第1話 電極培養豚の豚骨ラーメン 02
この街には灰が絶えず降っている。どこから降り注いでいるのかは誰も知らないし、どうして降っているのかも誰も気にすることはない。
要は情報統制が行われているのだ。市民の知らぬうちに、粛々と、その秘密を知ってしまった者も口を噤むように。
そんな街をレインコート姿のトシヤとミィは歩いていく。トシヤの指先にはミィの小さな指が絡められており、ゆっくりと歩くトシヤの横をミィはとたとたと早足で歩いていった。
二人の頭上では昼間だというのにネオンがチカチカと瞬いている。スピーカーから流れる底抜けに明るい宣伝文句とは裏腹に、道行く人々の表情は陰鬱だ。
そんな街の一角、店先で串焼きを売っているのにミィは目を止めると、排気口から出てくるその香ばしい匂いを名残惜しそうに思い切り吸い込んだ。トシヤはミィをちらりと見た。
「腹が減ったのか」
「……うん」
申し訳なさそうに頷くミィに、トシヤは手首の腕時計を確認した。午後2時10分。間食にしたって早すぎるだろう。
「もう一時間待てるか?」
ミィは目を潤ませて見るからに哀れっぽい眼差しでトシヤを見上げた。トシヤは立ち止まって繰り返した。
「もう一時間だ。待てるな?」
「……はーい」
いちいちミィの空腹に付き合っていては日が暮れてしまう。期限付きの目的のある身には甚だ厄介な同行者だったが、それでもトシヤにはミィを連れ回す理由があった。
屋根付きの階段を降りて、街の下を走る地下鉄へと向かう。二人でICパスをかざして改札内へと入ると、ホームは外の灰を避けた人々でごった返していた。
轟音を立てて列車がホームへと滑り込んでくる。圧縮された空気が風となって二人に吹き付け、深く被られていたミィのフードを巻き上げた。
「あっ」
その下から現れたのは、少女の姿には相応しくない有様だった。目や鼻こそ人間のあるべき場所についているが、口元は左右に裂け、肌のところどころには鱗が浮かび上がり、何よりその額には二本の角が生えていた。
ミィのフードが取れていることに気づくと、トシヤは列車が止まりきる前にさりげなく彼女のフードを被せなおした。
「しっかり被れ」
「うん」
人波に流されるようにして車内に乗り込み、そのまま列車に揺られること3駅。あまり降りる人間のいない無人駅に、二人の目的地はあった。
「情報屋さん!」
福と書かれた扉を開き、ミィはその店の中に駆け込んでいく。店と言っても怪しげな棚や書類、壊れかけた電子機器が積み上がっているだけの、ほとんど倉庫のような場所だった。そんな店の奥には一人の男が机に伏せていた。この街のあらゆる場所に網を広げている――情報屋だ。
「おう、お前らまだ生きてたのか」
会って早々軽口を叩く情報屋にトシヤは肩を竦める。情報屋はよっこらせと言いながら体を起こし――ミィが期待を込めた目で見つめてきていることに気がついた。
「情報屋さん情報屋さん、いつものくださいな!」
そう言って両手を差し出してくるミィに、「ああ」と納得したような声を出すと、情報屋は机の奥底からビニールで包装された飴玉を一個取り出した。
手のひらの上に落とされたそれにミィは目を輝かせると、そのまま包装紙を破って口の中に放り込もうとした。それを止めたのはトシヤの大きな手だった。
「ミィ」
名前を呼ばれたミィはハッと気づいた顔をして、情報屋にぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、情報屋さん」
そして顔を上げながらトシヤの方をちらりとうかがうと、トシヤは一つ頷いてみせた。ミィは笑みを深めると、包装紙から飴玉を取り出して口の中に放り込んだ。
ケミカルな味が舌の上を転がる。パッケージによればこれはぶどうの味らしいが、ぶどうとはこんなに甘ったるいものだっただろうか。でも匂いは確かにいつかに食べたぶどうに酷似しているような気がしたし、何よりこれはこれで美味しいので問題はない。
「ははっ、いつもながらよく躾けて――いや、手懐けてるじゃないか」
情報屋の言葉にトシヤは目を鋭くして情報屋を見る。情報屋は体を引いて弁明した。
「そう怒るなよ、冗談だよ」
「……別にいい。事実だからな」
言葉とは裏腹に若干不機嫌そうに顔を歪めながら、トシヤは先程渡された写真を机の上に置いた。ミィも口の中で飴玉を転がしながら机を覗き込んできたが、写真に手を伸ばそうとしてきたため、トシヤに追い払われていた。
「こいつを探してほしい」
「ほう、名前は?」
「分からん。周辺情報も不明だ」
「なるほどいつものか」
写真をぴらぴらともてあそびながら、情報屋は目を細めた。
「この顔、どこかで見たような気がするんだがなあ」
「本当か」
「うーん……、いや、すまん思い出せん。忘れてくれ」
情報屋にひょいと肩を竦められ、トシヤは軽くため息を吐いて「そうか」と返した。早く片がつくのであればその方がよかったが、思い出せないのなら仕方がない。情報屋は写真をしまいながら切り出した。
「いつも通り手がかりなしだからな。三日はかかるぞ」
「構わない。代金だが――」
「トシヤ!」
突然名前を呼ばれて、トシヤは振り返る。そこにはその辺りに放置されていた情報誌の1ページを掲げるミィの姿があった。
「これ、これ!」
特集記事は「行列のできる豚骨ラーメン屋」。そしてその店主の顔は――トシヤの持つ写真の男と一致していた。
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