第1話 電極培養豚の豚骨ラーメン 05(終)

 5日後、午後6時ごろ。

 トシヤとミィは「メンノヨサ」ののれんをくぐった。店内には相変わらず客はおらず、流しっぱなしにされたラジオの音だけが響いている。


「ああ、いらっしゃい!」


 カウンターの向こうのヨサロウは、二人を笑顔で迎えた。トシヤはカウンター席に腰掛けながら、慣れた口調で注文をした。


「ラーメン二つ。チャーシュー上乗せで」

「へい! いつものですね!」


 ミィもまたカウンター席によじ登って腰掛ける。あれから二人は毎日のようにこの店に通っていた。その度に頼むのはいつも同じもので、二人は既にこの店の常連と言っても過言ではない存在になっていた。


「聞かないんだな」


 麺を湯切りするヨサロウに、トシヤはポツリと尋ねる。


「俺たちが何者なのか」

「そりゃあ驚きましたけど……それよりあなた方はうちのラーメンを美味しいって言って食べてくれる大事なお客様ですから。野暮なことは言いっこなしですよ」


 へいお待ち、と二人の前にどんぶりが一つずつ置かれる。ミィはすぐにそれに手をつけ始めたが、トシヤはじっと白く濁ったスープを見つめていた。


「とある調査をしている」


 ラーメンから目を離さないまま、トシヤは切り出した。


「『ヒミコ』という名前に聞き覚えはないか?」

「……いえ、ないですね」


 硬質な口調でヨサロウは答える。トシヤは小さく「そうか」とだけ言うと、割り箸を割ってどんぶりの中に差し入れた。


 少し伸びた麺をかきこみ、胃の中に流し込んでから、トシヤは陰鬱な顔で「ごちそうさま」と言った。


「また来る」


 そう言って立ち去るトシヤとミィの後ろ姿を、ヨサロウは動揺した目で見つめていた。





 翌日、トシヤとミィは繁華街を歩いていた。いつも通りトシヤの指にはミィの指が絡められ、二人ともレインコートのフードを被っている。空から降る灰はいつも通り白く、徐々に道路に積もっていった。


「トシヤ」


 ミィは不意に立ち止まると、トシヤの指をくいっと引っ張った。


「囲まれてる」


 その言葉に、トシヤは右手の薬指にはめられた大振りの指輪を握り込んだ。ロックを外し、三回押し込む。緊急事態の合図だ。


「行くぞ」

「うん」


 二人は顔も見合わせずに言い合うと、ゆっくりと歩きはじめる。繁華街の中心部を過ぎ、外れへと。目的地は豚骨ラーメン店「メンノヨサ」だ。


「へい、いらっしゃい!」


 ヨサロウの明るい声が二人を出迎える。二人はいつも通りカウンター席へと座った。店内には他に客はいない。


「いつものですね?」

「ああ」


 言葉少なにトシヤが返事をすると、ヨサロウはスープをどんぶりに入れ、麺を湯に通し始めた。ミィはじっとその様子を見つめると、鼻をふんふんと鳴らして、トシヤの袖を引いた。トシヤはちらりとミィの方に目をやった。


「ラーメン二つ、お待ちどうさま」


 ごとりと音を立てて目の前にラーメンが置かれる。ミィは笑顔で割り箸を割って、ラーメンどんぶりを引き寄せたが、トシヤはどんぶりに手をつけようともせず、じっとそのスープを見つめていた。


「……あの、どうかされましたか?」


 心なしか焦った声でヨサロウは尋ねる。数十秒の刺すような沈黙の後、トシヤは口を開いた。


「なあ、アンタ、外の『灰』が何故降ってるか知っているか?」

「え?」

「あれは抑制剤だ。この街の住人の誰もが罹患している、とある病の症状を抑制するものなんだよ」


 トシヤはカウンターの上でぎゅっと拳を握りこむ。顔をしかめ、絞り出すように言った。


「お前がこのラーメンに盛った『ヒミコ』はな、その抑制剤の効果を無効化するものなんだよ」


 数秒の沈黙の後、何を言われたのかをやっと理解したヨサロウは、顔を真っ青にして震えだした。


「そ、そんな、これはただの睡眠薬だってあいつらは……!」

「それを信じたのか」


 冷たい声でトシヤは言い放つ。ヨサロウは俯きながら、泣き出しそうな声を出した。


「そんな、そんなことって……」


 そしてハッと気づいた顔をすると、夢中になってラーメンを食べているミィからどんぶりを取り上げようと手を伸ばした。


「た、食べちゃダメだ! そんなもの食べたら君は!」

「もう遅い」


 トシヤは淡々と宣告する。ヨサロウが手を伸ばした先にいたミィの体は、二倍ほどに。ミィはもはや箸すら使わず、どんぶりのなかに肥大化した頭を突っ込んで、ラーメンを啜り食っていた。


