第1話 電極培養豚の豚骨ラーメン 04

 翌日、メンノヨサのカウンターを挟んで、ヨサロウとトシヤたちは顔を合わせていた。昼時だというのに店内にはトシヤたち以外に客はおらず、閑散としている。


「あ、あのう……また何かご用でしょうか」


 違法行為を見られた昨日の今日だからだろう。どうしてトシヤたちが再び店を訪れたのか分からず、ヨサロウは混乱していた。ヨサロウの問いには答えず、トシヤは一言だけ言った。


「ラーメン二つ」

「へ?」

「ラーメン二つ。俺と、こいつの分だ」


 淡々と告げられた言葉を十数秒かけてゆっくり飲み込むと、ヨサロウは慌てて麺を掴んで湯切り用のザルに入れた。


「麺の固さはどうしましょう?」

「かためで」

「普通!」


 最初にどんぶり2つにスープを入れると、ヨサロウはザルをお湯に入れて縁に引っかけた。待つこと十数秒。片方の麺を取り上げると大きく振り下ろして湯を切り、中身をどんぶりの中へと流し込む。次いでもう1つの麺も同様に湯切りした。


 そのまま目の前に出されるのかと思いきや、なんと店主はラーメンの上に


 具のないラーメンが主流となったのはここ数世紀のことだ。かつてはどこのラーメン店のラーメンにも具は乗っており、むしろ具が主役だというラーメンすらあったらしい。


 しかし長く続いた最終戦争(この戦争が最後の戦争であれという願いを込めてそう呼ばれている)を経て、食糧難に陥った人類は多くの食べ物文化を縮小化した。つまり具を入れることをなくしたり、そもそも贅沢な料理を禁止したり、などといった規制が行われたのだ。そしてその変化は数世紀をかけてゆっくりと新しい文化へと変貌した。


 その結果、ラーメンとは「どんなにひもじい人間でも食べられる安価で具のない食べ物」として、食糧難が大方解決した今になっても文化として根付いてしまったのだった。


 目を丸くするトシヤとミィの前に、大きなどんぶりが二つ置かれる。どんぶりの上には、大きなチャーシューと半分に割られた半熟玉子が乗っていた。二人は割り箸を取って手を合わせた。


「いただきます」

「いただきます!」


 まずは麺に箸を差し入れて持ち上げる。針金ほどの太さの細麺だ。ふーふーっと息を吹きかけた後、口に入れて吸い込む。濃厚な豚骨の香りが口いっぱいに広がる。舌に絡む味は卵黄にも似ている。細麺だが歯ごたえもいい。むしろ歯の上できれいに噛み切れるのが小気味好くすらある。ごくりと飲み下す。美味い。食べ物にはっきりと優劣をつけるのも野暮なものだが、これは普段食べているラーメンの数倍は美味しい。


 隣のトシヤも夢中になって箸を動かしているようだった。大きな口を開けてずずっと麺を吸い込み、あっという間にどんぶりはスープ以外空になっていた。


「替え玉貰えるか」

「は、はい!」


 店主は再び麺を茹で始める。ミィはここまで取っておいた具に手をつけることにした。


 まずはチャーシューだ。きっと昨日見た電極培養豚から作られたものだろう。分厚く切られたそれは、箸を突き刺すと簡単にほぐれて千切れた。


 ミィはれんげでそれを掬い上げ、口元に持っていってスープごと吸い込んだ。チャーシューは柔らかくそれでも肉の旨味を主張する部分も存在した。ミィは数度噛んでそれを飲み込むと、今度は残された大きなチャーシューを一気に掴み上げて口の中に押し込んだ。じゅわっとチャーシューに染み込んだスープが口の中で溢れ出す。両方のほっぺたをパンパンにしながらミィはそれを咀嚼し、飲み込んだ。


 次は半熟玉子だ。麺の上に浮かぶ玉子を、れんげの上に置いてスープに浸してみる。箸を黄身に突き刺して小さくかきまぜ、スープが染み込んだあたりで、一気にそれを口に入れた。濃厚なスープと黄身が実によく合う。総合的に見ても92点といったところか。もぐもぐと口を動かした後、ごっくんとそれを飲み込み、ミィは残された麺に手をつけ始めた。


 やがて麺はあっという間になくなり、残されたスープも二人はどんぶりを持ち上げてゴクゴクと飲み干した。


 二人揃ってごとりとどんぶりをカウンターに置き、二人はハーと大きく息を吐いた。


「美味いな」

「美味しい……!」


 ヨサロウはきょとんと目を丸くした後、急にぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。声を殺してしゃくり上げるヨサロウに、トシヤは怪訝な目を向ける。


「どうかしたのか」

「す、すんません、目の前で美味しいって言ってもらえるの初めてで……!」


 感極まって泣き出すヨサロウに、二人は困惑の目を向けることしかできなかった。ヨサロウは泣きながら語り出した。


「うち、お客さん全然来なくて……それで困ってて……」


 そこはトシヤも気になっていたところだった。昼時だというのに、トシヤとミィ以外にこの店には客がいなかったのだ。


 しかしその理由もトシヤには大体見当はついていた。


「ここのラーメンは高いからか」

「……はい、お金を出して雑誌に載せてもらってもやっぱりダメで……もううちのラーメンは美味しくないんじゃないかと……」


 そう、ここのラーメンは値段が高かった。具が乗っている他にも麺やスープにもこだわっているのだろう。他の一般的なラーメン店に比べて三倍はする値段設定だったのだ。


 未だにしゃくり上げるヨサロウを、トシヤはまっすぐ見据えて言った。


「確かにこのラーメンは高い」

「はい……」

「だがそれだけの価値はある美味さだ」


 ヨサロウは腕で涙をぬぐいながら、深く頭を下げた。


「あ、ありがとうございます、ありがとうございます……!!」


 トシヤは立ち上がり、カウンター上に紙幣を置いた。


「ごちそうさま。また来る」

「ごちそうさまでした!」

「ふぁい、ありがとうございました!!」



 メンノヨサを出た二人は、地下鉄を使ってホシヤマ駅へと向かっていた。ホシヤマ駅は中央繁華街から一駅だけ外れた位置にある駅だ。駅前のビルの間を突っ切り、寂れてネオンの消えた雑居ビルの合間に見えてくるのはいつもの店主のいるラーメン屋台だ。


「いらっしゃい。今日もラーメンかい?」

「俺はいい。さっき食べてきた」

「じゃあミィちゃんの分だけだね」


 店主はトシヤとミィを見比べると、麺を一玉だけ取って湯に通し始めた。ミィはカウンターの前にビール瓶の箱をひっくり返して引きずってきた。


「例の案件か」

「ああ」


 ミィの目の前にラーメンが置かれる。ミィは小さく「いただきます」と言うと、ラーメンに手をつけはじめた。


「時間はかかりそうなのか」

「……早めに片をつけるつもりだ」

「そうしてくれ。俺たちの平穏な生活のためにな」


 しばらくの間、ミィがはふはふとラーメンを啜る音ばかりが響く。やがてミィはきれいにラーメンを平らげると、パンと手を合わせて「ごちそうさま」と言った。


「行くぞ、ミィ」

「うん!」


「トシヤ」


 硬貨を置いて歩き出したトシヤの背中を、店主は呼び止めた。


「……情はかけるなよ」

「分かっている」


 トシヤは小声で答えると、そのまま灰の降る街をミィと一緒に歩いていった。

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