第2話 四足自走型チーズケーキもどき 04
「パパ!」
31番と呼ばれた少女はトシヤを指差して、嬉しそうにそう言った。言われた側のトシヤは心底嫌そうに眉根を寄せる。それを見た研究員は片眉を跳ね上げると、31番の手を引いて踵を返した。
「さあ行くよ、31番。訓練をパパに見せてあげよう」
研究員は31番を引きずるようにして連れていく。31番は何か言いたそうにしきりにトシヤの方を振り返っていたが、すぐに自動ドアの向こう側へと消えていった。
トシヤが選択した進路――特務捜査官とは人が化け物になる病、「カミガカリ病」への対処のために結成された組織だ。街の住民に「カミガカリ病」のことは知らされていないため、特務捜査官は警察の直轄ではなく、独立した組織として運営されている。
特務捜査官のことを詳しく知らない者や構成員からは便宜上、警察庁特務課とは呼ばれているのだがそれはさておき。
特務課の研究員たちは多くがこの研究所で働いているのだが特務捜査官は違う。特務捜査官は街で起こる発症者の事件に対処するため、市井の人々の間に混じって一般人のふりをして暮らしているのだ。
そしてこの街に降る「灰」は、「カミガカリ病」の発症を抑える抑制剤らしい。それゆえに雨の次の日は抑制剤の効果が弱まり、「灰」の効果を抑えてしまう薬物――「ヒミコ」服用者の発症が頻発する。
発症者は必ず殺さなくてはいけない。「ヒミコ」服用の疑惑がある者も同罪だ。でなければまた、ハラキ先輩のような犠牲者が――
「――31番、訓練を開始します」
淡々としたアナウンスが響き、思案に暮れていたトシヤの意識は引き戻される。備え付けのモニターを見上げると、そこには服を脱ぎ去った31番の姿と、その前に置かれた巨大な訓練人形の姿が映っていた。
開始アナウンスを受けた31番は、手に持っていた薬を口に放り込んで噛み砕いたようだった。十数秒後、彼女の体は突如膨れ上がり始めた。肉が盛り上がり、肌は鱗に覆われ、手足の先には鋭い爪が生えてくる。やがて31番は2メートルほどの化け物へと姿を変えた。
――これが発症者に対抗するために生み出された人型兵器「ネコ」だ。
ネコは、「ヒミコ」を投与してもある程度自我が残るように作られた人造人間だ。通常「ヒミコ」を投与された人間は、強い酩酊感や幻覚を見た後、過剰摂取によってネコたちと同じような化け物に成り果てる。
しかしネコは化け物の姿から人間の姿に戻ることができるように調整されており、そんなネコを特務捜査官が使役することによって特務課は発症者たちの対処に当たっているのであった。
化け物に成り果てた31番は、目の前の訓練人形へと飛びかかった。訓練人形の体長は3メートルほどあり、31番よりも遥かに大きかったが、彼女はそれを物ともせずに訓練人形の首へとしがみつき、床へと押し倒した。
訓練人形も何もしていなかった訳ではない。31番が変貌を遂げた瞬間、彼女に掴みかかろうと体を動かしていた。しかし、31番の初動が圧倒的に早すぎたのだ。
異形の少女は訓練人形の頭に噛み付くと、たったの一噛みでその頭を食いちぎった。ガリガリと音を立てて、31番は人形の頭を噛み砕いていく。ビーッとブザーが鳴り、訓練の終わりを告げた。
「訓練終了。31番、人型に戻りなさい」
単調な命令音声が室内に響き渡る。しかし31番は音声には従わず、鋭い牙を人形の首へと突き立て、バリバリと捕食を続けていた。
「繰り返します。31番、人型に戻りなさい」
強い口調で命令され、ようやく31番は顔を上げると、声の出所を探すように数度頭を巡らせ、それから大きく息を吐くような仕草をしてスルスルと元の少女の姿へと戻っていった。
トシヤはそんな彼女の姿を目の当たりにして、背中に汗が噴き出すのを感じていた。
同じだ。あいつは、ハラキ先輩を食った連中と同じなんだ。
話では聞いていたがいざ目の前で動いているそれを見てしまうと、トシヤは全身に震えが走るのを止められなかった。今でもはっきりと思い出せる。ギラギラと輝くあの目、鱗に覆われた体、そして先輩の血に汚れた鋭い牙。トシヤは震える両手をきつく握りしめた。
そんなトシヤに一人の男が声をかけてきたのはその時だった。
「あいつが相棒とは運がなかったな」
振り返ってみるとそこにいたのは、特務捜査官としての大先輩にあたる人物だった。養成所で顔だけは知っていた男性だったが、胸元に付けられた名札によれば、40代ほどの彼の名前はロウというらしい。
