悲しきマキナ

絢谷りつこ

悲しきマキナ

 彼には兄がいた。生物の場合は一部の例外を除き、成長期においては先に生まれたほうが様々な事柄において優れている。それはそうだ。より長い時間を、成長に費やしているのから。身体も大きく知識や経験も豊富だろう。もっとも、大人になればその差は埋められたり、追いこされたり、個性という言葉で誤魔化されたりするのだが。

 彼の場合は、違った。初めから、弟である彼のほうが優れていた。それも、著しく優れていた。

 機械というものは、概ね、新しく生まれたもののほうが性能がいい。

 そう、彼と、彼の兄は機械だった。二人とも見た目は容姿端麗な若い男性の姿で、いつも穏やかに笑みを浮かべている。白い肌と黒髪、黒縁眼鏡は制作者であるわたしの趣味だ。

 制作者といっても、何もわたしは科学者ではない。最近ではウェブサイトから好みの容姿や頭脳の程度、得意分野などをカスタマイズして、注文する。1ヶ月ほどで、製品は出来上がり届けられる。というか、自らインターフォンを押してやってくる。最初の台詞はオーナーの好みで選べる。わたしは『ただいま』と言わせた。『おかえり』と笑顔で迎えたときの気恥ずかしさは今でも覚えている。

 彼らはゲヌス・マキナと呼ばれていた。機械の家族、というような意味だ。主に仕事の補助や家事、介助や介護などを担う。旧式にロボットと呼ぶにはあまりにも人に近すぎたし、工業用ロボットと区別をしたかったというのもあるのだろう。わたしも老い、手足が思うように動かぬ不自由を解消するために注文するに至った。

 ともかく彼らは、至極ふつうだった。ふつうの男の子だ。ひょろりと長い手足と柔和な笑顔の、若者だ。

 最初に我が家にやってきたのはむろん、兄のほうだ。彼も当然、注文時には最新型だった。豊富な語彙で会話を楽しむこともできたし、人の肌そっくりのラテックスは微細な表情を作り出す。わたしはたいへんに気に入って、彼を可愛がった。

 彼は珈琲を入れるのが得意だった。そう設定したのだが、家にきたばかりのころは実はあまり上手ではなかった。珈琲を上手に淹れるデータは持っているはずなのだが、実際に淹れるときの手や指使い、食器の扱いを調整するのに時間がかかった。

 だが、そのぎこちない手つきもまた、いいものだった。若く美しい男子が自分のために健気に珈琲を淹れているというのは、錆びついたわたしの心を非常に昂揚させた。

 彼はいつも、ネルドリップで珈琲を淹れた。珈琲メーカーは持っていたが、やはりハンドドリップのほうが香りがよい気がするし、何より風情がある。

 そういうわけで、わたしは彼の珈琲を日々愛飲していた。

 非常に満足し、彼と共に数年を過ごした。本物の人間と暮らすような煩わしさはない。ただ彼は手足の衰えたわたしの代わりに面倒な細々とした仕事をこなし、その美しい容姿と穏やかな性質でわたしの孤独を埋め、慰めた。

 ある日、いつもは消してしまう広告メールをふと読んでみると、新型機が発売されるとの記事があった。さらに人に近く、リアルな作りになっているという。興味を惹かれたわたしは早速、注文をしてみた。

 一ヶ月後、我が家のゲヌス・マキナ二号機がやってきた。わたしは彼らを兄弟という設定にした。生き別れた弟をわたしが呼び寄せ引き取ったという具合だ。弟の方は扉を開けるなり、兄に抱きつき『会いたかった』と泣いた。その涙は彼らの身体を循環し電気信号を送るための液体を濾過した物だとわかっていても、わたしは胸を突かれた。

 兄のほうは不思議そうな、困ったような顔をわたしに向けていた。わたしはというと、なんだか本当に生き別れの兄弟を巡り合わせたのだという気持ちになり、もらい泣きをしてしまった。それを見て、兄のほうはさらに困った顔をして首を傾げ、それでも弟の背中をぎこちなくぽんぽんと叩いた。

 彼らは基本、弱者には優しく親切に接するようにできている。ただそれが自分と同種の者だということに戸惑いを覚えたのだろう。わたしが微笑み頷くと、正しい行動だったと納得したようで、兄は弟を引き寄せ抱き締めた。

 最新型の弟は、本当にこれが機械なのかと目を疑うほど、人間に近かった。いや、人間そのものだった。なんと、仕事をさぼるのである。言いつけを忘れたり間違ったり、指摘したときの反応はしょげる、拗ねる、愛想笑いで誤魔化そうとするがランダムに現れる。これにはまいった。この失敗の仕方がなんとも愛らしいのである。兄はそれを、怒るでもなくフォローする。その姿も微笑ましかった。

 そういうわけで、わたしは二人の美青年との生活を楽しんでいた。兄が淹れた美味しい珈琲を飲みながら、弟が間違えて買ってきた資料を、見聞を広めるのもいいかと読んでみる。

 ある日、珍しく弟が珈琲を淹れていた。兄は隣で見守っている。訊くと、自分も珈琲を淹れてわたしに飲ませたいのだと言う。なんと可愛らしいことを言うのか。仲睦まじい孫たちを見るような気持ちで、兄が弟に珈琲の淹れ方を教えているのを眺めた。

