第55話 二十人の命と一人の命を天秤にかけてみよ
真夜中になってもマイユは椅子に深く腰掛けたまま、饒舌にアレフオに話し続けた。
アレフオは、マイユはすでに眠ってしまって、寝言で話をしているのではないかと思ったが、部屋は暗闇に包まれていて、眠っているかどうかは分からなかった。話の途中でアレフオが試しに返事をしなかったり、相鎚を打たなかったりすると、マイユは途端に歯ぎしりをし始めたので、アレフオは慌てて相槌を打って話し相手に戻った。
「今度はお前の話を聞きたいな、アレフオ。お前がヤシの実から生まれたという話から聞きたい。おい、聞いているのか? アレフオ。何てやつだ。居眠りするとはけしからん。まあ、疲れているのだろう。仕方ない。眠っているお前を勝手に占わせてもらうぞ」
眠っているマイユは寝言を言いながら、居眠りしているアレフオを占った。
アレフオは無人島でヤシの実から産まれた(アレフオが言葉や概念を覚えたのは、助けられた船に乗ってからだった)。ヤシの木のてっぺんの二つのヤシの実が父と母だと、無意識ながらアレフオは信じていた。いつか、ヤシの木に登って会いにいこうとアレフオは自分を励ました。草や貝を食べて、生き延びた。
成長したアレフオは木の幹にしがみつき、空に向かって登っていったが、するりと滑って地上に戻されてしまった。アレフオは泣きながら、石をヤシの実に向かって投げた。石は命中し、草の上に鈍い音を立ててヤシの実が二つ落ちてきた。アレフオはヤシの実を必死になって叩き割った。アレフオの友達の蟹は、鋏を器用に使って、アレフオが食べやすいように、果肉を切り取ってくれた。
ヤシの実が殻も含めて、すべてなくなってしまうと、アレフオは泣き出した。
父と母が死んでしまった。アレフオは初めて死を経験した。
辺りは霧に包まれて、海の水平線の向こうから、霧笛の響きとともに幽霊船が現れた。舳先を岸につけて、幽霊たちは次々と島に降り立った。無人島に放り出された幼子を救いにやってきた。
幽霊船の船長は幼子にアレフオと名付けた。子供の泣き声が聴こえたので、慌てて舵を切り返して、この島を見つけたのだという。幽霊たちはアレフオを、我が子を愛するように順番に抱きしめた。アレフオは空中を行ったり来たり抱かれるままになっていた。アレフオにとって幽霊たちは、初めて出会う人間だった。幽霊たちはアレフオに言葉を教えた。
「これからお前は、生きた人間と出会って、生を経験するだろう」
それから十年が経過したある日、船長はアレフオにそう言った。
幽霊船の船長バティオンがまだ人間だったころ、彼は二十人の客と船員をアンゴルモア号に乗せて、シリウス古海のシリウス諸島にあるヘーテ島からオゾン大公国の港を目指していた。バティオンが大公国に行くのに、職務のほかに理由があった。オーゾレムの南東にある占い族の村に、バティオンの息子を連れて行って、名前を付けてもらおうと思っていた。息子は名前がないまま、結構大きくなってしまっていて、妻は、何て呼んだらいいか分からないと怒っていた。バティオンが家に戻ったとき妻は「占い師のところまで行くことはない、私が考えたアレフオが、この子の名前よ」と言った。バティオンは「そんな変な名前は嫌だ。この子だって、きっと嫌がるに違いない」と言って、息子を連れたまま海に戻っていった。船の操舵室で、バティオンは揺りかごで眠っている赤子に目を向けた。
「もうすぐ名前を付けてやれるからな。あの村にはブザーという占い師がいて、お前の名前を付けてくれるうえに、美しい笛の音も聴かせてくれるそうだ。お前も横笛の曲が聴きたいだろう」
バティオンは早く、占い族の村に行きたかった。船の帆柱に張られた贖罪神リオンを模った船旗が、突然の風を受けて大きくたなびいた。
海賊の頭は、二つの選択を船長バティオンに迫った。
一つは、バティオンの手によって息子を海の底に捨てれば、バティオンを含めた乗客、船員のすべてを助けてやろう。
二つ目は、バティオンの息子以外の全員が切り殺されるか、だった。その場合、赤子は責任を持って海賊として育ててやろうと、海賊は受けあった。
あのときのことをバティオンは考えたくはなかった。海賊船に横付けされて、刀を持った海賊どもが、白い刃を太陽に煌かせながら、船に乗り込んできた。
お前は船長だ。乗客の命を脅かす決断はさせないぞ。二十人の命と一人の命を天秤にかけてみよ。仮に一つの命を救うために、我々全員が殺され、残った赤子も海賊になってしまうのなら、世界は何も得るものはないではないか。船長以外の人々は次々に主張した。
結果として、バティオンは自分の息子を船の上から投げ捨てた。
海賊どもは、それを機に、バティオンを船の乗客と船員のすべてを切り倒していった。海賊どもは約束を守らなかった。全員が死んだ。バティオンたちは、幽霊となり、海を彷徨うことになった。バティオンたちは海賊の論理が分からなかった。何故自分たちは殺されたのだろうか?
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