第7話 最後に名付けられるメサティックが流刑地から帰還する

 オゾン創世神話を歴史的な考察をしながら読んでみよう。神話の原典よりは、当事者や民の内面に踏み込んだ内容になっているはずだ。


 半牛半人の男オゾンは、初めから半牛半人ではなく、世界は始まる前から、どういうわけか既にあったのだという。後のオゾンが正史から消し去ることになる忘却の王国の、王立マタドール隊「碧のプレアデス」に所属するオゾンは、世界が始まる前からあった世界が滅びると予言し、悪魔ルビヤの化身である滅びの牛と闘っていた。世界の終わりの闘牛場で、テッセウス闘牛場以外は悪魔ルビヤの版図だった。金糸と銀糸からなる華やかなトラヘ・デ・ルーセスを身に纏ったオゾンは、ルビヤの化身の前に赤いムレータを構え、牛の突進をフランネルの布を翻して避けると、走り際に隠し持っていたエストックで肩甲骨を刺した。けれども大動脈への傷は浅く、止めを刺すことはできなかった。世界の終わりが始まった。オゾンの英雄的活躍も健闘空しく、予言の砂時計の砂の進行は止まらず、かくて予言はその示すところのものになり、地面が砕け散って地上世界は陥没し、遅れて不気味な世界水の大波が押し寄せてきた。オゾンは溺れる牛の体にしがみつき、腹の肉を鉈で切り裂いて、血に塗れた臓物を引っ張り出して、代わりに自分が牛の腹の中に隠れた。大洪水は終わりの前の文明を呑み込み、すべては嘘になった。造物主も悪魔ルビヤも姿を消したのか、一旦、存在しないことになった。

 牛の胎内から抜け出して、水が引いた後の大地に降り立ったとき、始祖オゾンは牛の頭部を持つ半牛半人になっていた。牛の死体から、一頭の仔牛と半牛半人の子が産まれ、近くの水が引かなくて池になった水たまりの上に、黒い棺桶が浮かんで揺れていた。始祖オゾンが水の中に跪いて、生温かい泥に覆われた棺桶の蓋を開けると、中には髪の黒い美しい女が眠っていた。始祖オゾンは棺桶に隠れて災厄を生き延びた女に、メーイェと名付け、思い出したかのように、自分の名前にメアイを冠した。始祖オゾンはメーイェを妻として子どもたちを産ませた。

 始祖メアイ・オゾンは一握りの嘘から、牛の頭部の被り物を自らの頭に被せた。本物の牛の首の上に、偽物の牛仮面を二重にして。悪魔を殺した自分が悪魔になってしまった。その呪いの恐怖を隠すために。

 始祖オゾンは生き延びるために牛の体内を侵犯して、その所為で牛を殺してしまった疚しさから、牛が楽園創造のために犠牲になったのだと、悪魔の牛を聖なる牛として転化させて聖家族に崇めさせた。

 オゾンの血統は、二代目から人間の頭部を持って産まれてきたが、始祖オゾンは、我が子にも生涯を通じて、牛の頭部の被り物をつけさせた。この儀礼様式は後に、聖牛頭戴冠式と名付けられ、オゾン王朝の王位継承のための伝統的な神事となり、聖牛の怨念を鎮魂するための神聖秘儀となった。オゾンたちの子孫たちは、牛から産まれた仔牛の子孫の肉と乳を食し、自らの血肉とした。オゾン王朝は繁栄をきわめ、牛が死んだ数と共に民は増えていった。

 聖牛の死体から産まれた半牛半人は?

