第9話 檻の中の兎が哀願するように

 メアイは花畑を逃げ回る兎を追いかけていた。紫のロベリア(悪意)や黄色いカーネーション(拒絶)を乱雑に踏み潰して、柵に躓いて転びそうになりながらも、兎の後ろ姿を視角に捉えておくことだけは怠らなかった。やがて走り疲れた兎をガゼボの前で、背後から抱えるようにしてようやく捕まえると、兎の両耳を片手で掴んでぶら下げて休息所の中に入った。ちょうど休息所の小さな円卓の上に載せておいた木製の檻の中に、兎の体を乱暴に押し入れた。木の枝を交差させた格子を下ろすと、兎は檻の出口に駆け寄って哀願するようにメアイを見上げた。檻の下も枝の格子状になっていて、糞尿は隙間から垂れ流せるようになっていた。普段は敷物を下に敷いて、木の枝が汚れてきたら、上から如雨露ジョウロで水を流して洗えばいい。この木の枝の檻は、数日前にメアイが完成させた物だった。

 メアイは兎の視線から目を逸らして、しばらくガゼボで小川を眺めて休憩した。このガゼボは、すぐ横を流れる瑪瑙メノウ川のせせらぎの景観を楽しむために、天使たちに造られたものだった。立派な花を模った飾りをつけた屋根もついているので、急に天候が怪しくなって、にわか雨が降り始めても、中に入れば、椅子もハーブティーもあって、雨露を凌ぐことができた。葉っぱで作られた傘まで、何本か窓に掛けて常備されていた。メアイは家族と動物たちと一緒に、瑪瑙川に遊びに来た思い出に浸っていた。メアイが魚を釣ったと同時に、猫が飛びついた。そして、メーイェが笑って。記憶の動物たちの中には兎も含まれていて、兎もまた、メアイと同じように、楽しかった思い出を共有していたはずだった。神の子とは一体何だ?

 メアイは立ち上がると、檻の天辺にある把手を持ち上げた。檻の中の兎は、足場が傾いたために、慌てて、あちらこちらに移動した。兎が檻の中を出鱈目に動き回るために、檻の重心もその都度移動して中々安定しないために、檻を片手で持って歩くのは困難だった。メアイは大人しくして、と兎に注意して両手で檻を持ち上げたまま、やや不格好な態勢で歩いた。

 難儀しながらメアイが住居に辿り着くと、笛の音色が聴こえてきた。草履を脱ぎ散らかすと一階の広間に入り、メーイェの姿を横目にしながら、竈のある奥の厨房に向かって歩いていった。メーイェは笛を吹くのに夢中になっていたが、兎を檻に入れたことを彼女にあまり見られたくなかったので、何も声をかけずにメーイェの後ろを通り過ぎた。

 メーイェはメアイの気配を察知して笛を吹くのをやめると、これは何事か、と野蛮な少年に問い詰めた。

「兎は邪魔だから、檻に入れて、貯蔵庫の中にしまっておこう」

「何で、そんなひどいことをするの?」

「兎なんて、いてもいなくても意味ないから、ずっと目に付かない処にいればいいんだ」

 唇を堅く結んだメーイェは、素早くメアイの持った檻の天辺に指を絡ませて引っ張って、壊れてしまう……と必死に囁くメアイを無視して、力ずくでメアイから檻を奪い取った。格子状の枝の扉を押し上げて、中の兎を逃がしてあげた。可哀想に兎は怯えて、目から涙を溢しながら、丈の高い叢の向こう側に跳躍した。二人の騒動に驚いて、猫と犬と八匹の蛇たちが、目を白黒させながら飛び出してきた。

 メーイェは腰に片手をあて、人差し指でメアイの鼻先を指して、

「兎と仲良くしなさい」と叱咤した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る