第19話 祠堂頸木との決着
《副軸――祠堂頸木[しどう くびき]》
「もしもこの世界から、人間に与えられるすべての呼び名を奪ったら、どうなると思いますか?」
いつもの非常階段で、真田悠人はふとそんな仮定文を投げ掛けてくる。
私はたった一人の同胞に、静かな視線を向けた。
「僕は、思うんですよ。もしそうなったら、きっと『個』は完全に失われ、僕たちは『人間』という一つの集団になるのだと」
「お前は『中国脳』……について、話しているのか?」
「人間は、数千億個もある脳細胞の一つ一つに、いちいち名前なんて付けませんからね。だから『脳で考えたこと』=『その個人が考えたこと』になる」
少年は、そこでふと微笑を浮かべる。その綺麗な顔に皮肉っぽい微笑を。
「僕は願ってるんですよ。喉を掻き毟り、血を吐くほどに。この世界にいるすべての人間から『個』が失われることを。そうすれば、誰もが悩まずに生きていけるじゃないですか」
「誰もが悩まずに……か」
「もし天国があるとしたら、きっとそういう場所なのではないかと思います。みんなが名前なんて持たなくもいい、そういう場所なのだと。それが、たった一つの僕の願いです」
「………」
それが、真田悠人が私に告げた最後の言葉だった。
その日の放課後、彼はあの廃ビルから飛び降りて自らの命を奪った。
――だから、私は……
「自分の死を死にたいだけ……か。本当にお前は、度し難いな」
私の目の前に、一人の少女が立ち塞がっていた。
腰まである銀桜色の髪と、鋭い狼の瞳。そのすべてが詰まらなそうな表情とは裏腹に、顔の全パーツが完璧な精緻で整った絶対的な美少女――。どれだけ目を逸らそうとしても、その姿を本能的に捉えてしまう。まるで女神の生まれ変わりのような、神々しくて、それでいて狂暴なまでの存在感を放つ『絶対的な美少女』だったのだ。
「――まだ終わりじゃねえぞ、祠堂頸木!」
「……いい加減にしろよ、上條匡太」
私は鬱陶しげに吐き捨てると、斬畜刀を手に再び上條匡太と対峙する。
久城峰学園の広い廊下に剣戟が鳴り響き、まるで血のような火花が散った。
「真田悠人は、ずっと苦しんでいたんだぞ。苦しんでいたんだ。本当に。貴様は前に、『十年間も一緒だった』と言ったな。『親友だった』と。十年間も一緒にいて、そんなこともわからなかったのか?」
凶刃を振う。凶刃を振う。凶刃を振う。凶刃を振う。
「私は、お前を見ていたぞ。雑居ビルの屋上から世界を見下ろすお前を、ずっと見ていたんだ。お前が彼のために、『何か』を成し遂げられる人間なのかどうか、見極めるために」
「――くっ!」
私は、ロバでありたかった。ようやく出会えた、たった一人の同胞のために、人間など捨ててロバでありたかった。彼の隣にいたかった。彼の隣にいて、一度は『いらない』と言った尻尾で、降り掛かる災いのすべてを追い払ってやりたかった。
「――何が、自分の死を死にたいだ! お前はただ、楽になりたいだけだろうが! 自分自身の存在のすべてを、この世から消し去ることで、贖罪にしようとしただけだろうが! そんな逃避が、許されると思うなよ! お前の生き方は韜晦で、誤魔化しで――欺瞞だ!」
「祠堂頸木……」
「――どうして死んだ? どうして、死ぬことしか選べなかった? アルファベットの、残りの二十二文字だって……まだ覚えていないのに!」
――どうしてだ、悠人……
気が付くと、涙が流れていた。
それは、私が流している涙なのか。それともこの身体が流している涙なのか、わからない。わからなかった。
頭がもうグチャグチャで、グチャグチャで、自分が誰なのかすら……わからない。
ただ――それでも彼が叫んでいたことだけは、はっきりとわかった。あの廃ビルの屋上から、上條匡太が真田悠人に向けて叫んでいたことだけは、はっきりとわかった。魂が壊れてしまうほどに。彼はあの廃ビルの屋上から叫んでいたのだ。
