第15話 心が目に見えるかたちで
オゾン大公邸から戻ってきたプーの裸足の右足首に足枷がはめられ、短い鎖の先に心臓の形をした爆弾が繋げられていた。手首から相変わらず血が流れていた。プーは自分の占いで父が釈放されることはないと分かっていたにもかかわらず、それを信じずに、オゾン大公邸に一人で行った。
「あなたの大事な猫を占いました。この世のどこにもそんな猫はいません。ハート型の模様の猫など初めから居ないのでは?」と問い質したのがオゾン大公妃の逆鱗に触れてしまった。
「私が嘘をついていると申すのか?」
「それは分からない。でも占い師の誰も猫がどこに行ったかを占えなかったのです」
プーは足首に小型ながらも強力な魔法の爆弾を仕掛けられてしまった。
オゾン大公妃は「爆弾がいつ爆発するかは、私にも分からぬ。一日後か、三日後か、半年後か、幸せを感じたときか、孤独になったときか。だが必ず爆発する。その鎖はどんな斧でも剣でも断ち切ることはできぬ。もはや逃がれることはできぬ。爆発した後、おまえの一部を父親に届けてやらんでもないぞ」と高らかに笑った。
プーは自分の占いの力である血の神の信仰を捨て、同じ占いを何回も連続で占ったから、天罰が下ったのだと諦めていた。ブンボローゾヴィッチは、絵柄の入った皿の上で砂時計を割り、砂の方向を見た。
一年以内に爆発する。
「爆弾自体に呪いがかかっていて正確な時は分からぬ。それでも一年以内だ」
「自分の覚悟が決まったときに、足首を切れ」ブンボローゾヴィッチは目を伏せた。
埃まみれになったプーの足首を、鎖の留め金が縮小した鮫のように喰らいついていた。足首の近くの肌は紫色に変色し、血がこびりついていた。ブザーが買ってやった靴は、大公邸で脱がされたのだろうか、プーは履いてはおらず、足の裏は傷だらけだった。鎖の先には心臓の形をした爆弾が不気味に伸縮を繰り返していた。
「プーに足首を切る気がないなら、村のはずれの森に住んでもらおう」と道草占い師は提案した。
「爆発の規模が分からないのだろう? ブンボローゾヴィッチ。他のものが巻き添えを食わないためにだ。俺には生まれたばかりの子どももいるし、村の中を爆弾にうろつき回れたら困るんだよ。それとも足首を切り落とすか。腕を切り慣れているのなら、足首を切断するのも訳ないだろう」
道草占い師はプーの顔を見た。
「おい、プー。鼠占い師を見たか? 誰のせいで、鼠占い師の足がなくなったんだと思うんだ。お前の父親を助けるためだろうが」
ブンボローゾヴィッチは席を立ち、外に出て夜空を眺めた。
エリー、ブザー、プー。何故彼らの家族だけが不幸になり苦しむ?
占いなんて意味が無いのではないか?
その夜、ブンボローゾヴィッチはブザーの生霊に出会った。お前も俺たちのために苦しんでくれたじゃないか、とブザーは慰めた。
プーが深い森の中で、たった一人で血を流し続けて死んだ三日経った後も、ドラクロワは言葉を発することができなかった。
プーは楡の木にもたれて腹部を縄で大木ごと縛りつけられ、右腕と左腕の手首から血を流していた。衣服は血に汚れ、胸の前で指は組み合わされていた。
密かにプーの占いを見守っていた花占い師の女が、違和感を感じ取って、慌ててプーに近付いた。プーは道草占い師の提案により、村から隔離されて大木に縄で縛り付けられていた。足首の枷には、心臓の形をした爆弾が蠢いていた。
そんなに血を流したら死んでしまうわよ。
プーは女の声が耳に入っていないようだった。
死んでいた。次々と集まってくる村人の前で、血は永遠に流れ続け、血の水溜りができた。プーは生きているのか、死んでいるのか、誰も分からなかった。心臓の鼓動はすでに止まっていた。死んでもなお、プーは占いをやめなかった。
血だまりは生きているように波打って揺れ動き、光を伴って微細な陰影を作り出した。母エリーの横顔を描いた。そのエリーを新たな血が消し去って、今度は横笛を吹いている父ブザーの姿が浮かび上がり、それを血が波打って消し去って、槍を持ったドラクロワの姿が浮かび上がり、血が消し去って、ブンボローゾヴィッチの顔が浮かび上がり、血が消し去った。
これは占いではない。プーが生前、大切にしていた者たちの姿が、誰にも占えなかったプーの心が目に見えるかたちで現れたのだ。そうやって血の鏡は、村の人々の姿を映し出していった。占い族の女たちは並んでいる順に、プーの血の泉に自分の姿が現れたことに歓喜し、嘆息をもらしていった。中には、村人の誰も知らない、おそらくは占い師と推察される者まで映し出されたが、誰にも気付かれることなく占い族の村に存在することができた占い師がいたのだろう。プーは見ていた。いつも忘れることなく覚えていた。最後に赤子の姿が浮かび上がった。文字通り、赤き子だった。この村に産まれることになる未来の赤子たちの総体だろうか?
プーはみんなのことを愛していた。そのうちプーは青い血まで流し出し、ブンボローゾヴィッチが慌ててプーを抱きしめた。プーの占いが枯渇したのだ。プーの予言書は終わりを告げ、めくるべく紙を失い、占いの指は死者のために地面まで捲ろうとした。プーは人形のように力を失って動かなかった。村人たちは泣いた。村人たちの泣き声の一つに、はるか遠くの大公邸の地下牢にいるはずのブザーの泣き声が混じっていたが、誰も気付かなかった。誰かがブザーにお前の息子プーは死んだよと伝えねばならない。
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