第9話 猫に人間のかわりは務まりませぬ
オゾン大公妃から占い族の村に奇妙な書簡が送られてきた。
「飼っていた猫のアヴェルが急に立ち上がり、二足歩行を始めて踊り出したので、アヴェルが大公の跡取りになるかもしれぬ、明日の大公国のためにも、我が家系オゾンの繁栄のためにも、是が非でも占ってほしい」と書かれていた。
ブザーは、たくさん金をふんだくれると思い、ブンボローゾヴィッチから書蘭をかっぱらうと、占いの道具である黒檀でできた横笛を麻袋に詰め込んで、息子のプーに手を振って喜んで家を後にした。歩いている途中に、大公妃に何と答えようかと考えた。猫が大公になるわけがないから、まともに占いをしても無駄だ。ブンボローゾヴィッチなら生真面目で馬鹿正直だから、猫に人間のかわりは務まりませぬ、とでも答えて大公妃を怒らせてしまうだけだろう。相手を話術で騙くらかすのは、俺のほうが向いている。上手くいったら、プーにはめん鳥を買ってやろう。
ブザーは大公邸の衛兵に書蘭を提示して、逸る気持ちを抑えて、屋敷の外観を見渡した。屋敷を正面から見ると、左右の端にあり得ないほど斜めに曲がった純白の塔が立っていた。ちょうど巨大な牛の角のように見えたが、元々そういった趣向であった。何代か前のオゾン大公が、そのように建築士に作らせていたのだった。牛頭城とも綽名されている。目の前の鉄の扉の牛の模様は、臨む者を睨んでいるようにも見えた。敷地は都の壁と同じくらい高い塀で、広範囲に四方を囲まれていて、爆破実験という名目上で、中からは絶えず爆弾の音が聴こえてきた。オーゾレムの街並みは全体的に煤けていて、黒い煙の塊が塀を乗り越えて、街路を沿って移動することもあった。そんなとき住人は、ガスマスクを装着して、往来を闊歩した。
猫を占いに来たのに、邸宅内には占われる対象の猫はいなかった。
「あの子は占われることを恐れて、逃げ出したのじゃ」とオゾン大公妃は喚き立てた。部屋の中を行ったり来たりしながら、時折、ドレスの裾を持ち上げて飛び跳ねた。ブザーには妃が床の爆弾をかわしていたように見えた(爆発はしないから)。ブザーはこの居間まで辿り着くのに、花柄の覆面を被った執事のすぐ後ろを歩いて、爆弾を踏まないように案内してもらっていた。だから、恐ろしくて一人では、一歩も動けなかった。
突然、オゾン大公妃の左手の長い指先が爆発した、と思うと、はめられた指輪が次々と爆発し、五本の指が血飛沫とともに宙を舞った。ブザーは垂直に飛び上がった。女中がダンスのような不思議な軌跡で、踏んではいけない爆発物を避けながら、急いで大理石の床に散らばった指をかき集めた。
「お前が厚かましくも、ぬけぬけと占いに来たからじゃ」
大公妃は激昂して、ブザーを睨みつけた。女中が震える手で千切れた指を摘み、大公妃の前で跪き、あたかも結婚指輪をはめるときのように、指の付け根の傷口に指のかけらの断面を合わせた。指は元通りにくっつき、傷痕を塞いでいった。指は人差し指と薬指は長さが似ているので接合には注意が必要だった。すべての指が元通りに治ると、女中は大公妃の後ろに下がった。目を伏せた女中は、たった今起こった不思議な出来事はなかった、とでも言うかのように、ブザーに同じ態度を強制させていた。
「少し落ちつかなければならぬな。うん。でなければ、この邸が爆発してしまう。ちょうど良いわ、占い師、あの子の行方を占ってみよ。見事、見つけることができたなら、いくらでも褒美を取らせよう。この国の専属占い師として、それなりの地位を与えてやっても良いぞ」
ブザーは恐る恐る横笛を取り出し、震える指で手孔を押えていったが、まともな音を出すことができなかった。今のブザーの心境を表したような耳障りな音階しか鳴らなかった。世にも恐ろしい一部始終を目撃した後では、今にも自分の指がすべて抜け落ちてしまうような錯覚に捕らわれても仕方がなかった。十本の指自身が恐怖を感じていた。
何年前だったか、息子のプーに占いを教えるために、プーに初めて横笛を持たせて吹かせたときに似ていた。ブザーは三歳の頃のプーになってしまった。プーがまさにこの瞬間の父親の笛の無様な音色を、十四年前に占っていたことに、ブザーは気付かなかった。こんな演奏では、まともな占いができるはずもない。そもそも何について占っていたかも分からないほどに、ブザーは動揺していた。所在無く横笛を口から離すと、頭に浮かんだ言葉を、
「猫に人間のかわりは務まりませぬ」
と利口な犬のように、決して言ってはならぬ、と自ら戒めた言葉を口に出してしまった。
哀れブザーは大公邸の地下牢に囚われてしまった。
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