第33話 何故、お前がハート型の模様の猫を抱えている?

 ドラクロワがマリアレスの子を妊娠させたとき、プーは同じ運命が三日前にすでに存在していたことをドラクロワに知らせなかった。ドラクロワが片目のジャッカルが死ぬだろうと予言したとき、プーは他ならぬドラクロワが片目のジャッカルに手を下すことを知っていた。プーは失望したが、心から喜ぶことにした。ドラクロワの占いが初めて当たったのだ。

 ドラクロワという題の付いた物語を、プーが血を使って紙に書いているのかもしれない。プーが死んだ今、ドラクロワは先行されていた物語の枠を湖の深みに沈めて、自分だけの物語を織り始めた。もし仮にプーの部屋を暴いて、ドラクロワの未来が書かれた紙がたくさん出てきたとしたら、ドラクロワは自分の運命をどう読むのだろうか?


 少年時代、ドラクロワとプーは槍を見つける旅に出た。わざわざ険しい道のりを選び、岩壁に登りながらドラクロワは石を噛み砕き嚥下した。プーは岩山を迂回した。地上から回ったほうが近道だったからである。

 あのとき、確かプーは槍が二つある、血が二つの星の間で引き裂かれそうになっていると占った。一つは北の洞窟に、もう一つはオゾン大公邸に。二人はまず近くにあるオゾン大公邸に向かった。


 不意に地下牢の蓋が開く不快な金属音がして、頭上の階段から光が差し込んだ。花柄の覆面の少年が静かに降りてきて、鉄格子の前で燭台を持って立ち尽くしていた。

 回想に浸っていたドラクロワは石を食べるのを止め、プーを過去に残して、地下牢に再び囚われた。地下に人が降りてくる度に、何回でも現実の囚人になった。

「ジャッカルさん……」と少年は呟いて、覆面を剥がした。現れた顔はドラクロワにとっては、初めは見知らぬ顔だったが、時間が経つにつれて、ドラクロワが瞬きをするたびに、ちょうど未完成の顔の絵が完成に向かっていくように、いつか出会ったミトレラの顔に変化していった。

「お前、あの酒場の小僧」

 ドラクロワの周りを酒場の情景が取り囲み、その記憶の絵画を燃え上がる炎が焼き尽くしながら追いかけ、ミトレラだけを取り残し、あとは消えていった。

 ミトレラは頷いた。

「こんなところでまた会うなんてね」

「全くだ。おい。俺をここから出してくれないか?」

「残念だけど、それはできないよ。ぼくは看守だからね。そんなことしたら、オゾン大公妃様から罰を受けてしまうよ。住み込みで働いているから、病気の母さまといっしょに追い出されてしまうし」

「まあ、そうだな。……何故、俺に正体を明かした?」

 ミトレラはそれには答えずに、扉を閉めて去っていった。


 ドラクロワの思考は再び、地下牢を抜け出し、追憶の糸の間を泳ぎ、少年時代で糸を切って降り立った。封印された槍探しの物語の続きだ。二人の少年は槍を手に入れるためにオゾン大公邸に入ろうとしたが、門の前で衛兵に止められた。

 プーの横顔が見える。ドラクロワはあの日の空気の匂いを思い出していた。すべてを焼け焦がす夏の日だ。果実の匂いを纏った熱い風が吹いている。汗の流れないドラクロワのかわりにプーの顔から汗が流れた。確か、猫がいたな。

 待て、プーはこう言わなかったか? 

「あの猫。額にハート型の模様があるね。珍しいね」

 プーの言葉によって、熱気を帯びた思い出の中から新しい視覚が抽出され、猫は大急ぎで白い体毛を生やした。オゾン大公妃が飼っていたとされる、結果として、二足歩行で踊り出すことで、ブザーを幽閉させ、プーに死を与えた猫だ。

 誰かに抱えられている。誰だ? 男の手だ。顔は見えるか?

 この顔は……知っている。

 顔つきが変わっていてわからなかったが、この顔には見覚えがある。

 探偵アヴァロン・ゼーヌハート、何故、お前がハート型の模様の猫を抱えている?

 どこに行こうとしている? いや、おかしいぞ、数日前、地下牢で出会ったはずの若い男が、何故、俺の何年前かの記憶の中では年老いている?

 アヴァロンが門に立つと、衛兵が扉を開けた。アヴァロンはオゾン大公邸の敷地内に入っていった。あの猫はオゾン大公妃への贈り物なのか?

 確かアヴェルという名前の猫だった。アヴェル? アヴァロンの息子もアヴェルではなかったか? なるほどアヴァロンが自分の息子に名付けた名前を、飼っていた猫にも名付けたのかもしれない。猫は肖像画でしか見たことがなかったが、オゾン大公妃の意地の悪い虚言ではなく、猫はこの世に確かに存在していた。

 あれから四年が経つので、猫は死んでいるのかもしれないが、それでも占いによって、死んでいることが確認できる。この世に存在しない架空の猫を占いで見つけるのとはわけが違う。何故、占い族の誰も、猫を探すことができなかったのだろうか?

 どちらにせよ思い出の中からは、猫を連れ帰ることはできないので、当然ブザーを釈放することも不可能だ。ただ、あのとき猫はいたという事実だけが残された。ハートの形を肉眼で確認できるほど近くに。それだけだ。

 結局、槍を手に入れるためにオゾン大公邸に入ることは諦め、二つ目の槍がある北の洞窟を目指し、首尾よく槍を見つけた。その槍は没収されて今やオゾン大公邸にある。プーは四年後の槍の行方も、同時に占っていたのだろう。だから、四年前にオゾン大公邸に侵入しても槍はなかったのかもしれない。

 猫で思い出したが、ブザーは今どこにいるのだろう? 同じような牢獄が大公邸にいくつかあるのか? 地下牢は二人以上入れない決まりになっている。まさかアヴァロンの前にとっくに処刑されたのではあるまいな。

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