第21話 魚占い師から伝染した病で

 ドラクロワとウラギョルは空腹に苛まれていた。馬車でオーゾレムの都に入り、目に付いた酒場に入った。椅子に座ると二人はぶどう酒とパンを注文した。酒場にいた客たちは、ドラクロワの石の体を見て一瞬騒めいたが、ウラギョルが「こいつは旅役者の扮装だ」と言って適当に誤魔化した。

 どこからか、聴いたことのある笛の旋律が聴こえてきた。酒場の隅で女が横笛を吹いて座り、向かいに男が座っていた。

 ドラクロワが酒場の主人にあの女は誰かと訊ねると、横笛占い師のエリーだと言った。ドラクロワは自分の育ての親であり、プーの産みの親であるエリーが何故生きている? と思った。温もりしか記憶になかったが、酒場にいるエリーはドラクロワがプーに初めて殴られたときに、プーの指の傷から流れた血によってできたプー自身の母親エリーの姿に似ていた。というよりは、複雑な表情や、適切な色を与えれば、似ていたと判断できるにすぎないだけだったが。しかし同じ占い師、それも同じ横笛を使って占い、その旋律にも聞き覚えがあった。亡霊か? まったく同じ運命を歩んだ他人なのか? それとも魚占い師から伝染した病で死んだこと自体が虚構で、今もこうして別の人生を生きているのか? 夫のブザーと息子のプーを捨てて? いや別人か、年齢が違いすぎる。

 ドラクロワはあかの他人でも、プーに会わせてやれば、プーは喜ぶかもしれない、とウラギョルに「あの女を馬車に乗せて、占いの村まで帰ろう」と言ったが、ウラギョルはすでに酒に酔い潰れていた。ドラクロワはウラギョルを置いて帰ろうと思ったが、プーが森の奥で自殺していたことを思い出し、かわりに酒を追加した。

「ここ、いい? 石像さん。薬が出るまで、ちょっとの間、座ってて?」

 一人の少年がドラクロワの正面の椅子に手をかけていた。

「好きにしろ」

 酒場の喧騒の中で、杯の内側で酒の底に沈んでいく自分の姿を見ながら、杯を傾けていった。エリーへの興味も失われたが、もとよりドラクロワには育ても産みも母親には興味はなかった。自分は石から産まれた。それだけでよかった。

「ぼく、眠りの騎士団に入りたいんだ。どうやって入ったらいいか分からないけど、きっと、お金はいるよね? そのためにオゾン大公様の邸で、御食事を作って差し上げて、頂いたお金を貯めているんだ。オゾン大公妃にはよく怒られるけど、お金もくれるし、いい人だよ。でも病気の母さまに薬も買ってやらないといけないから、なかなかお金が貯まらないね」

「酒場に来て、酒なんて飲んでたら、金なんかたまらんぞ」

 ドラクロワは金を入れる袋を逆さまにして、嬉しそうに上下に振った。隣からウラギョルの下品ないびきが聴こえてくる。

「おや、テントウ虫が入っていたぞ。お前にくれてやる。小僧、名前は?」

「ぼく、ミトレラ。お酒なんて飲まないよ」

 ミトレラか。子どもの頃のプーによく似ているな。

「酒場の主人が薬を安く売ってくれるんだよ。だからお金も貯まるし、毎日、働いて、神の王様にお祈りをすれば、母さまの病気も直るし、早く眠りの騎士団に入りたいな。銀色の鎧、格好いいな。ぼくまだ神の王様の顔見たことないんだよね。あ、酒場のおやじさんが薬の用意ができたって」

 ドラクロワは神の王ジュリアンを殺したことを思い出し、気分が悪くなってきた。

 今頃、眠りの騎士団の残党は、王が死んだことで嘆き悲しみ、気が狂っているのかもしれない。あるいは盗賊団によって全滅しているのだろうか。悪魔をもう二度と殺さないと誓った自省の騎士団。未来の灯りが消えている。誰のせい?

「大丈夫、石像さん?」

「もういい。失せろ小僧」ドラクロワは罪の意識に自分を見失いそうになった。

「いや待て、ミトレラ。お前の母さまによろしくな」ドラクロワはそれだけを言った。

「石像さん。名前を教えてよ」

「俺は……片目のジャッカル」ドラクロワは嘘を付いた。あのとき神の王に側にいた、二人の眠りの騎士、御者、黒い袋を被った男。あの場を目撃した者はすべて消してきたが、それで誰も見ていなかったとは限らない。声を出してドラクロワと名乗った途端に、神が目覚めてしまうかもしれない。ドラクロワという言葉は二度と発音されてはならない。そんな脅迫観念に捕らえられていたドラクロワは思わず、子どもの頃の天敵の名前を呟いてしまった。

「何で? 片目じゃないじゃない」ミトレラは笑った。

「ああ、ただのジャッカルだ」ドラクロワの口元が引き攣っていた。

 ミトレラは酒場の主人から薬を受け取り、酒場を出ていった。世界ではこんな片隅でも神の王は信じられていた。ドラクロワは酒によって意識を失おうとしていた。

 杯が転がり、燭台が倒れ、ドラクロワの服を燃やしたが、石の肌のために、ドラクロワは自分が燃えていることに気付かなかった。酒場にいた者もみな浮かれていて誰も気付かなかった。机に燃え広がり、齧りかけのパンにまで燃え出したとき、ウラギョルは煙に咽び、炎に包まれたドラクロワが眠っているのを見た。酒場にいた客たちは混乱し、客の群れは外に逃げ出した。酒場は燃え、炎は魔物が宿っているのか消えることはなかった。

 エリーは難を逃れ、野次馬の中に紛れ込んでいた。ウラギョルはドラクロワに桶で水をかけ、厨房を通り裏口から出ていった。


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