ある少女の日記

結梨ヤヨイ

Ⅰ-1


        二〇〇九年十月十四日

 太ももに感じていた違和感は、次の駅を発射する頃には確信になった。こういう時、体育教員のO…先生は声をあげろと言っていたけれど、それがいかに無理なことか、彼女は知らないのだろう。朝の通勤・通学ラッシュはわたしの体を前後に圧迫してきて、内臓が口から出そうに思う。普段は不快に感じる男性の体温も、この時ばかりはストーブで暖められたただの壁だ。むしろ女性のほうが煩わしい。細い腕が脇腹に当たると木の杭を刺されたかのように脂汗が出る。今日はその時よりも、遥かに処刑台に近い。絶望的な気分だった。自分の体を、許しもしない他人の手がはい回る不快感。それは、初めはさりげなく、本人にも気付かれないように、そして次第に大胆に臀部に近づいてくる。満員電車。内臓が圧迫され、身動きが取れないということは、声をあげようにも力を出せない。本当は出るのかもしれないけれど、とにかく、出せる気がしない。そこに固く束縛されたままの私とは裏腹に、まるきり自由に私の体をまさぐる手。絶望に近かった。私は立ち上がったフランス市民よりも自由に焦がれ、自分の力のなさを呪った。結局、手は終点に着くまで私の臀部を揉んでいた。


             十月十六日

 昨日も変わらず、私は大罪人のようだった。今日は家から出ないと決めた。今日は金曜日だ。やることがないので本を読むことにした。本棚に、以前買ったものの、まだ読んでいない本があった。『若きウェルテルの悩み』。『ファウスト』はいかんせん分厚く、近寄りがたいであろう、と言って、英語科のK…先生が勧めてくださったものだ。教養として読むべきと言われたが、教養とは大概退屈なもので、前回もその通り、途中で放り投げてしまった。しかし、このところ私はかなり参っているので、気を落ち着かせるためにも、退屈な本で気を紛らわせようと思う。


             十月二十一日

 短いスカートに黒いタイツが、大罪人の証というわけでもなかったらしい。中等部のころ使っていた縫い上げる前のスカートと、踝丈の白靴下では素性を隠し切れなかった。断罪人は今日も私を公前に晒し、恥辱した。

 ウェルテルは今日も退屈だった。ただ、彼の大仰な物言いはとても気に入った。私の日記での文体と似通ったところがあるし、彼の描写能力には愕然とさせられる。兄として慕えるような気さえする。


             十月二十二日

 ついに私の臀部には固いものが当たった。何かなんて処女の私にもわかる。自分の生物としての本能に埋め込まれた知識を今日ほど恨んだ日はないだろう。何度も車両を変えた。電車だって変えた。けれど断罪者はいつもそこにいた。


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