「とある症状を抑えていると言っただろう。その症状がこれだ」


 どんぶりからミィはゆっくりと顔を上げる。膨れ上がった体に耐え切れず、レインコートがはじけ飛ぶ。その目は血走り、その口には鋭い牙が生えそろい、2メートルほどにまで膨れ上がったその体は灰色の鱗で覆われている。その姿はまさに――だった。


「アンタには『ヒミコ』を服用した嫌疑がかかっている」


 ずるずると重い尻尾を引きずって、ミィだった怪物はカウンターを踏み越えて、ヨサロウへとにじり寄る。


「の、飲んでない! 俺はあれを預かってほしいって言われただけで、飲んでもいないし、売ってもいない!」


 必死で弁明するヨサロウをトシヤはじっと見つめる。彼が何を言おうと、成すべきことは決まっていた。


「ミィ」


 トシヤの言葉にミィは振り向く。その目は期待に満ち溢れ、トシヤの号令を今か今かと待っているようだった。トシヤは苦々しく目をそむけながら言った。


「食べていいぞ」


 化物の表情はパッと輝き、その巨大な足でヨサロウを押さえ付けた。


「イタダキマス」


 横に裂けた口からその言葉が聞こえ、直後、ヨサロウの悲鳴が店内に響き渡った。


 ばりばり、むしゃむしゃ、ごくん。


 ほんの数十秒続いた悲鳴はすぐに聞こえなくなり、単調な咀嚼音だけがカウンターの向こう側から響いてくる。やがてその音もしなくなった頃、化物の姿はするすると縮んで、少女の姿へと戻ってきた。


「ごちそうさまでした」


 ミィは行儀よく手を合わせてそう言う。トシヤはカウンターを乗り越えると、裸で血まみれのミィに、落ちていたレインコートを着せてやった。


 外に控えていた奴らの仲間が暴れたのか、店の外では、銃声や怒鳴り声がしばらく響いていたが、それもじきに収まった。すぐにこの場所は封鎖され、捜査の手が入るだろう。トシヤは大きなため息を一つ吐いて、床にひっくり返ったラーメンどんぶりを見下ろした。





「任務ご苦労さん」


 いつものラーメン屋台で、豚骨ラーメンを出しながら、店主はトシヤをねぎらった。隣ではミィが既にラーメンを食べ始めている。


「どうだった? 今回は少し時間がかかったみたいだったが」

「別に、いつも通りだ。ただ……ちょっと慎重にいきすぎただけだよ」


 ラーメンに手をつけようとせず、トシヤは店主から目を逸らす。店主はふと思い出した顔をした。


「ああ、そうだ。結局、あの男の体液から『ヒミコ』はよ」

「……そうか」


 トシヤはぽつりと答えた。と、その時、店主の持つ携帯端末が陽気な着信音を鳴らした。店主は迷いなくその電話を取ると、しばらく会話をした後、きゅっと眉を寄せた。


「あーちょっと待ってろ。すぐに戻る」


 そう言い置いて店主は屋台の外へと出ていく。あの反応をするということは気楽な内容の電話ではなかったのだろう。屋台の外で背を向けて通話する店主の姿は、追加の仕事を予感させた。


 ふと気づくとラーメンを食べ終わったミィがこちらを見上げてきていた。ちらちらとトシヤのラーメンを見ていることから考えるに、食べないのなら貰ってもいいか、と言外に言っているつもりなのだろう。


 トシヤはそれを無視して、伸びきったラーメンに箸を入れ、一気に啜り上げた。何度か咀嚼して飲みこむ。合成調味料のエグみが舌の上に残った。


「……苦いなあ」


 ポツリと呟かれた言葉は、誰にも届かないまま、灰色の空に消えていった。



(おしまい)

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