第7話 巨人が振るう槍のように水面から突き出て

 池の上を覆う木の枝から吊るした、縄と木片で作ったブランコでメアイが遊んでいると、空中を背泳ぎするように飛んできたユリスは、メアイの頭上で一回転すると、高い木の枝に腰かけた。

「メアイ。お互いの身体に興味が出てきても、決してメーイェの身体に触ってはならないよ」

 メアイは何故、母から唐突にそのようなことを言われるのか分からなかった。何故、自分にだけ言われたのか理解できなかった。午前中から、ずっとブランコを力の限り漕いで、腹筋を長時間に渡って酷使したためか、花園に来る前に怪我をした左の脇腹が疼いた。手に掴んだ縄に力を入れると、葉っぱが数枚落ちてきた。ブランコを揺するのをやめると、それを待ち望んでいたかのように青い小鳥が、足元の板の上に止まった。オオルリもブランコで遊びたかったようだ。黄色い嘴を小刻みに動かしている。

 メアイはユリスにうんと頷くと、あばら骨がまだ痛むことを悟られないように、透明の水の池に頭から飛び込んだ。オオルリは驚いて羽ばたくと、近くの蔓に飛び移った。水飛沫があがった。メアイは死んだように潜水して、深くまで達すると水底を背にして、おぼろげに揺れる天使ユリスの光を見上げた。石化したように身体は浮かばなかった。自分の身体から離れて登っていく空気の泡が見えた。ユリスが見えなくなるのを確認すると、メアイの体は召されるように浮上した。

 メアイは水面から頭を出すと、池の中央部のいくつかの柱が横たわっている、柱の島まで泳ぎ始めた。水温は暖かい。子どもたちは知らないことだったが、天使のもたらした機械によって、池の水は適温に調整されて、細菌やウイルスが繁殖しないように清浄化されていた。水辺にある機械の周りには、たくさんの藁が被せてあって、その精密な電気信号や稼働音の存在を隠してあった。犬だけが藁の下の微少な音を感知して、毎日、藁の中身が死んでいないか(壊れてないか)、散歩と称して点検していた。少しでも異常が見当たれば、ルビヤに駆け寄って鳴いて知らせて、天使の銀の靴のベルトを口で引っ張る仕草をして、ルビヤを藁置き場まで連れていった。事実、そんなときは決まって、池の機械は故障していて、池の水温はただの水と同じになって、メアイが震えて池から上がってきて、風邪を引いたこともあった。今日も犬は、池の周りを散歩して、藁を被った天使の機械が死んでいないか点検していた。偶然にも犬が、池の番人になっていることを、神の子たちは誰も知らない。

 メアイは白色の石柱が乱立する島まで泳ぎ切った。水に濡れて滑っている柱の上をメアイは歩いて、無造作に積まれた柱の山を登った。斜めになっている柱の頂上には、猫が丸まっていた。強固な石柱の先端は尖っていて、巨人が振るう槍のように水面から突き出ていた。メアイが挨拶すると、猫は大きく牙を剥きだして欠伸した姿勢のまま、滑り台を斜めに滑って水面に着水した。ひどく疲れた。しばらく、眠ろう。午睡を終えたら、苺を食べに行けばいい。斜めに傾いだ柱にもたれてメアイは、正面の住居の屋上に、緑の葉を衣のようにして身にまとった全能の樹を目にした。その木の枝は成長を続け、神の子と同じように大きくなっていった。メアイは視線を逸らすように下に落として、猫が白い住居を目指して泳いでいる姿を、瞼を細めて眺め、やがてその白い姿が背景に溶け出して認められなくなると、静寂と光の中に落ちていった。

 記憶のない記憶に。巨人の槍に体を貫かれた者からは、血が無限に溢れ出して柱の祭壇を伝って流れ落ちて、この池は取り返しのつかないくらい、永遠に真紅に染まってしまうだろう。血の海、真紅の海。いかに天使がもたらした高度に発展した浄水技術でも、血の罪過を完全に浄化することはできないだろう。

 その夢の光景は、夢を見た本人のメアイが目覚めたときに忘れてしまった以上、誰にも見られなかった夢として、時の額縁の外部にある「魂の寄り合いの書」に保管され、はるか遠い未来か、もう既に滅びた星で、その夢の意味の理解の可否はともかくとして、閲覧の許可を得た占い師だけが読むことができた。流血占い師プーや花占い師ネビアと、人の子で知った名前で、あと誰がいるだろう。

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