第一部

第1話 電極培養豚の豚骨ラーメン

第1話 電極培養豚の豚骨ラーメン 01

 顔面よりも少し大きいどんぶりに、麺とスープがなみなみと注がれる。麺は太めでスープは白濁色だ。息を吸い込めば、小麦の香りと合成豚骨のあのプラスチック混じりの良い香りが鼻いっぱいに広がってくる。


 背の低い少女――少女と呼ぶには少し異形だったが――は、屋台の高いカウンターにしがみついてじっとそれを見つめていた。そのまなこはキラキラと輝き、待ち遠しい思いを雄弁に語っていた。


 カウンター越しの店主はその期待の眼差しに少し苦笑しながら、どんぶりを持ち上げて少女の前に置いた。


「へいお待ち。電極培養豚の豚骨ラーメンだ。遺伝子組み換え済だから味は保証するぜ」


「わあ!」


 少女は小さく歓声を上げると、どんぶりを引き寄せ、あらかじめ手元に置いておいた割り箸をパキンと割った。その反動で少しよろめき、足場にしていたひっくり返したビール瓶の箱から足を踏み外してしまったが、すぐに気を取り直してラーメンの前へとよじ登ってきた。少女はそのまま、スープの中に割り箸を差し入れようとし――


「こら、ミィ」


 傍らから降ってきた声に少女、ミィは顔を上げる。そこでは仏頂面の男がカウンターにもたれかかって、こちらを見下ろしていた。


「食べる前にすることがあるだろう」


 ミィはきょとんと目を丸くした後、ハッと何かに気づいたような仕草をして、慌ててどんぶりの上に箸を置いた。


「いただきます!」


 手を合わせてそう言うと、ミィは傍らの男、トシヤを恐る恐る見上げた。トシヤは仏頂面を僅かに崩して、ミィの頭を撫でてやった。


「そうだ。食べていいぞ」


 ミィはパッと表情を輝かせ、目の前のラーメンへと箸を入れた。白く濁ったスープから太い麺が持ち上げられ、合成豚骨と小麦の匂いが混じり合って鼻腔をくすぐる。ちょうどトシヤの前にもどんぶりが置かれたので、美味しそうな香りは二倍になってミィを襲った。ミィは満面の笑みを浮かべると、持ち上げた麺をふーふーと少しだけ冷ましてから一気に吸い込んだ。


 ずずずっと音を立てて、太麺が口の中に吸い込まれていく。とろりと濃厚な味が口いっぱいに広がる。ミィはその味を惜しむかのように、数度麺を咀嚼するとごくりと飲み下した。


 濃厚なスープによく絡む太麺が素晴らしい。歯ごたえよし、喉越しよし。具は無いが、一般的なラーメンならこんなものだろう。少し合成調味料を使いすぎてエグみが残っているのがマイナス点か。魚粉でも混ぜればなお良いものを。


 75点。ミィは内心でこのラーメンを採点する。直接店主に言うことはない。それは失礼だとトシヤに教えられたからだ。もっとも、店主に請われた場合はその限りではないが。


 傍らのトシヤは大人なだけあってミィよりもずっと早く箸を進めていた。ぐわっと一度にたくさん麺を持ち上げ、一気に口の中に吸い込む。舌の上に塩味が広がり、トシヤは僅かに頬を緩めた。


 あっという間に麺を啜り、スープを飲み干し、トシヤは空っぽになったどんぶりをごとりとカウンターに置いた。


「ごちそうさま」


 それを見たミィも慌てて口の中の麺を飲み込もうとする。しかしトシヤはそれを制した。


「急がなくていい。ゆっくり食べろ」


 ミィは麺を飲み下しながらこくりと頷いた。トシヤはどんぶりの上に箸を置いた。


「本当にお前らは美味そうに食うよな」

「美味いんだから当然だろう。それより――」


 食べ終わったどんぶりを店主の方へと返し、トシヤは店主に問いかける。


「今回のターゲットは?」

「……こいつだ」


 一気に深刻な顔になった店主は、一枚の写真をトシヤに手渡した。そこに写っていたのは画質は悪いが男の姿のようだった。


「悪いが名前も所属も分からん」

「いつものことだろう。気にするな」


 写真を受け取ると、トシヤは傍らのミィを見下ろした。ミィはちょうど麺を食べ終え、豚骨スープを飲み干したところだった。


「ごちそうさまでした」


 しっかりと手を合わせて言うミィを見届け、トシヤは硬貨を店主に支払った。ミィは踏み台からぴょんと飛び降りた。


「ごちそうさま。行くぞ、ミィ」

「うん!」


 二人はのれんをくぐって外に出る。空からは白い灰がしんしんと降っていた。

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