第2話 四足自走型チーズケーキもどき 03

 厚手のレインコートを着込み、二人は店の外へと出ていく。外にはやはり雨の匂いが残り、降り続ける灰も心なしか湿っているように見えた。


「ごちそうさまでした、また奢ってください」


 隣を歩きながらしれっと次を要求するトシヤに、ハラキは小さく苦笑した。


「お前はそういうところ本当に……」

「食べるのは好きなので」

「そういうことを言ってるわけじゃなくてな?」


 やいのやいのと言い合いながら、二人は駅に向かって歩いていく。ハラキは呆れた様子ではあったが、そんなトシヤを非難する気はないようで、二人は二人とも上機嫌だった。しかし――


「きゃああああ!」


 突然甲高い悲鳴がどこかから響き渡り、二人は立ち止まって顔を見合わせた。周囲の人々も悲鳴が聞こえた方を振り返ってざわついている。二人は頷きあうと、そちらに向かって走り出した。


 人混みを掻き分けていった先にあったのは、3階建ての小さな雑居ビルだった。


「警察です。何があったんですか」

「あ、あのビルの中から何かが飛び出してきて……」


 見物人の先頭にいた女性を捕まえて尋ねると、女性は震える声でそう答えた。トシヤが辺りを見渡すも不審な人物は見当たらない。


「そいつはどこに?」

「すぐにビルの中に戻っていって……」

「歩いてた人が一人引きずりこまれたんです! きっとワニか何かですよ! どこかから逃げ出してきたんだ!」


 興奮した様子の男が割り込んできて、そうまくしたてる。トシヤが追いついてきたハラキを振り返ると、ハラキは本部に応援を要請しているところだった。


「立てこもりか何かのようです。ワニを見たという話もあるので、もしかしたら猛獣が人を襲ったのかも」

「そうか、なら一刻の猶予もないな」


 どこからやってきた獣なのかは見当もつかないが、今ここにいるという事実がある以上は見過ごせないだろう。


「とりあえず応援が到着するまでその攫われたって人を探す。……まだ間に合うかもしれないからな」


 ハラキの言葉に頷き、トシヤは道端に放置してあった鉄パイプ(外壁工事中か何かだったのだろう)を拾い上げた。心許ないが無いよりはマシだ。


「行くぞ」

「はい」


 二人は隣り合うと、それぞれ左右を警戒しながらビルの中へと入っていった。


 ビルの中は荒れ果てていた。別に長い間使われてこなかったというわけでもないのに、椅子や机はなぎ倒され、ドアは歪み、まるで巨大な何かが暴れまわった後のようになっていた。


 その状況に顔をしかめながら二人は慎重に歩みを進めていく。すると狭い階段の向こう側、エレベーターホールに異様なものが見えてきた。


 それは恐らく人間の死体だった。恐らく、というのはほぼ原型を留めていないからだ。頭と手足は噛みちぎられ、内臓も掻き回されてしまっている。辛うじてそれを人間と断ずることができたのはボロボロになった服を着ていたからだった。


「間に合わなかったか……」


 苦々しく言うハラキをよそに、トシヤは死体から目を離せないでいた。原型が残らないほどグチャグチャにされた死体。これじゃあまるで――


「例のグチャグチャ殺人……」


 いや、違う。今回のこれは猛獣の仕業だ。人間の仕業なんかじゃない。無関係だ。

 ――それより、まだ生き残っている人がいるかもしれない。

 トシヤは踵を返すと、通り過ぎてきた他の部屋を探そうと走り出した。


「待て、トシヤ! 先走るな!」


 死体を検分していたハラキがトシヤを追いかけてくる。しかし、ちょうど階段の横を通り過ぎた瞬間、ハラキの姿は何か巨大なものによって横から押しつぶされた。


「え」


 それは階段の上から飛び降りてきたもののようだった。きっと階段に隠れていたのだ。混乱する頭でそこまで考えた後、トシヤはようやく、壁と、2メートルはありそうな巨大な生物の間に挟まれて潰れてしまったハラキの姿に気がついた。


「ハラキ、先輩」


 その生物はゆっくりと壁から体を離す。潰れてしまったハラキの体は力なく地に落ちる。化け物はそんなハラキに向かって巨大な口を大きく開けた。――何をしようとしているのかはトシヤにもすぐに分かった。


