第1話 電極培養豚の豚骨ラーメン 03
その店は街の中央に位置する繁華街の外れにあった。雑居ビルの一階に入っているそこは、ネオン看板も呼び込みの店員もいないこじんまりとした店だった。店名は「メンノヨサ」。チェーン展開をしていない個人のラーメン店だ。
トシヤとミィはそんなメンノヨサへと近づき――店のドアにかけられた「close」の看板に気がついた。
営業時間外だろうか。しかしもうそろそろ夕食時に差し掛かる頃だが。手元の時計は5時45分を指し、見回してみれば周囲の店にはちらほらと明かりが点り始めていた。
「あのう、もしかしてお客さんですか?」
背後からかけられた声にトシヤは振り向く。そこにいたのはまさに今探している人物――メンノヨサ店主のヨサロウだった。トシヤがヨサロウを見下ろすばかりで何も答えないでいると、ヨサロウは申し訳なさそうに笑った。
「すみません、うち水曜日は定休日なんです」
そう言って頭を下げるヨサロウを、トシヤはじっと見下ろし、それからミィへと視線をやった。ミィはトシヤを見上げて首を横に振った。
「あの、ですから別の日にまたご来店いただけると……」
いつまで経っても店の前から動こうとしない二人に、ヨサロウは弱々しい声で言いつのる。元々気弱な性分なのか、背の高いトシヤに見下ろされているだけでヨサロウは細かく震えているようだった。
「……分かった。行くぞミィ」
「うん! バイバイ、お兄さん!」
ミィは元気に頷くと、ヨサロウに向かって手を振った。ヨサロウも苦笑しながら手を振り返す。そうして二人が去っていった後、ヨサロウは店から離れてどこかへと歩き出した。
そんなヨサロウの背中を、隠れて様子を見ていた二人は追い始めた。
「追うぞ」
「うん」
ヨサロウはネオン輝く表通りを少し逸れたところ、灰色のビルが所狭しと立ち並ぶ裏路地へと歩いていった。どんよりと曇った空からは、いつも通り灰が降っている。トシヤとミィが追いかけていくと、ヨサロウはとある雑居ビルへと入っていった。
ヨサロウの姿が完全に金属扉の向こうに隠れたのを確認してから、彼が乗ったエレベーターの階数を確認する。――5階。このビルの最上階だ。トシヤとミィは足音を殺して階段を上っていった。
最上階には事務所らしきものが一つあるだけだった。音を立てないようにそっと扉を開け、中の様子をうかがう。ヨサロウは事務所の奥でこちらに背を向けて何かの作業に没頭しているようだった。
トシヤはレインコートの下にぶら下げた拳銃を取り出して部屋の中へと進もうとし――
「待ってトシヤ」
――ミィの制止によって足を止めた。ミィは声を潜めながら言葉を続ける。
「においがしない。ここじゃない」
ミィの言葉にトシヤは表情を険しくして、踏み出していた足をゆっくりと戻していった。しかしその時、開かれたドアの蝶番がきいと鳴った。
「誰だ!」
勢いよく振り向いたヨサロウと、立ち上がりかけたトシヤの目がばっちりと合う。
「え、えっ? なんでアンタらここに……」
混乱するヨサロウを睨みつけながらトシヤはゆっくりと立ち上がる。その手に拳銃が握られていることに気づいたヨサロウは、慌てて両手を上げた。
「ごめんなさいお巡りさん! ほんの出来心だったんです! 見逃してください!」
トシヤは油断なく拳銃を構えながら、歩み寄っていく。ヨサロウの向こう側には何かの機械が置かれているようだった。
「お願いです許してください! た、ただの電極培養豚の養殖じゃないですか!」
「……電極培養豚?」
思いもよらない単語が飛び出て、トシヤは思わず間抜けな声で聞き返してしまった。拳銃をヨサロウに向けたまま、ヨサロウの後ろにある機械を覗き込むと、そこには、頭の代わりに巨大な電極が差し込まれた豚肉が浮かんでいた。
電極培養豚は、頭を切り落とした豚に脳の代わりの電極を埋め込み、ナノマシンの含まれた液体に浸すことによって培養した豚肉だ。機械さえそろえば誰でも培養ができると評判になったが、安全面での問題や価格崩壊の問題があり、特殊な免許を有する者でなければ培養することはできなくなっていた。
トシヤは培養水槽を覗き込み、それからミィの方を振り返って尋ねた。
「ここじゃないんだな?」
「うん、ここじゃない」
ミィは頷いて答える。トシヤは拳銃を下ろしてヨサロウに向き直った。
「お、俺はただ美味しいラーメンを作りたくて……!」
「俺たちはただの私立探偵だ。アンタのそれを裁ける立場じゃない」
「……へ?」
「邪魔してすまなかったな。人違いみたいだ」
そう言い残すとトシヤは足早に部屋を後にした。ミィもその後ろを慌てて追いかけていく。
「な、なんだったんだ……」
呆然と呟くヨサロウに答えるのは、こぽこぽと泡を立てる培養水槽の音だけだった。
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