第8話 世界中の王城が入るくらい巨大な水槽

 近代オゾン大公国と近隣諸国との間の関係、沿革も簡単に読んでみよう。

 大公国の都オーゾレムを出て、西太陽街道沿いにあるリラ鉱山から、採掘ギルドが火薬の原料である硝石を発掘し、公立化学博士団が硝石を硫黄や木炭を化合して爆弾を発明することで、ときのオゾン大公は、剣と斧と槍と弓の戦いに影響を及ぼした。近隣にある四つの大国はこぞって外交使節団を送り、新しい武器の通商同盟の条約を結んだ。その後、オゾン大公国は武器商人の国として、列国に対して戦争不干渉中立国になった。オゾン製の爆弾を各国に提供することで、いかなる国家もオゾン大公国に侵略行為できないという条約を締結させた。オゾン大公国は世界で最も平和な国家になった。

 やがて爆弾学の技術は進歩し、オーゾレムの北西部には実験施設があり、日中は爆音鳴り響く都になった。四つの諸外国の領空を、それぞれの国の飛行船団が行き交い、無数の爆弾が儀礼的に次々と落とされて、多くの命が失われた。富と希望に満ちた新生戦争時代の幕開けとなった。

 オゾン爆弾開発研究所の爆弾技術は、世にも妖しげな魔法学と結びついた。魔法が施された得体の知れない爆弾が誕生した。

 この裏には魔法結社ハーリカ=タビラが関わっているとも噂された。森の近くの村の伝承によると、魔法結社ハーリカ=タビラとは、あらゆる森に住まう魔女たちの集団だった。薬草を調合して村人に与え、精霊を使役することができた。

 当時の占い師の言によれば、魔女集団はあらゆる森を介した、女性だけの霊的同盟団で、目に見えない糸から布を織ってできた目に見えない衣を、大公一族に献上し、近付いていったのだという。大公家は歴史の変換期に、国民全員に見えない衣を着用させて、大公家の永遠の繁栄を、顔に白い絹布を掛けた魔女たちから約束されたのである。目に見えない衣の生地は、針でできていて、少しずつ、着ている者の血の光を吸うことができた。人間の血の光は、天界に上納されていった。国中から集められた国民の血の光は、世界中のすべての王城が入るくらい途方もなく巨大な水槽に並々と注がれた。真っ赤に光輝く恐るべき血の立方体は、悪魔ルビヤの水槽、と占い師に名付けられ、その血の水槽の中にいた、牛十頭分を団子状にした大きさの一つの眼球に睨まれて、占い師は発狂して脳漿を破裂させて死んだ。当然、誰にも伝えられなかった。

 かつて命の危険を脅かされた半牛半人の一行が、飛んでくる手槍をかわしながら逃げて行った先に、何もかを覆い隠す鬱蒼と生い茂った森があって、その闇に住まう魔女たちと何らかの密約を結んだのか、あるいは彼ら自身の半牛半人の無実なる罪の報いによる呪いが解けて、森の中で魔女に変化していったのかは判然としない。森の中は昏くて読むことができないのだ。大公家は国民の尊い血を、悪魔か何かに売った。牛を犠牲にし、食料にしてきたオゾンの民は、その血肉の一部を、針の衣の吸血によって、どこかに奪われた。魔女が手にしたのかどうかも疑わしい。それが正しいことなのか、間違っていることなのかも分からない。血は円環する。悲しい調和は保たれる。


 さて神話や歴史から遠く離れて、今いちど物語に戻ろう。現在のオゾン大公妃は、体に爆弾を身に着けるという変わった趣味の、というよりは爆弾を身に着けていないと不安で夜も眠れないという近寄りがたい女性だった。貴族一般が身に付ける貴金属には全くといっていいほど興味がなく、装身具は爆弾仕掛けの指輪、爆弾が仕込まれた石の首飾りで体を着飾った。部屋の机には爆弾が埋め込まれ、爆弾が仕掛けられた椅子は用をなさなかった。

 大公妃の華やかな午後は、ベルカントール伯爵夫人やら、バズラッド子爵夫人などの友人を招き、調律された爆弾をマレットで叩いて演奏し、夜はお気に入りの爆弾を、四つ折りにした黒いハンカチーフで眠りが訪れるまで飽きもせずに磨いた。念のために夫の牛頭大公メギドにも爆弾を持たせた。玩具程度の威力の弱い爆弾だったが、大公のジャケットのポケットの中にも形だけ忍ばせた。おかげで夫のオゾン大公のほうが、いつ爆弾が爆発するか不安で夜も眠れなかった。邸内の至る所に、二千個もの爆弾が仕掛けられていた。

 オゾン邸宅で新しく働く召使いや衛兵は、邸内のどこに爆弾が仕掛けられているかを、古参の者から教えてもらうことから仕事が始まった。身体の一部を破損したり、不幸にも爆死する者は、まだ爆弾の配置場所を暗記していない新入りと決まっていた。先日も頭の中が真っ白になってしまったのか、石像のように一歩も動けぬまま、静かに涙だけを流す女の召使いがいた。また事故で顔の真ん中に穴が空いて、向こう側の風景が見えるメイドは、二度と会話ができず、物を見ることも叶わなかったが、今も元気に働いていた。


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