第22話 執事が空白期間に未来紀を差し込んだ

 横笛占い師ブザーは占いによって導かれ、未来の花嫁を探すためにオーゾレムにやってきた。占いでは、この街の酒場で運命の伴侶と巡り合うことになっていたが、目当ての酒場は焼け焦げていた。酒場の亭主は、焼死体として発見された。

 ブザーは、自分の占いはまだ未熟なのだ、と落胆し、その場を後にした。本当はあったはずの、運命によって定められていた神聖な逢着は、上書きされたのか何故か存在しなかった。

 ブザーは妻を娶ることも、子どもを設けることもなく、生涯を独身で過ごした。その晩年はオゾン大公邸の地下牢で過ごした。オゾン大公妃の怒りを受けたブザーは幽閉され、地下牢の土の壁の横穴から這い出てくる鼠や虫を捕まえて、飢えをしのいで生き抜いていた。

 ある日、横穴から、猫の鳴き声がし、薄汚れた猫が牢に迷いこんできた。ご馳走だと思い、猫の体を捕まえ、頭を地面に打ちつけたとき、猫の頭の中に埋め込まれていた爆弾が爆発し、ブザーは爆死した。ここからは猫の額にハート型の模様があったかどうか、は暗くてよく見えなかったが、きっと同じような猫がオゾン大公邸の地下に住んでいたのだろう。

 横笛占い師エリーは酒場の人脈を失い、仕方なく生活のために娼婦の館・硝子の塔の娼婦になり姓を変え、エリー・ストーカーになった。仕事がない日はストーカー家の正当な血を引く娘マリアレスの子守りをしていた。毎日、店にくる探偵のアヴァロン・ゼーヌハートという恋人もできた。

 ある日の夕刻、牛の仮面を被った高貴な身分の者がお忍びで硝子の塔にやってきた。

「このことは決して他言しないように。妻に知られたら一大事だからね」と男はエリーにだけ正体を明かし、おほほほ、と上品に笑った。

 その後、エリーがアヴァロンの子を妊娠していることが分かり、エリーは硝子の娼婦は引退し、硝子の塔のオーナーのオブジェウス・ストーカーに、出産するまで部屋に住んでいていいぞ、という好意に甘えた。オブジェウスの妻であり、マリアレスの母である、ストーカー夫人も姉のようにエリーに優しく接してくれた。


 旅人は我が目を疑った。荒地で数十人の死体が転がっていた。鎧をつけた騎士と、見るからに盗賊風の男たち。血にまみれた双方の死体の群れの中心で、凄惨な死闘は今も行われていた。盗賊の最後の生き残りと、騎士の最後の生き残りが向かい合って立っていた。騎士は剣を、盗賊は片手斧を持っていた。いつまで経っても彼らは打ち合うことなく、互いを睨み合っていた。旅人は勇気を振り絞って彼らに近づいてみた。

 彼らはすでに絶命していた。旅人には知るすべはなかったが、この悲惨極まりない光景は、眠りの騎士団と「黒猫の舌」の戦いの果てだった。どちらの一団も全滅していた。

 時が移ろい、フィガロが率いる盗賊団「黒猫の舌」が謎の騎士団と交戦して全滅したことは、大公邸にも伝わっていた。

「フィガロの死体は見つかったのか?」

 豪奢なソファーに体を横たえていたオゾン大公妃は、お抱えの探偵アヴァロン・ゼーヌハートに訊ねた。アヴァロンはメギド・オゾン大公の玉座に座っていた。

「分かりませんね。私が調べてきましょうか。ところでメギド陛下はどちらに?」

「大公は書斎で書き物をしておる」

 メギド大公は書斎に閉じこもり、内側から鍵を掛けて、誰も中に入ってこないようにと女中や小姓に言いつけた。机に向かってオゾン大公国史の空白を埋めるための作業を行っていた。フィガロと名乗る盗賊に大公国の歴史書を盗まれてしまって、仕方なくメギドは記憶を頼りに始めから書き直すという作業をしていた。ところが歴史書はジュリアンという者によって唐突に返還された。内容を比べてみると、今書いている書物と明らかに違っていた。フィガロかジュリアンは歴史書を捏造した上で送り返してきた。メギドは偽史を参考にしながら、歴史書の続きを作成した。誤って偽書をそのまま差し込み、歴史が重複したり、夢の中でも文章を書いていたので、現実の世界でも歴史を記したと勘違いして何十年も空白期間が生じたり、居眠りしているときに、腕が勝手に動いて自動書記のように未来の歴史まで記録したこともあった。おやつの時間に一人の執事が、メギドから入室の許可も得ずに、胡桃の入ったケーキと紅茶を盆に乗せて入ってきたことがあった。机上でゆるりと揺れる高く積まれた歴史書の階層に挟まれて、メギドは雷のような鼾をかいて机に突っ伏していた。その瞬間にも、トランプ奇術のシャッフルのように、全く時代の異なる歴史書同士が、交互に混ぜられていった。牛頭の大公の鼻息によって吹き上げられたのか、天井付近にも紙が一枚、空中を所在なく漂っていた。この有り様を見た執事が、ケーキを置く場所を確保しようと思ったのか、雑然とした机の上を整理し、二十年間の歴史の空白期間に未来紀を差し込んだ。ほのかな甘いケーキの香りに目が覚めた大公は、生クリームで修正された歴史書を眺めた。おそらく起きたはずの歴史上の出来事は、今はもう零して冷めきった紅茶に滲んで、解読できない古代語か未来語の文字に翻訳された。大公の頭は真っ白になって、何事もなかったかのようにすべてが調和された。正気を取り戻した大公は、靴を履いて書物から逃げ去っていくオゾン文字を回収するために、部屋の中を奔走した。鍵は内側から掛かっていたのに、どのように執事は書斎に侵入し、そして、どのように鍵をかけたまま外に出て行ったのだろうか? 執事の一人が歴史書の一部であるかのように、彼もまた一枚の紙となって、マホガニー材の扉の隙間から入って、部屋に混沌をもたらしたのち、外に出て行ったのだろうか? 妻のオゾン大公妃でも、勝手に入室することはできなかったのである。

「扉が開いているときに、風が吹いて紙がすべて飛んでいってしまったら、現実と虚構の区別がつかなくなって、我々の住んでいる世界が虚構になってしまうから、と大公は恐れているようなのじゃ。我々は眠りの浅い夢を見続けているだけ、とも言っていたな」

「私たちの人生がまやかしになってしまったら大変だ」と呆れた顔でアヴァロンは肩をすくめた。

「暇じゃ。フィガロは定期的にうちの物を盗んでおるだろう。特に盗まれた物はないが、私が気付いてないだけかも知れぬ。アヴァロン。フィガロを生け捕りにして連れて参れ。何か盗んでないか訊き出すためにな。そう言えば、笛吹の占い師を牢に入れたままだったな。入れ替わりに処刑するとしよう。馬は持っているか? 貸してやろう。」

「馬は速くて怖いので乗れません」

「なんと怖くて乗れないと申すのか。よろしい。では代わりのものを出してやろう」


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