第84話 君がこの村に招聘されたときに

「エリーの腹にプーの命が宿ったとき、父親のブザーは信じられない、という驚きの表情を隠せなかった。その後、エリーの嬉しそうな顔を見て、肩の荷が下りたのか、ブザーは微笑を浮かべた。何故なら、ブザーは性的不能者だったからだ。ブザーとエリーの間からは、プーが産まれるはずがなかった」と占帝元老院は語った。

 私はもう一つの世界のブザーの言葉を思い出した。

『俺の人生は終わったな。結局、妻を娶ることもなかった』

「エリーは横笛の穴から聴こえてきた天使の音色から、神の子を宿しますよ、と受胎告知を受けていた。エリーは族長代理の養子のドラクロワの身の回りの世話をするために、頻繁にブンボローゾヴィッチの住居に赴いていた。そのときに、族長代理の子を身籠っていたんだ。占い族のうち、エリーとブザーだけは、ブンボローゾヴィッチがオゾン大公であることを知っていた。彼らだけの秘密も不義密通も、我々、占帝元老院からは筒抜けだ。

 エリーには動機は存在しなかった。気付いたら、オゾン大公の血を引く公位継承者を身籠っていた。そして、始祖オゾンの血が、プーの体に密やかに注がれ始めた。

『エリーは誰の子を産んだんだ? 悪魔ルビヤの眷属、夢魔男爵の子か。脇の下にでも悪魔に吸わせる乳房があるんじゃないの? 夢魔と性を結んだ汚らわしい女』

 村ではそのような噂が飛び交った。占い族の集合意識にとっては、聖なる石から産まれた族長ドラクロワが彼らの存在意義だった。エリーは大公ブンボローゾヴィッチと相談して、天使から受胎告知を受けたと話して村人を納得させようとしたが、信じる者は誰もいなかった。夢魔との淫行の子、夢魔の子プー、悪魔ルビヤの子プー、と村人はあらゆる物の蔭で囁き合った。エリーは嘘を吐いてはいない。エリーを取り囲む者たちが、根拠のない陰口を叩き始めた。今まで押し黙っていたブザーは、プーは私たちの子なんだ、と村の中央で叫んだ。エリーは複雑に渦巻く色々な思いを吐き出して泣いた。プーが流血占いを始めた頃も、心ない噂は絶えることがなかった」


「プーは自殺じゃなかったって?」と私は訊き返した。

 幼いプーが海辺の砂浜を楽しそうに駆けている姿が思い浮かんだ。

「プーが自分の腕を切るなら、まず自分を拘束している縄を切るだろう。あの森での自殺の場面は不自然だ。そもそもプーは流血占い師ではあるが、自分で自分の腕を傷つけたことは、よっぽどの事情がない限り、ほとんどない。占われたい者が勝手にプーのもとにやってきて、勝手にプーの細い手首を傷つけて、流れ出る血の模様をプーに読ませたに過ぎない。確かにプーは天才だった。我々は流血占いの最中に、プーが暴れないように、プーの首元を腕で押さえ付けていた。プーの流血占いが開花した七歳のときから、死ぬまでの十年間ずっと。あの感触を、生涯に渡って忘れられないだろう。あのときの震えを。罪を……」

「何てことをしてくれたんだ! お前らは……!」


「我々にとって見たいものを、君に読ませたに過ぎない。見せたくないものは、読ませる必要がない。エリーは当然、反対した。我々は牛の仮面を被って森の中にある岩場にエリーを連れていき、我々が揃って指を鳴らすと、彼女は老婆になった。エリーにジャッカル占い師という配役を与え、そこで死ぬまで牢屋に閉じ込めて魔女として生活をさせ、エリーは何年も前に病死したことにした。牛の仮面を被ったのは、エリーからの恨みの被害を牛に受け流すためだった。君がこの村の様子を読みに招聘されたときに、我々の手で物語がそのように整合されていったんだ。君の所為だよ。『森』や『魔女』という言葉を使用すると、君の意識に残ってしまう可能性があった。だから岩場のジャッカル占い師で、方角も北西ではなく北東だ。我々は虚偽の報告をしても、村人の命の数が合ってさえいれば、魂の寄り合いの書を騙し通せると思った。

 エリーには二週間に一遍まとまった量の水と食糧を与え、これは毒薬と認識させて毒薬も与えた。食糧を与えなかったら、餓死させることになってしまうし、食事に毒を混ぜたら、毒殺することになってしまう。食糧も毒も与えておいて、餓死するか服毒自殺するかの死の選択を、エリー自身の意志に委ねさせた。我々は極力、罪の報いから逃れたかった。

 ブザーに至っては問題はなかった。村人の中に紛れ込んでいる我々の言うことを、ブザーはよく聞いたよ。人が好いということは、他人の思い通りにされるというだけの話だからな。

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