 そしていつものカップに注がれた珈琲を一口飲んでみる。

「……………………」

「どう? 美味しい?」

 弟が訊く。期待に目を輝かせて。思わず『美味しいよ』と言って頷いた。だが、弟の表情は見る見る曇り、悲しそうに眉を下げる。彼には最新の、人間の表情や体温の変化を読む機能が備わっている。オーナーの体調管理のためのものだ。微細な筋肉の動きで、彼はわたしの嘘を見抜いてしまったのだろう。

 彼らの仲がぎくしゃくし始めたのは、そのときからだった。いや、正確には、弟のほうの様子がおかしくなっていった。

 兄の仕事を横取りしては失敗し、落ち込む。邪魔をしているところを咎めると拗ねる。兄のほうはというと、弟に何をされても黙ってやり直し、仕事を遂行しようとする。機械的といえばそうなのだが、それが健気にも見えてなんだか気の毒に思った。

 結局は、わたしはピュグマリオンの毛があるのだろう。最初は最新の機能に感動はしたが、あまりに人間に近い性能を持つ弟よりも、どこか人形じみた人工物らしさを残した兄のほうを偏愛した。

 聡い弟はそれを敏感に察知し、なんとかわたしの関心を自分に向けようと虚しい努力を続けた。その姿もまた興味深く、わたしは彼らを傍観していた。

 ある朝、彼らはわたしを起こしにこなかった。いつもなら珈琲の香りが漂い、朝食の準備が整っている頃だ。不審に思ったわたしは、彼らに与えた部屋をノックした。

 返答はない。再度ノックをしてそれでも反応がなかったので、わたしは扉を開けた。

 弟のほうは起きていたが、まだ寝間着のままだった。眠る兄のそばに呆然と立っている。青ざめた顔、白い指先は小刻みに震えていた。

「どうかしたか」

 弟と、兄の顔を交互に見る。弟は今にも涙の粒を零しそうな潤んだ目でわたしを見た。戦慄く唇が、言葉を形作る。だが、声にはならない。

 ―――ごめんなさい。

 そう言おうとしているらしい。そろそろと彼は右手をわたしに差し出す。その手のひらの中には一センチ四方ほどの小さなチップが乗せられていた。中央には亀裂が入っている。これは、兄を兄たらしめるための証。わたしが設定した兄の情報と、ここで過ごした記録だ。

 それを壊した。つまり、彼は兄を殺したのだ。

 彼らは物体であるから生命体としての死を迎えることはない。現に兄の身体にはチップを取り出したときの小さな傷しかない。充分に再生可能だ。

 だが。

 ここで過ごしわたしが愛でた彼はもう二度と戻らない。定期的に取得されるログを移して復旧も可能だろうが、それでもそれは、ただの複製で、彼自身ではないのだ。

 これは死といっていいだろう。

「……すまなかった」

「どうして、謝るんですか」

 擦れた声で訊ねてくる弟の頭をそっと撫で、わたしは首を横に振った。

 正直、侮っていたのだ。ゲヌス・マキナという存在を。

 いくら人に近いと言っても、機械だ。感情と思われるものも、人らしく見せるための装飾くらいにしか思っていなかった。

 事実そうなのかもしれないが、人に近いことを望みそれに満たされていたのなら、もっと彼らを人として扱うべきだったのだろう。兄が自分より愛でられることに嫉妬し、注がれる愛情を計って焦る弟の様子を興味深いなどと言って楽しんでいた。

 彼らは人に危害を加えることはない。だが、機械同士ならば。

 弟の頬を涙が伝う。わたしは軋む肩の痛みも構わずに、腕を上げ、乾いた指で彼の涙を拭った。

「彼は回収してもらおう。後でカスタマーセンターに連絡をしておいてくれ」

 はっとしたように彼は目を開き、また涙が零れ落ちる。

 兄は旧型だから、回収されても再利用される可能性は低い。そのまま廃棄されるかもしれない。

 自分の罪の重さを改めて知ったように弟は青ざめる。

 その憐れな表情に、わたしの心は震え、乾いた身体が昂ぶる。悪趣味なことは自覚している。

「珈琲を淹れてくれるか。うんと濃いやつを」

 わたしは彼に背を向け、感情を殺した声で言う。それでも彼には伝わってしまうかもしれない。

 わたしが醜悪な顔を紅潮させ笑みを浮かべていることが。

 最も憐れなのは、わたしがどれほど非道で悪趣味な老人だとしても、彼は嫌うことも憎むことも、逃げ出すこともできない。オーナーと認識した人間は、彼らゲヌス・マキナにとって神に等しき絶対の存在なのだ。

 わたしの役に立ち、気に入られ、愛でられることが存在意義だ。気に入られなければ廃棄の道が待っている。

 彼は成功した。わたしは、兄殺しの機械をたいへん気に入った。

 それから、珈琲を淹れるのは彼の仕事となった。不思議と、兄がいなくなった後のほうが、彼が淹れる珈琲は美味しい。兄の手つきを思い出し、罪の意識に苛まれる苦悩の表情が趣を加味してくれるのを差し引いても。

 わたしの前に珈琲カップを置くとき、いつも彼の手は震えていた。黒い液体がさざ波を立てる。

 怯えているのかもしれない。

 自分に、弟ができることを。

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悲しきマキナ 絢谷りつこ @figfig

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