第74話 優しき手の持ち主

 旧ザナトリア派の占い師は、森の入り口に見張り番の小屋を建ててしまった。耳の悪かった見張り番は、罪人のマジョーが逃げ出せないように毎日見張っていた。耳が悪いために村人が交わす噂を聞き逃して、内乱が終わったことも、マイユが占王に就任したことも、マジョーの刑執行人のザナトリアが奴隷船に乗せられたことも、全く知らなかった。そのかわりに、度重なる出来事によって、記憶の奥へと追いやられ、誰からも忘れ去られた、マジョーが木に吊るされているという事実は、見張り番と断食占い師のミィサだけが覚えていた。ミィサも、断食をしている間は、人を家に入れなかったり、山地に足を踏み入れたりしていたので、村人との交流があまりなく、村の事情には疎かった。

 ザナンタにはまだ借金が残っていた。父親のザナトリアは、奴隷船に乗ることになった日に、オーゾレムの港で、「家族全員が乗ることはない。俺一人で十分だ。ザナンタ。お前まで奴隷になってしまったら、俺の血筋は奴隷の血を引くことになってしまう」と言って、泣きじゃくる息子と妻に別れを告げた。

 ザナンタは現占王に残りの借金を返すために、あまり当てにはならない壷転がし占いで、壷が転がった先に向かって走っていった。森の入り口があった。ザナンタが子供の頃、迷い込み、逆さ女の幽霊が出るという噂が立った森の記憶を、ザナンタは呼び起こすことはなかった。鬱蒼と茂った下生えを駆け抜けていく途中で、逆さのマジョーの姿を目にした。

 必死のザナンタは、マジョーが道草占い師を殺した罪で、木の枝から吊るされていたことを、すっかり忘れていた。マジョーが手に持っていた石のお守りを目ざとく見つけると、途端に目を輝かせ、これを売れば金になるかもしれない、と思い、マジョーの手から無理やり奪い取ろうとした。マジョーは必死に抵抗し、悲鳴を上げながら硬く手を握り締めた。

 これだけは奪い取らないで、と嘆願した。プーからもらったお守りを守ろうとした。

「往生際が悪いぞ、マジョー。道草のおじさんを殺したくせに。俺の父は占王だぞ。これはもらっていく」

 とっくにザナトリアは占王の座を追われたというのに、ザナンタは体のいい嘘を吐いた。

 道草占い師なんて殺してない、とマジョーは小さな体を揺すって懸命に否定した。

「そんな嘘を吐くな。じゃあ、何だって黙って吊るされたままなんだよ」

 ザナンタには全く理解できなかった。

「お願いだから。譲ってくれよ。俺の占いが正しければ、これはきっと高く売れるはずなんだ。無慈悲な金の亡者マイユの奴に、親父は奴隷船に乗せられてしまった。俺が稼がなきゃ駄目なんだ。借金がまだ残っている。またアレフオに追いかけられる」

 ザナンタは脇目も振らず、マジョーに泣きついた。

 マジョーは悲しそうに首を左右に振った。

「そんな態度を取るのなら、マジョー。殺すぞ。ブンボローゾヴィッチを殺すぞ。あいつが内乱で負けたせいで、全財産を失ってしまった。腹いせに殺してやる」

 願いが聞き届けられなかったザナンタは、怒りに体を震わせて、マジョーを脅迫した。ブンボローゾヴィッチがとっくに老衰して、石を並べた机の上に突っ伏して、静かに死んでいたことをマジョーはおろか、ザナンタも知らなかった。

 マジョーは、一度手に入れたものには、意味はない、と自分に言い聞かせ、すでに死んでいるブンボローゾヴィッチをザナンタの凶行から守るために、石のお守りを手放した。石のお守りは羽毛のように、ゆっくりとザナンタの手の上に落ちていった。

 ありがとうよ。マジョー。ザナンタは石のお守りを握りしめると、村へと走り去っていった。ザナンタはついでにマジョーの孔雀の羽のついた髪飾りも盗んでいった。

 ザナンタがいなくなった後に、マジョーは悔しさのあまり、一人で泣いていた。震えの止まらないマジョーの肩を、誰かが暖かい手で、優しく擦ってくれている気がしたので、マジョーは苦しまずに涙を流すことができた。優しき手の持ち主は、マジョーが泣き終わるまで、いつまでも、肩を撫でてくれていた。

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