第2話 四足自走型チーズケーキもどき 02
5年前。灰の街は今と変わらず、空から白い灰ばかりを降らせていた。雲に切れ間はなく、十数日に一度ぱらぱらと降って来る雨以外には、天気の変化らしいことは何も起こらない。
そんな街の小綺麗なビルの一階の店に、トシヤともう一人の男は座っていた。昨夜降った雨のせいでいつもより湿気った空気を吸い込んで、トシヤは目の前に座る男に言葉を吐き出した。
「俺は美味い飯を奢ってくれるって言うからついてきたんですけどね、ハラキ先輩」
目の前のスーツ姿の男、ハラキは飄々と笑って両腕を軽く広げてみせた。
「美味い飯じゃないか。コーヒーは美味い、店の雰囲気もいい。他に何の不満があるって言うんだ?」
「ここが女子供に大人気のケーキ専門店だってことですかね」
そう、ここはケーキ専門店「アリス」。店内はピンクを中心とした明るい配色で纏められており、所々には女子供に好まれそうなぬいぐるみや雑貨が置いてある。机や椅子もまるでおもちゃのようで、背の低い椅子に座っているせいで、高身長の二人は二人とも足が余ってしまっていた。ハラキは一本取られたとでも言いたそうな仕草で陽気に笑った。
「そう言うな。一人じゃ恥ずかしかったんだよ」
「二人でも恥ずかしいですが?」
トシヤはハラキの顔をじろりと睨みつける。ハラキはまた声を上げて笑ってから、トシヤの機嫌が治らないのを見て、机の上のケーキを指差した。
「そんなに言うんならそのチーズケーキ貰うぞ? 要らないんだろ?」
「あげません俺のです」
トシヤは即答すると、皿の横に置いてあったフォークを手に取った。
大きめに切られたチーズケーキの先端に、フォークをゆっくりと差し入れる。しっとりとした生地をフォークは簡単に両断した。
ケーキの欠片を口の中に入れる。舌の上に滑らかな感触と爽やかな味が広がり、トシヤはほんの少しだけ目を細める。
美味い。今時珍しい古典的な製法で作られたケーキらしいとは聞いていたが、ここまで工場で作られた既製品と差が出るものか。鼻に抜けるレモンの香りも、喉の奥に残るクリームチーズの味わいも、くどすぎずちょうどいい。
「どうだ美味いだろ」
「……はい」
「そのチーズケーキがここのオススメなんだよ」
「そうなんですか」
「製法も昔ながらの方法なんだが、クリームチーズにもものすごくこだわっててな、なんでも――」
つらつらと自慢げに語り出したハラキを全く気にせず、トシヤはチーズケーキと向かい合っていた。次はどこを食べてやろうか。先端をもう一度攻めようか。それとも円周のキツネ色に色づいた部分を食べてやろうか。
口の端をうずうずと持ち上げるトシヤを見て、ハラキはまた笑った。
「お前本当に美味そうに食べるよなあ」
「そうですか?」
「そうだよ。普段は仏頂面なだけにこう、微妙な変化が分かりやすいというか」
「へえ、そうなんですね」
一切、ハラキの方を見ようともせずにトシヤは答える。それが生返事だとやがて気づいたハラキは、机に肘をついて、拗ねたように唇を尖らせた。
「……聞いてないなお前」
「聞いてますって」
惜しむようにチーズケーキを平らげたトシヤはふーと満足そうに息を吐く。そんなトシヤに苦笑いした後、ハラキはふっと真剣な顔を作った。
「それでお前、異動希望先は出したのか?」
その言葉にトシヤは体を強張らせた。
トシヤとハラキは同じ警察署に勤める同僚だ。25歳であるトシヤに対して、ハラキは27歳の先輩である。
この街の警察では毎年、年度末前に希望を募っての部署異動が行われていた。最初の数年は選ぶことのできる部署は限られており、また希望が叶えられることも稀であったが、4年目ともなれば選択肢も広がり、希望が通る可能性も高くなってくる。
ここでの選択が自分の将来をほぼ確定させるであろうことは明らかであり、トシヤはどの進路を選ぶか決めかねているのであった。
「刑事課――刑事事件を担当する課だ。分かりやすいな。警護課――要人警護が主な任務だ。交通課――地味だが縁の下の力持ちってやつだ。それからこれはあまりオススメしたくないんだが――」
「……特務捜査官ですか」
ハラキは険しい顔で黙り込む。トシヤは手元のコーヒーで指先を温めながら問いかけた。
「ハラキさん、質問なんですが」
「なんだ」
「――特務捜査官って実際のところ何なんです?」
特務捜査官。それは民間人はおろか、警察内部ですらその詳しい任務内容を知らされていない謎の部署だ。ベテランの警察官ですら、接点がなければ誰が特務捜査官なのかすら分からないと言われていた。ハラキは眉を寄せながら、口を開いた。
「俺も詳しいことは知らない。だが、警察の人間でありながら警察外部で活動しているとも、この街で不可解な荒事が起きた時は必ず現れるとも言われている」
「不可解な荒事、ですか?」
ハラキは眉間にしわを寄せたまま身を乗り出して、トシヤに顔を近づけた。
「バラバラ殺人だよ。――正確にはグチャグチャ殺人だがな」
「……グチャグチャ殺人?」
「死体がな、人間の原型が残らないほど酷い有様なんだそうだ。そういう現場に彼らは現れる。そして刑事部の奴らを追い出して、事件を解決しちまうらしい」
ハラキは小声でそう囁く。縄張り意識の強い刑事部に対してそんな横暴が許される集団があるということがトシヤは俄かには信じることはできず、疑いの目をハラキに向けてしまった。ハラキはそんな目を気にせず、顔を遠ざけて肩をすくめた。
「まあ、わざわざあそこを選ぶやつなんてそうそういないし、選んだとしても狭き門らしいからな! 気にすんな!」
そうやってはぐらかされ、トシヤは釈然としない思いを抱えながら冷めかけたコーヒーへと目を落とした。
「しかし美味かった! また来ようなトシヤ!」
「ええ……またココにですか……」
確かに美味かったが気が乗らない。そんな気持ちを込めてハラキを見るも、二人分の支払いを終えたハラキは声を上げて陽気に笑うばかりだった。
しかし二人が次にこの店を訪れることは、ついになかったのだ。
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