「や、やめろおおおおお!」


 握り込んだ鉄パイプを振り上げ、化け物の頭部に打ち付ける。化け物は一瞬動きを止めたが、すぐに太くて長い尾でトシヤの体を吹き飛ばした。


「あっ、ぐぅ……」


 壁に勢いよく打ち付けられ、トシヤは地面へと倒れ伏した。頭を打ってしまったようで全身がうまく動かない。揺れる視界の中、トシヤは這いずって化け物の方を見る。かすかに見えた光景と音にトシヤは目を見開いた。


 バリバリ、バリバリ、グチャグチャ。


 咀嚼音、咀嚼音、嚥下音。化け物の巨大な体の向こう側でハラキのだらりと落ちた腕がビクビクと跳ね回る。


「せんぱい、先輩……!」


 助けに行かなければ。もう手遅れだ。なんで、どうしてこんなことに。ほんの数十分前まで一緒に食事をして笑いあっていたっていうのに。


 ぐるぐると回る思考を処理しきれず、トシヤは体を硬直させて全てを見続けることしかできなかった。


 やがて満足したのか化け物はハラキの体から顔を離した。そしてトシヤの方を振り返ると、ゆっくりとこちらに向かって歩み寄ってきた。


「はっ、はぁっ……」


 死ぬ、殺される。鱗に覆われた巨大なトカゲのようなそれの顔を正面から見てしまい、トシヤは浅く息をした。


 化け物は四足歩行でトシヤににじり寄ってきた。半開きになった口からは血の匂いのする息を吐き出し、そこから覗く鋭い牙をまるで見せつけているかのようだった。


 一歩、二歩。狭い廊下をあっという間に横切ると、化け物はトシヤに顔を近づけ、口を大きく開けた。トシヤはその口の中に収まる直前まで、化け物から目を逸らせずにいた。しかし――


「ギャアアア!」


 突然悲鳴とともに化け物の体はトシヤの前から吹き飛んだ。そう、まるで入口から飛び込んできた何かに横からタックルされたかのように。


「ギャア! ギュアアア!」


 化け物の悍ましい悲鳴が響き渡る。やっとのことで体を起こしそちらを振り返ると――そこには化け物を喰らうが蹲っていた。


 バリバリ、グチャグチャ。


 圧倒的な力で敵を押さえつけ、二匹目の化け物は一匹目の化け物を咀嚼していく。その体表は銀色の鱗に覆われ、手足には鋭い爪、尻には太くて長い尾があった。


 やがて化け物は化け物を食い終わり、こちらを振り返った。


 ――化け物のその真っ赤な目と、目があった気がした。



 トシヤが次に目を覚ましたのは、警察の保有する特殊な病院だった。目が覚めてから数時間、何が起きたのか飲み込み切ることができずトシヤは呆然としていた。しかしそんなトシヤには構わず、一人の慇懃無礼な訪問者がトシヤのもとを訪れたのだった。


「あれはある病の発症者です」

「病……?」


 それはスーツを着た若い女性だった。胸に付けられた名札には「トガク」と書かれている。この病院にいるということは警察関係者なのだろう。しかし彼女は所属を名乗ろうともせず、突然そう切り出した。


「あれっていうのはあの化け物のことか? 病っていうのはどういうことなんだ。まさか――あれが人間だなんて言うんじゃないだろうな」


 混乱しながらも震える声でトシヤは言い募る。しかしトガクは感情を一切見せない目でトシヤに言い放った。


「これ以上は機密情報です。知りたいのなら――」


 トガクは手元のファイルから一枚の紙を取り出した。


「こちらを、お受けください」


 手渡されたそれに目を通す前に、トガクは「失礼します」と言って病室から出ていってしまった。残されたトシヤは手元の紙に書かれた単語に目を見開いた。


「特務捜査官……」



 3ヶ月後。特務捜査官の訓練を無事にパスしたトシヤは、街の郊外にある研究施設へとやってきていた。今日が特務捜査官としての初めての任務。うまく立ち回らなければ――最悪死ぬ。


「31番。彼が新しいパパだよ。仲良くするように」


 白衣の研究員に連れてこられたのは、水色の手術衣を着た一人の少女だった。

 まるで空を映したかのような灰色の髪。裂けた口から覗く牙。額から生える二本の角。そしてその目は――血のような濃い赤色をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る