第23話 復讐探偵アヴァロン・ゼーヌハート

 エリーは硝子の部屋で寝ているときに、人間とはとても思えない声を聴いた。寝ぼけながら、声のするほうを向くと、いつの間にか扉が開いていて、廊下の灯りに照らされて、赤い塗料でハート型が描かれた箱が歩いてくるのが見えた。よく見れば木でできた左手で風鈴を鳴らしていた。足だと思われたのは車輪だった。箱の上の顔は真ん中で割れていて、上下にずれていた。顔の右半分は赤で、左半分は白く塗られていた。その間も自動人形は同じ言葉を繰り返し、風鈴を鳴らしながらエリーのそばまで来た。エリーはハート型の模様の自動人形を目にして、夢でも見ているのかしら、と思った。

 ハート型の模様の観音開きの扉が開いた。オウムが黄色い羽を広げて、十字架に磔にされていた。震えているオウムの嘴の先に、金の鎖のついた小さな林檎がぶら下がっていた。

「僕、メアイだよ」とオウムは言った。

 オウムの嘴から鎖がするりと外れ、林檎が箱の下部に落ちたとき、エリーは赤い光に視界を奪われ、両目を失明しながら、爆風で硝子の壁に叩きつけられた。口から血を吐き、お腹の中のまだ名付けられていない子どもと、恋人のアヴァロン・ゼーヌハートの姿を頭の中に想い描いた。やっとこの塔から出ることができると思ったのに。探偵の妻として、子を育て、家庭を守る。そんなささやかな花を愛でるような幸せを得ることもなく、視力のない瞳から涙を流した。やがてエリーの背中に接した硝子窓に、エリーの死を告げるかのように不吉に皹が入った。次々と皹の入っていく一枚の硝子は、数え切れない数の欠片となって、エリーは硝子を纏って塔から転落していった。落ちまいと階下の硝子窓の隙間に爪を立てたが、指の爪は剥がされるだけで、落下の勢いもたいして削ぐことはできなかった。雨も降ってもいないのに、硝子の塔の表面は濡れていた。

 エリーは硝子の粒のようになっていく自分の意識にしがみ付きながらも、自分の人生は間違っていたのだろうか、と自問したが、問いている時間は余りにも短く、答えは永遠に訪れなかった。

 爆死したエリーのお腹の中の胎児は奇跡的に生きていて、アヴァロンによって、アヴェルと名付けられた。

 昨晩も今朝もエリーは自室の窓硝子にふと皹が入ったり、消えたりすることに気付かなかった。占いをやめたエリーのために、硝子窓が自律的に災いを占っていたことにエリーは気付かなかった。エリーは占いをやめるべきではなかった。

 

 ラヴディーンの母方の祖父である、透き通る硝子の指を持つオブジェウス・ストーカーは、自分の店でエリーを殺されたことに激怒していた。被害者の恋人の探偵アヴァロン・ゼーヌハートは、「必ずエリーを殺した犯人を見つけ出して殺し、ムカデどもの餌にしてやる」と誓い、一度しか抱かなかった赤子アヴェルをオブジェウスに預けた。太陽が疲れを癒すために地平線の寝台に沈もうとする頃、黄昏の色を身に纏った半透明のカメレオンが、何百匹も硝子の塔の壁面を駈け登りながら、体の色をオレンジから青へと変色させていった。オブジェウスは闇の中で青く光る十本の指で、アヴァロンの子を抱いていた。

 アヴァロンは見えない手を追っていた。そ知らぬ顔で、エリーの部屋の前にオーゾレムで作られた自動人形を置いた手を。硝子の塔の客、あの夜にいた者を洗い、目撃者を探していた。


 オゾン大公妃は以前から、娼婦の温床、硝子の塔は汚らわしいと思っていた。オゾン大公が書斎に飾る牛の首の仮面に見知らぬ女の香水の残り香が漂っていることを知り、香水の出所を調べ上げ悪魔の執拗さで見知らぬ女を探し当てた。給仕のミトレラの幼い手から、手から手へとあらゆる悪意の、或いは無垢の手たちへと伝わせ、時の魔法がかけられた爆弾を運ばせた。アヴァロンはその手を逆に辿っていったが、オゾン大公家の闇の目に留まり、恐ろしいほど力強い腕にねじ伏せられ大公邸の地下へと幽閉された。

 地下牢に光は届かない。アヴァロンは自分の誕生日にエリーが吹いてくれた横笛の音色を思い出し、その頭の中に響く旋律は、同じ地下牢のアヴァロンがいなくなった未来に、今度はブザーの横笛によってなぞられ狭い地下牢に響き渡り、百合の花が咲く助けになった。また異なる次元の庭園では、笛の音をかすかに聴き地面に顔を近づけたプーの耳に笛の音を届けた。アヴェル・ゼーヌハートがエリーの体から取り出されたとき、このプーは、エリーの子のプーは、現世に誕生することをやめた。ブザーとエリーが出会うことがなかったから。

 アヴァロンが恐ろしく強大な力を持つ屈強な腕ども(恐るべき力が行使されたのは主に腕であるため、他の体の部分は印象に残らなかった。決して剛腕だけの化け物ではない)に、この牢へ連れられてきたとき、花柄の覆面を被った少年は、いつかお前を爆弾刑に処すると宣告した。

 アヴァロンは岩壁に、子供が通れるほどの狭い横穴を見つけ、穴の奥から這い出てくるムカデや鼠を食べて過ごした。アヴァロンは懐から小さな石の首飾りを取り出した。闇の中で仄かに白く自然発光する石を見つめた。妻のエリーが生前首に下げていたものだった。アヴァロンの目から涙が溢れた。エリーの肌の感覚と繋がる光る石の首飾りは、エリーがそばにいる幻想をアヴァロンに付与し、それを幻想だということを知りつつも、アヴァロンは思い出の木の枝を登っていった。風に揺れる赤い実を見つけたとき、我に返りここから出なくてはと思った。硝子の塔に息子のアヴェルがいる。戻らなければ。帰って息子を抱かなくては。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る