「ほれ、コーヒー。飲むだろ?」
「あ、ありがとうございます……」
ロウに手渡されたのは廊下の自販機で買える、紙コップの擬似コーヒーだった。数秒間、震える指先を温めてから擬似コーヒーに口をつける。予想通り、古紙を焦がしたかのような苦くて渋い味がした。
「あいつは俺たちの間でも有名な問題児でな」
ロウは自分もコーヒーを啜りながら、訓練室を映したモニターを見やる。モニターの向こう側では31番が完膚なきまでに破壊した訓練人形の回収が行われていた。
「何しろ1年半で3人の捜査官を死なせてる」
初めて聞く情報に、トシヤは目を見開いて床を見た。抑え込んだはずの震えがまた蘇ってくる。
「情を移したりするんじゃねえぞ。……早死にするからな」
ロウはトシヤの肩にぽんと手を置いて言った。トシヤは震えを飲み込むと、覚悟を決めた眼差しでまっすぐに前を見た。
「『ネコ』はただの道具です。情なんて移るわけありません」
「そうか。だったら大丈夫だな」
ぽんぽんと数度肩を叩くと、ロウはトシヤから離れていった。
「じゃあな、面談の健闘を祈るよ」
*
3メートル四方ほどの小部屋で、トシヤと31番は向かい合って座っていた。ここは面談室。ネコと特務捜査官の相性を見るための最後の試験の場所だ。
31番は機嫌良さそうに足をぶらつかせ、じっとトシヤを見ていた。対するトシヤは難しい顔をしながら、目を斜め下に逸らしている。
ネコは見た目通り6歳程度の知能しかない生き物だ。しかしその力は少女の姿を遥かにしのぎ、その気になれば特務捜査官の首を一瞬でへし折ることすらできる――らしい。
それを防ぐために養成所で教えられた「死にたくないなら守るべきこと」が3つある。
主従関係をはっきりさせること。
番号以外で呼ばないこと。
決められた食事以外与えないこと。
必ず守れ、というわけではないのは不可解だったが、どれも飼い主とネコの良好な関係を築くには必要不可欠なもののように思えた。
「どうしたの、パパ?」
いつまで経っても喋ろうとしないトシヤを不審に思ったのか、31番は首をこてんと傾げて尋ねてきた。トシヤは目を逸らしたまま吐き捨てた。
「パパと呼ぶな。俺はお前の親じゃない」
冗談じゃない。こんな化け物にパパ呼ばわりされるなんて。こいつは先輩を殺したのと同じ発症者なんだぞ。
2人の間に沈黙が満ちる。トシヤが31番の方をちらりと窺うと、31番はトシヤの言葉をじっと待っているようだった。
「……トシヤだ」
その視線に耐えられず、トシヤは仕方なく名乗った。
「トシヤと呼べ、31番」
すると31番はパッと顔を明るくして、両手を上げて言った。
「ミィだよー!」
「……何がだ、31番」
言われた意味が分からず、トシヤは尋ね返す。31番はぴょんっと椅子の上に立ち上がると、机の向かい側のトシヤに顔を近づけて覗き込んできた。
「31番じゃなくて、ミィだよ?」
やや考えてトシヤはその言葉の意味に思い至った。31番だから
きっと前任の捜査官にでも呼ばれていた名前なのだろう。ネコは番号で呼ぶべきなのになんて不用心な。
「椅子に立つな、31番」
冷たく言い放つと、31番は意外にも素直にそれに従った。椅子に座りなおし、ちょこんと大人しくしている。しかしほんの数分後にはまた足をぶらつかせ始め、何がおかしいのか笑顔でトシヤの名前を呼び始めた。
「トシヤー」
「……なんだ」
「えへへ、トシヤー」
そんな不可解なやり取りをして数分。ビーッと突然響いたブザー音によって面談は終了した。
研究員に連れていかれる31番を見送り、トシヤは内心ホッと胸を撫で下ろした。全く内容のない面談になってしまったが、これはこれでよかったのだろう。俺にはあの化け物を御せる自信はない。きっとこれで、俺には新しいネコがあてがわれるはずだ。
しかし十数分後、部屋に現れたのは、上機嫌な31番を連れたロウの姿だった。
「面談の結果は合格だ。以後こいつとバディを組め」
ロウの言葉にトシヤは目を見開く。31番は笑顔でトシヤに駆け寄ると、足元にじゃれついてきた。ロウはそんなトシヤに苦笑いを向けた。
「『別の人じゃ嫌だ、トシヤがいい』だそうだ。本当に運がないな、お前は」
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