第34話 ここに生きて血の通った私は誰です?

 またムカデが、闇が凝り固まった場所へと向かっていく。ドラクロワはムカデの動きを見ていた。ムカデが歩くことで時が滞りなく流れていることに気付かされる。虫は一種の異様な時計として機能していた。ムカデの足の動きが速まった。

 恐ろしき力を持った腕たちに腕を捕まれ、新たな囚人が地下へと降りてきた。

 一旦牢が開かれ、ドラクロワは信じられないものを目撃した。

「お前、ジュリアン・サロート……」とドラクロワは呟いた。

「俺が殺したはずなのに」ドラクロワは姿勢を変え、右目に眼帯を付けた囚人を睨んだ。

「地下牢は二人以上入れない決まりになっています。ジャッカル。お前は明日の朝、大公妃立ち会いの下、爆弾刑になることが決定しました」と花柄のミトレラは淡々と宣告した。

 ドラクロワはジャッカルと呼ばれたためか、自分の死が宣告されたことに気が付かなかった。新たな囚人の顔を見つめ、これはどういうことだ、馬車に乗ってからどこか変だった、と思った。死んだと知らされていたエリーが酒場で占い師として生きていて、自分が間違いなく手をかけた神の王が生きている。あの馬車は死の国へと駈けていく馬車なのか?

 ドラクロワは死の世界からジュリアン・サロートが迎えに来たのだと思った。ウラギョルが正しい占い師ではないことを占えなかったがために、プーの占いの庇護から零れ落ちたために、俺の運命はおそらくここで終わるのだろう、そう諦念していた。

 恐ろしく力強い腕たちは新たな囚人を牢の中に押し込めた。

「逃げも恐れもしない。俺を裁け、神の王ジュリアン・サロート」

「いきなり、なんです?」

 囚人は、私はジュリアンという名前ではない、オーゾレムの地下世界で働く爆弾職人だ、と説明した。

「そんな馬鹿な話があるか。お前は神の王。俺がこの手で首を刎ねた」

「神の王? 眠れる書物の予言のことですか? いつか眠りの騎士団に護られた神の王が現れるという、あの? 言っている意味が分からない。私はただの罪深い爆弾職人です。あなたに会ったこともない……」

「会ったばかりではないか……」

「あなたに殺されたなら、今ここに生きて血の通った私は誰です? 他人の空似ですよ」

「お前の首を刎ねようか決断したとき、俺は二度とお前の目から逃れないのだろうと思った。だから俺もお前の顔を二度と忘れまいと考えた。お前はジュリアン・サロートだ。お前は俺に殺された後、復活することで神の王であることを証明しに来たのだろう。お前は神の王だ」

 爆弾職人が私はジュリアン・サロートではないと否定すると、ドラクロワは必ず爆弾職人の主張を負けじと否定し、お前は神の王だと断定し、背反する事実をめぐって互いが打ち消しあい、不毛な行為が繰り返され、地下牢を支配する時の単位が、予言する石像と神の王の対話の中で見出された。ミトレラは壁の中を通っている盗聴用の伝声管から、二人の会話を耳を澄ませて聞いていた。

「俺の役目は終わりだ。お前が神の王なら、こんな場所で再び死にはしないだろう。俺の運命はお前が復活した姿を見届け、お前は生き返った、と伝えに来る役目にあったのだろう。俺の運命には罪と贖罪があらかじめ組み込まれていたのかもな」

「私によく似たジュリアン・サロートがあなたに殺されたときのことを教えてください」

「お前は馬車に乗っていた。十二人の眠りの騎士団に護衛されていたそうだ。俺は直接は見てはいないが、奴らのほとんどを殲滅させたのは、別の部隊がやったことだ。逃げてきたお前は二人の騎士に護られていた。体が悪かったのか、傍らの黒い袋を被った男がお前を支えていたよ。あっさりと俺に殺されたよ。俺に殺されるのを待っていたかのように。この日のために。お前は復活したばかりで記憶を失っているか、本当はすっとぼけて俺をからかっているかのどちらかだ。神が演出した演劇を見せられているようだ」

「あなたはいつの間にか自分の占いの世界に足を踏み入れ、そこから戻ってきただけなのでしょう。おそらくこれから起こる未来のことなんですね。私と出会う前の、占いによって私の未来を見ていたあなたが、どのような過去を経たかは定かではない占われた未来の私を殺すことを、占いの結果をすでに起こったことだと信じてしまったあなたが、何も知らない私にとって、あなたと会ったことのない私に占いの結果を伝えに来た」

「言っていることがよくわからん」

「占いがあまりにも鮮明であったため、現実に起こったことと混同してしまったのでしょう」

「占いが何なのか実はよく分からんのだ。槍の占いと称して、自分が手を下していただけだからな。それでは、俺が今まで経験してきたこと自体が俺の占いだったいうことか?」

 爆弾職人は姿と性格が同調している頑固な石像の男に、憎むことのできない親近感と愛嬌を覚え、また発するその言葉は神聖で美しいものを唱えているとも思え、個人的なことを、例えば爆弾職人の仕事の話などを、最後の友人として話してみたいと考えた。

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