第57話 この子には名前がありません
アレフオは海賊船に救われた。アレフオは生きている人間に初めて出会った。
「幽霊と一緒に十年も暮らしていたのか、お前は凄いやつだな、アレフオ」
「お前は特別な子だ。海に愛されているのかもしれん」
海賊たちは、アレフオの身の上話を面白く聞いた。
「俺たちは船を襲って人を殺す。彼らは泣き叫び、苦しむだろう。だがそれは、そういう振りをしているだけだ。彼らは幽霊になるだけだ。ただお前を育てた幽霊になるだけだ。幽霊たちは優しかっただろ?」
海賊の頭はアレフオに海賊の仕事を教えた。アレフオは死者と先に出会ってしまったため、生死の概念が一向に分からなかった。海賊たちはアレフオのために、せめてアレフオが陸に上がって一人で生きていくことができるまでは、あえて何も教えなかった。海賊たちはアレフオが特別な子ではないことを悟ったのだろう。彼らは海賊なりの論理と知恵で、アレフオを育てていった。
海賊は乗客船を襲った。船には赤子がいて、船長の息子だということが分かった。
海賊の頭は、二つの選択を船長に迫った。
一つは、船長の手によって息子を海の底に捨てれば、船長を含めた乗客、船員のすべてを助けてやろう。
二つ目は、船長の息子以外の全員が切り殺されるか、だった。その場合、赤子は責任を持って海賊として育ててやろうと、海賊は受けあった。
船長は、この子には名前がありません、この子の命だけは、と言って、海賊の頭に揺り篭を差し出した。
眩しく金色に光る海岸に海賊船が乗り上げると、海賊たちは次々と船から飛び降り、何の目配せも挨拶もないまま、別々の方向に向かって散っていった。取り残されたアレフオは何をしていいか分からなかった。
「この世界では名前がないと大変だ。他人との区別が付かなくなってしまう」
アレフオの友達は、アレフオの服に名札を付けてくれた。友達は砂を踏み締めながら去って行った。小さくなろうとする後ろ姿をアレフオが追いかけると、それに気付いた友達は逃げるように走っていった。慌てたアレフオは頬を涙でいっぱいに濡らし、砂地に足を取られながら必死に友達を追いかけた。友達の顔が思い出せなかった。泣きながらアレフオは走り続けた。友達は大きな岩を通り抜けてしまったのか、体が溶けて岩の色に変色するように岩の前で跡形もなく消えてしまった。アレフオは急いで岩を登り、不安に駆られながらも反対側に降りたが、草が茂っているだけで、友達の姿はなかった。もう一度大岩によじ登り、砂浜や海や森を見渡しても、海賊の仲間たちはどこにも一人として見当たらなかった。
海鳥の翼と目を借りて空を旋回してみても、人の姿はまるでなかった。荷物を取りに行くのか、アレフオが座礁した海賊船に独りで戻っていくところが、空の高みからは見える。光に染め上げられた砂浜に海鳥の影が走っていく。風の向こうがわに都が見渡せる。
オゾン大公国の都オーゾレムだ。爆弾が爆発する音がどこからか響いてくる。
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