物扱いしてみることから始めることにした。


 トシヤは31番の様子をうかがいながら餌の入った皿を床に置いた。そうしてから自分は椅子に座り食事を始めようとした。こうすれば流石に31番も自分と人間が違うものだということが分かるだろう。


 しかし31番は餌皿に歩み寄ると、さも当然のようにそれを拾い上げ、テーブルの上に置いて、自分はトシヤの向かいの椅子に座ってしまった。


「お、お前……!」


 トシヤは怒りで立ち上がりかけたが、ニコニコと笑う31番に毒気を抜かれて、怒ることもできずに、へなへなと椅子に座りこんだ。


 もういい。とりあえず食べよう。


 そう決めると、トシヤは両手を合わせて言った。


「いただきます」


 31番はそんなトシヤをじっと見た後、そっと自分の両手を合わせて、トシヤの真似をした。


「いただきます」


 そうしてから31番はちらっとトシヤを窺う。トシヤはもう何を言うのも面倒になって、箸を持って、食事を口に運び始めた。しかしその時、けたたましい呼び出し音がカバンの中に放置された携帯端末から響き渡った。トシヤは口の中に突っ込んだ肉を慌てて咀嚼しながら、カバンの方へと駆け寄る。そこに表示されていた文言に、トシヤは口の中の肉をごくりと飲み下した。


「緊急事態発生。至急現場に急行せよ」

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