「だから……もういい」
気が付くと、床の上に仰向けに倒れていた。泣きながら。
上條匡太が、錆びた鉄の塊のような剣を突き付ける。
「もう一度だけ言う。俺の身体を返せ、祠堂頸木。自分自身を失ってしまう前に――」
「………」
少女は、泣いていた。祠堂頸木は、泣いていた。私は、泣いていた。
その姿を見て、私は諦めたように目を閉じる。目を閉じる。
もういい。もういいと、思えてしまう気分だった。空腹と、辛苦と、失望……それが、いつも変わらない『この世界の定め』なのだから。
《主軸――上條匡太[かみじょう きょうた]》⑲
久城峰学園で起こった大量虐殺事件は、リアル世界の情報統制によって、『テロリストによる犯行』ということにされてしまった。
ゴブリンに殺された犠牲者は、全部で111人。生存者の中には本当は死んでいて、異世界から帰還して来た者もいるので、実際の犠牲者はもっと多いのだろう。
しかし、それだけの死者が出たにも関わらず、マスコミは今回の事件をほとんど報道していないようだった。こんな凄惨な大虐殺が起きれば、普通は、久城峰学園自体が廃校となり取り壊されてしまうのだろうが。事件が起こった次の日には、通常通り授業も開始されているらしかった。その辺も、リアル世界による『辻褄合わせ』の影響で、都合良く現実が改変されてしまっているのだろう。テレビやネットでも大した騒ぎにはならず、数日後にはまるで事件なんてなかったかのように、忘れ去られているようだった。
「………」
ようやく自分の身体を取り戻した俺は、夏美と一緒に悠人の四十九日法要に参列していた。夏美は『俺と祠堂頸木が入れ替わっていたこと』は覚えているようだが、ゴブリンなど異世界に関する記憶は、その一切を失っているらしかった。ただ自身が『テロ事件に巻き込まれてしまった』のだと、認識しているだけだ。まあ、その方が精神衛生上は良いのだろうが。
――あんなことは、全部忘れてしまった方が……
やがて四十九日法要が開式され、読経とともに参列者が焼香を済ませる。
会食を終えた後で、俺と夏美は悠人の墓に参ることにした。
献花と線香を持って、都内にある大きくも小さくもない墓地に入る。と、ちょうどお墓参りを終えた、一人の人物が帰って行くところだった。
腰まである銀桜色の髪と、鋭い狼の瞳。そのすべてが詰まらなそうな表情とは裏腹に、顔の全パーツが完璧な精緻で整った絶対的な美少女――。どれだけ目を逸らそうとしても、その姿を本能的に捉えてしまう。まるで女神の生まれ変わりのような、神々しくて、それでいて狂暴なまでの存在感を放つ『絶対的な美少女』だったのだ。
「………」
俺たちの横を、何も言わずに、視線すら介さずに少女が通り過ぎていく。
祠堂頸木に会ったのは、あの日以来だが、特に話すことなどなかった。
――ああ、悠人はどこに行ってしまったのだろうか。
――ちゃんと天国に、行けたのだろうか。
お墓に手を合わせながら、そんなことを考える。考える。
「三人いれば、何とかなるだろ」
不意に、悠人のあの言葉が脳裏の底から甦った。
二人になってしまった俺たちは、これからどうすればいいのだろうか? どうやって、生きればいいのだろうか? ――その答えは、俺にはまだわからなかった。
それでも俺は、クエストに参加し続けなければならない。あの異世界で――。
藻掻きながら。藻掻きながら。藻掻きながら。藻掻きながら。
了
○●●○
※最後までお付き合いいだだき、本当にありがとうございました!
また時間があるときに、続きを書きたいと思います!
死後の世界戦線に告ぐ 蒼機七 @aokisiti
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