 人々は半牛半人の血筋の者たちを差別の対象にした。自分たちの口の中に入ってなくなる物が、一緒に生活しているなんて耐えられない。いつか彼らの恨みで人の種が滅ぼされるのに違いない。やられる前にやり返せ、と、存在しない恨みへの報復として迫害した。それを諫める牛頭大王は人々から尊敬の念を集めた。自ら穢れの仮面を被るなんて。穢れたものにも慈悲を。その水面下で半牛半人族は国を追われ絶滅していった(ルバーラアンデの浄化)。

 オゾンの王統からは預言者も生まれ、オゾンの牛頭は堕落の呪いの証とされた。聖なる血と堕落の血との間で争いが起き、新旧に派閥が分かれた。預言者王太子の派閥が勝利を収め、オゾンは王には即位せずに、王位を空白にして大公の座に就いた。オゾンの人々は、自分たちが凶事に巻き込まれて艱難辛苦を舐めさせられるのは、すべてが牛に堕落させられたからだ、と預言者王太子オゾンと意見が一致し、新しいオゾン朝は静かに人々に受け入れられた。初代オゾン預言大公は、牛頭の呪いを解くために、オゾン神殿のオゾン始祖神王家への生贄として牛や山羊や羊を捧げた(また時代は異なるが、魔導士オゾンが黄道の海から召喚して、配下に加えた黄道十二神を祭った神殿もあるが、その中には召喚した側のはずのオゾンが混じっていた)。

 牛の巫女の神託では、やがてオゾンの血を引くメサティックが悪のしもべを滅却し、世界を守護する神の王になるのだという。人類が滅びようとする頃、予言通り、メサティックと呼称されることになる青年は現れた。青年は奇跡を起こし、清廉潔白で、アンデと呼ばれる神の御言葉を語った。だがオゾン民衆会や始祖神教団や、青年の親類にあたる神王派の祭司は、青年をメサティックとして受け入れることができず、青年は荒野に放逐され、異端者として処刑されることになった。親類の祭司は、実の息子の洗礼者シェイク=スピアをメサティックにすべく画策していたので、降って湧いたような青年の存在に眉をひそめたのだった。かくて神の計画は失敗に終わり、人類の滅亡が予定調和だったが、青年は人類の罪をアンデに執り成し、アンデの涙と叫びの恩恵により、世界は赦しを得て再創造された。青年はすべての人の罪の報いを受けて、地獄の流刑地へと旅立った。アンデの愛の教えを聴いていたメサティックの使徒たちは、純白霊の導きによって短期間でメサティック教団を創設し、永い歴史の中でオゾン大公家にも受け入れられるようになった。何故かアンデの名はオゾンの王家の中の神に習合されて消えていった。

 メサティック=初罪消滅者(巷間では救済者)は、世界が滅びるたびに翼を生やしてやってきて、生きとし生けるオゾン人の記憶にない初罪を消滅させることができるのだという(顕微鏡生物よりも小さい極小核には、後の高度に発展した科学により、穢れた初罪の文書が記載されていることが衆人の目に明らかにされた)。

 それだけではなく、オゾンの過去から未来に於ける、すべての罪悪の集合体も聖なる光によって消し去るとされた。原理的には、帰依したオゾン人は罪を犯さないが、悪魔の誘いに乗せられて、殺人を犯した瞬間、その罪は時の彼方で同時に恩赦を受けているので、今の時代に罪の消滅者が現れていなくても、オゾン人には犯罪は不可能だった。勿論、オゾン国家には、刑法を制定する議会もあり、裁判所も牢獄も存在していた。貴族や聖職者以外の幼き下級信徒には、地上での裁きがまだ必要とされていたからである。


 以上のオゾン創世神話に纏わる歴史的考察のようなものは、真実でも虚構でもない。読ませたい者と読みたい者との間で、交渉がなされ、妥協された調印の瞬間にようやく読める、船の喫水線のような、時と共に移ろう不安定な神話観だ。半分の嘘を守るために、半分の真実が差し出されることもあり、オゾンが読まれることを頑なに拒否している物語は、どんな天才占い師でも、例え、神々であったとしても読めないのだ。どこからどこまで神話として国の民たちに伝わっているか、あるいは伝わっていないかは、ここでは追求しない。オゾン大公の都の中心部には、神の城と呼ばれる、オゾン大公でさえ入ることができない無人の居城が佇んでいる。オゾン大公家は自分たちに罪が及ばないように、最終期の神の審判に対して「魂の寄り合いの書」に余白を残していた。だからオゾン大公(待公)は、王でもなければ、皇帝でもないのだ。オゾンは待つ。オゾンの初罪消滅者、最後に名付けられるメサティック・オゾンが地獄の流刑地から帰還する日を。

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